見出し画像

Spiritual Formation-3

"Spiritual"と聞いて思い浮かべるものはなんだろうか。

瞑想?ヨガ?坐禅?いい感じの音楽?
パワースポットや自然なんかもあるかもしれない。

では、どうして"Spiritual"を求めるだろうか。
求める人がいるのだろうか。

それは、私たちは皆、"desire"を持っているから。
では、私のdesireはどこにあるのだろうか。
私は何を求めているのだろうか。

サマリアの女とイエスの会話の場面を見てみると、
イエスはサマリアの女のdesireを知っていたことはわかる。
しかし、彼女自身は自覚していなかったのかもしれない。

「聖書の中で、イエスの会話が最も多く残されているのがこの場面。いいよね、この女性、こんなにたくさんイエスと話せて。」
と聞いて、意識したことがなかったことに気づく。

イエスと話したいか?と聞かれると、どうだろうかと思う今日この頃。
だって、何話したらいいかわからないし…。
まあ、それは置いておいて、

人には誰にも「渇き」がある。
そしてその渇きは、聖霊によらなくては満たすことができない。
これが、キリスト教的な"Spiritual"の重要なポイントだ。
SBNR(Spiritual But Not Religious)というスローガンもあるようだが、それではいつになっても満たされないのだ。
さて、どうなのだろう。
一体、「満たされた」というのは何を意味するのだろうか、どんな状態なのだろうか。

「聖霊」の働きというのもまた、私にとっては馴染みがあまりない。
ただ、信仰に導かれたこと、聖霊の働きによって書かれた聖書を読んでいること、神様の前にいるということ、これらは全て聖霊の働きであると聞いた時、私は日々、"Spirituality"を経験しているのだと教えられた。
それでも今ひとつピンとこないけど。

さて、その"Spirituality"を"Formation"するのがこの講義の主題だが、
講義の中で紹介された定義は、

“Spiritual formation is a process of being conformed to the image of Christ for the sake of others.”

M. Robert Mulholland Jr.

“Spiritual formation is the ongoing process of the triune God transforming the believer’s life and character toward the life and character of Jesus Christ – accomplished by the ministry of the Spirit in the context of biblical community.”

Paul Pettit

というものだった。
Spiritual Formationとは、キリストの姿へとtransform/conformeしていくこと、その過程と言えるだろう。
この地上で完成することはない。
しかし、罪人の私から、聖なる私へ変えられていく。
そのプロセスをSpiritual Formationと定義する。

講義の後は30分程度、グループでリフレクションの時間。
最近の霊的な求めや、どのように自分の霊性を養ってきたかということを話した。

私が最近求めていたことは、ここにいる意味を教えてほしいというものだったように思う。
ここにきて1ヶ月が経とうとしているが、会う人会う人と「どうしてここにきたのか」「卒業後はどうするのか」と話す中で、
一体どうしてだ?というハテナが自分の頭にも浮かんできた。
それっぽいことはいくらでも言える。
けれど、僕には神様がここに行けと言ったから、とか、〜〜で・・・・という働きをするために、みたいなものがない。

仲の良いクラスメートは、タイに宣教師として行きたいと言ってる。
タイにルーツがあるわけではないけれど、訪れた経験や、祈りの中で導かれたらしい。
詳しいことはわからないが、なんかそういうのいいなあと思ったりする。

まあでも、人は人であるわけでして、僕にだって確かなことは一つある。
今ここにいるということ。
アプライしてみて、通って、必要が満たされて、今ここにいる。
これもまた、聖霊の働き。
として受け止めてみたい。

どんなSpiritualityがFormationされていくのだろうか。
続く。といいな。

主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二 3:17-18

新改訳2017


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?