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真実は一人一人違っている

先日投稿した
《私にとっての"対等"とは》
で書いた私にとっての"対等"の定義が
自分自身の中ではっきりしてきたので
自分のために書き残しておこう

私にとっての"対等"とは、
例えば…で書くとすると、

『Aさんと、おにぎりを食べてお腹を満たす』
が私の理想(この世で行動して実現できる最高のアイディア)だとしたら、

①Aさんと一緒におにぎりを握って、そのおにぎりを食べる

②Aさんはおにぎりの握り方を知らないから、まずはAさんにおにぎりの握り方を教えて、
一緒におにぎりを握って食べる
(Aさんが私になる場合もあり)

③Aさんはおにぎりを握らず、私がAさんが食べる分のおにぎりも握り、それを一緒に食べる
(Aさんが私になる場合もあり)

④おにぎりじゃない食べ物を食べてお腹を満たす

⑤そもそも、お腹を満たすことがこの瞬間、叶わない

この①〜⑤のどれであっても、
私からすると"対等"に含まれている。
そして、自分が思う対等が貫けなくても、
それも対等だと思っている私がいる。

と、いうことを思っている私がいることを
今回初めて知った。

自分がビックリ。

こんな意味を込めて私は"対等"という言葉を使い、言葉として発していたのか…

そりゃ、人と使い方が意味の含み方が違っているのも当然か。

私の中にある真理と出会った感覚

宇宙の真理や自然の摂理、原理原則など
この世に共通していることもあるけど
(人は生まれ、死ぬ…とか)
私の中にある、私の真理?真実というのもあるのか…と初めて実感した

ということは、私以外の人にも
その人の真理や真実があるということか…
とも知った出来事でした