現実が架鉄に追い付いた?

 たまに自分が考えたことが実際の鉄道にも取り入れられたりすることがありますが、実際にこんなことが起こったら俺としてはかなり屈辱です。だって「実際に起こりえる程度のことしか想像できませんでした」という冷たい結果なのですから
 俺は架空鉄道に「リアル」という概念を持ち込みません。空想の翼を目一杯広げてつまらない現実を無視して悠遊と大空を飛びたいんですよ。だから基本、現実のことは考えず架空鉄道を構築していきます
 「ハッタリ」のために現実の事象をエッセンスとして取り入れることはありますが、それはあくまでもエッセンス以上のものではありません。アイスクリームを作る際にバニラエッセンスを数滴たらすとバニラアイスの味に深みが出ますが、一瓶ぶち込めばバニラアイスの味自体が破綻します。空想と現実のバランス、この味付けには常々慎重になりたいと思っておりますが、なかなかうまくいきません
 で、話を戻しますと「空想として考えたことが現実で実現した」。というのは、「自分の空想がしょせん現実で可能な程度のありふれたものである」という結果であり、想像力のなさを恥りこそすれ、自慢できるようなことではありません。だからこれは自分にとって「屈辱」なわけです。「カネさえあれば実現できること」を想像することは、俺の中では想像とは言えません
 荒唐無稽にならず、かつ現実で実現できないような想像性。このナイフのエッジを歩くようなバランスを創りこむことこそ、俺が目指している架空鉄道なのかもしれません。そんな繊細なバランスを歩くんですから、こざかしくきれいにまとまる余裕なんて当然ありません。とびだした部分をほかでバランスしたりどこかを削って調整したり…
 不格好です。実に不格好です。しかしこれこそが「バロック」の神髄であり、迫力ではないでしょうか。俺には一刀彫のイコンを創れるような才覚はありませんので…まあ
 彦島電鉄は現実にあるガジェットを用いて現実では起こりえないようなシステムを組んでいます。もし仮にその一部が現実で実現したのなら、俺の想像力の敗北です。どこか「きれいにまとめようとした」自分のスケベ心がノイズとして混ざったわけです。あるいは経験不足、知識不足でその一歩先を踏み出せなかった未熟さの露呈でしょう
 「美しく破壊する」には、繊細な粗っぽさが必要です。何も考えずにぶった切ればそれはただの「雑」ですが、切り口をしっかりと見定め、一刀両断に叩ききればそれは、荒々しさとして人を魅了します。左甚五郎の『昇り龍』は荒々しい作風ですが決して「雑」ではありませんよね? 
 この荒々しさは「デフォルメ」と言い換えてもいいかもしれません。表現したいことを極端に強調し、それを荒唐無稽に陥らない繊細な仕事でカバーする。これが「荒っぽいけど雑ではない」表現といえるでしょう。現実にはあり得ないようなものをさもそれがあるように思わせる。俺が目指している表現はそこにあるような気がします
 「リアル」なんてものは、現実を尺度にした想像力の足りない表現にすぎません。俺が求めているのは「現実にありそうなワンダー」であり「面白いデタラメ」です
 決して「現実」ではないのです