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条件のついた幸せは苦しかった

「苦労しないと幸せな人生になるわけがない」
言い換えたら
「苦労したら幸せな人生になる」
と思っていた私
なんとなく、そんな自分がいるとは思っていたが
でも今日はっきりと自覚した

「努力したら幸せが待っている」
「今、頑張れば将来幸せになる」
そういえば、小さい頃、家庭内や身内間で
よく聴いていた言葉を思い出した
(血族で持っている部族的信念というやつか)

「苦労は買ってでもしろ」
「若いうちに苦労はしておくものだ」
今の幸せより、
将来の幸せのために、
今は幸せになってはいけない
なぜなら、未来・将来が幸せにならないから…

そんな感覚で受け止めていた言葉たち
そんな言葉たちを発していた大人の当人たちは
今、幸せに生きているか?と言われたら、
相変わらず、
「いつか幸せになるだろう」
と、今この瞬間から幸せになる生き方に変わろうとはしていない

そんな大人たちをみては、
羨ましくもないし、一緒にいても楽しくもない

そんな人生、私は生きたくはないから
その信念は今からの私にとっては不要なのに、
まだ持ち続けていたんだね

幼き私は、
「先を生きている大人が言っていることだから、
そうなんだろう」
と、何も深く考えずに鵜呑みにしていた
それが無意識に、私の中の"当たり前"になっていて、その"当たり前"の思い込みから、
人生が幸せになるには?と、
今の私がそこから人生を構築しようとしていたから、不自然な状態だったのね

これは、しんどかっただろうよ…

信念を今の私に合わせて刷新していこ

⚫︎今回知った私の部族的信念
苦労しないと幸せな人生になるわけがない

⚫︎今回、得たもの
古い部族的信念を、変化した今の私がまだ採用していたということ

⚫︎今回、得られなかったもの
新しい部族的信念で生きるということ

⚫︎どんな一日になるだろう?
私の心の声に従う

⚫︎私はどうしたいのか?どうありたいのか?
今を生きる

⚫︎チャクラのこと
第五チャクラを中心に、
第一チャクラ

〜私の「部族的信念」の定義〜
子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提