Sam

学びの記録。 2024.3~ TTGU/MDiv Seoul

Sam

学びの記録。 2024.3~ TTGU/MDiv Seoul

最近の記事

Theological studies and writings-4

異言は、それが言語的であろうと、非言語的であろうと、今日もタレント(spiritual gift)として受け取られるべきである。 ただし、異言で語られることは誤りうるものである。 今日の授業では、"The Boundaries of the Gift of Tongues: With Implications for Cessationism and Continuationism"という記事を読み議論しました。 この記事の面白かったところは、「異言」について、6つに分類

    • One-to-One 1

      あなたはイエス・キリストを信じていますか? この質問を、道ゆく人に、仲のいい友達に、近所の人に、 できるだろうか…? イエスは十字架にかかった。 その血によって、私の罪は清められた。 イエスは死んだ、しかし、復活した。 罪の結果である死にも勝利したイエスを信じるなら、 永遠の命が与えられ、天の御国に入ることができる。 この福音を知らないのなら、 信じないのなら、滅びが待っている。 道ゆく人が、仲のいい友達が、ご近所の人が、 滅んでいいのだろうか・・・。 いいわけない。

      • Spiritual Formation-3

        "Spiritual"と聞いて思い浮かべるものはなんだろうか。 瞑想?ヨガ?坐禅?いい感じの音楽? パワースポットや自然なんかもあるかもしれない。 では、どうして"Spiritual"を求めるだろうか。 求める人がいるのだろうか。 それは、私たちは皆、"desire"を持っているから。 では、私のdesireはどこにあるのだろうか。 私は何を求めているのだろうか。 サマリアの女とイエスの会話の場面を見てみると、 イエスはサマリアの女のdesireを知っていたことはわか

      Theological studies and writings-4