空想を伝えるには変換作業が必要だ

 先日、とある企業が架空鉄道のコンテストのようなものをX上で募集していました。個人的には「いろんな切り口のあるジャンルなのにずいぶん乱暴な集め方をするなあ」って一瞬思いましたが、これはまさに「相手の思う架空鉄道と自分が思う架空鉄道」の違いなんでしょうね
 当該の企業が想像する架空鉄道は「ここに鉄道があれば! こんな駅がほしい! など自由に想像してねっ」とありまして、いわゆる「自分主体」の架空鉄道なんですね
 ところが俺の想像する、というか鉄道が好きな人が想像する架空鉄道って必ずしも利便性を求めた想像ではないんですよね
 ノスタルジックな憧憬を求めて敢えて不便なシステムを想像したり、純粋に好奇心から「ここに路線を通したらどのような流動が起こるだろう」って考えたり、俺は俺で「この地形に最適化された車両は何だろう」なんて考えます。動機はさまざまですが、そこには当該の企業が想定しうる「自身の願望」が希薄なんですよね
 カテゴリからすりゃあどちらも架空鉄道ですし、どっちがよくてどっちが悪いという性質のものでもないのですが、当該の企業は「願望の入らない架空鉄道」については基本想定していないんじゃないかな? って一瞬思ったんです。それを知らずに架空鉄道つくってる人が「願望の薄い」架空鉄道をボンガボンガ応募して来たら「なんじゃこりゃあ?」って思うんじゃないかと思ったんですよ。少なくとも彦島電鉄は間違いなく理解してもらえると思えません。俺個人は唐戸と彦島を結んだ鉄道があったとしても何か利益を享受するわけではありませんし、俺のライフスタイルに変化があるわけでもありません。ただ小規模な郊外電車を設定する規模として下関市が適正だった。それだけの理由しかないんです
 むしろメインは、2モータ永久並列44段のコントを吊った1500形だとか、ギアリング6.55を空転させないための電流制御に最適化した1600形(GTOの推定式方式でギアリング6.55は雨の日しんどいと思いますよ)とかそっちがメインです
 もし仮に俺が彦電をコンテストに出すなら、いったん別の形に翻訳します。てめぇのやりたかった車両技術に関しては一切封印して、海を背景に走る小さな電車をイメージした世界をどう表現するかにリソースを投入することでしょう
 下関の駅を降りて、2両つなぎの小さな電車が町の中心である唐戸にいざなってくれる情景、そして「下関にこんな電車があったらいいなあ」と見る人に思わせるような構成に作り替えると思いますし、逆に言うとそういうサイトでなければ、彦島電鉄をコンテストに出す意義なんてないと思ってます
 なんせ現状の彦島電鉄は俺に100%最適化されています。ですからこれを他人に理解してもらえるなんて思ってもいません。ただ俺がいちばん表現したいことがこれなので喜々としてやっているだけの話です
 個人の空想を他人に伝えなくてはいけないという架空鉄道の性質上、それが無邪気に第三者に伝わると思って安易に応募するのはちょっと想像力が足りなくないかい? と思ってしまうのです
 もちろん応募するなと言ってるわけではなくて、そういった「分かる形への変換作業」の手間を惜しんじゃだめだよね~という話ですね
 言っちゃなんですが「架空鉄道」のコンテストでも「鉄道車両」なんて誰も興味持ってないと思うんですよ。車両を見せるなら相当な変換が必要だと思います
 俺はそんな作業に面白みをまるで感じませんので応募しません
 ていうかそもそもの話、Xのアカウント持ってないので応募資格そのものがないのですが