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出来るからやっている、じゃない

先週の土曜日に配信された
ひとのことのポッドキャスト

の中で話されていた内容が自分にも当てはまることが多くて、どうして今まで自分が困っていたのかが何となくわかってきた。
一番印象深かったのは、
『自分を過信しとかないと勇敢さが発揮できない
そもそも自分の等身大を見誤っている
事実を正しく見てもなお、実行する』

なんか、「自分にも出来る!」
と自分へ言うときの違い。
等身大の自分を見誤り、過信している自分の不安は見ることも寄り添うこともなく、ただ行動することでどうにかできるんじゃないか?というのと、
等身大の自分を知り、過小でも過大でもなく、今の自分ができることを実行するときとではえらい違いだな。

⚫︎今日知った私の部族的信念
人を見るとき
「この人は、こんなことをやっているということは、やっていることをある程度は知っている・できているんだろう」
という見方を無意識にしている。
→その人の今の事実を見て感じる意識ではないから不自然な状態。

⚫︎今日、得たもの
無意識にしている自分の行動
→相手を「こんな人だろう」と決めつけたくなるくらい何か不安や見たくないものや感じたくないものが私の中にあるのだろう

⚫︎今日、得られなかったもの
何だろうか…
その人本来を感じること
→表現力・語彙力が乏しくてもどかしいぞ


私の「部族的信念」の定義
子どものときに、家族、教師、宗教的しつけなどによって植え付けられる無意識の前提