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私にとっての居場所と住所

住民票とかの何かしらの書類に書く必要のある住所の場所と、私の心がそこにいるとホッとする安心する場所は、
・同じ場所になるものだ
・そうなることが当たり前だ
・同じ場所になる必要がある
と、なんかずっと思っていたということを今朝、自分が知った。
で、知った自分が一番ハッとした。
それって自分にとって本当に必要なことなのか?
と思ったら、「いやぁ、今の私には必要ないなぁ」と思った。
そしたら、涙が出そうになるくらい、
なんか嬉しくなった?ホッとした?
しっくりくる言葉がぱっと出ずにもどかしいが、自分で自分を不自由にしていたんだなぁと思った。


⚫︎今日知った私の部族的信念
心が穏やかさや安らぎを感じる場所と、住所として登録されている場所が同じであることが当たり前・その必要がある、と思っていた
→なんとなく、居場所と実際暮らす場所が違うことがあっても良いやん、と思いつつ、心のどこかで「同じでなければならない」と思い込んでいた


⚫︎今日、得たもの
安堵

⚫︎今日、得られなかったもの
本当に自分が暮らしたい・過ごしたい場所
→今、暮らしてみたい・過ごしてみたい場所は浮かぶが、ずっとここ!という場所は、わからない。
が、それさえも別に良いのかも…


〜私の「部族的信念」の定義〜
子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提