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夢【前編】

2歳の頃から記憶があった。
みんなの前で歌ったり踊ったりすると、歓声を上げて拍手される。
音楽が流れると、身体が自然と動く。踊りで表現したくなる。
それが美彩にとって喜びを感じるものだった。


小学校に上がって分かったことがある。
歌ったり踊ったりすることは、誰にでも出来るものだと疑いもしなかった。それが出来ない子もいるのだと知った。
音楽の時間、みんなでドレミの歌を歌った。後ろの方からなんとも言えない調子の外れた歌声が聞こえる。
美彩は耳を覆いたかった。
「なぜ、音程を取って歌えないんだろう」そのことを直接、その子に言った。

「美彩ちゃんなんて、キライ!」

美彩はその日から、クラスの子たちから異質のような目で見られてだんだん孤立していった。
何も言えなくなっていった美彩は、影の薄い存在として烙印を押された。
大好きだった歌や踊りもやらなくなっていった。

ある時、街で母親と買い物をしていると偶然、ダンスの先生に会った。
「美彩ちゃん、最近ダンスクラスに来なくなちゃってどうしたの?」
美彩は母親の後ろに隠れた。
「先生、すみません。急に行きたくないといいまして…」
「あんなに上手に踊れる子はいませんよ! また、クラスに来てくれると嬉しいんですけど……美彩ちゃん、先生待っているからね!」
美彩は下を向いて先生の顔を見ることは出来なかった。

美彩はどうして自分がこんなふうになってしまったのか、分からなかった。
「美彩ちゃんなんて、キライ!」と言われた日から、みんなが遠巻きに美彩のことを見て何か喋っている。美彩とは話をしてくれない。
そんな重い気持ちを抱えたまま中学校を卒業した。

このままではいたくない。高校に入ったら新しい気持ちで乗り越えようと思った。

高校へ入学して美彩は合唱クラブに入った。やはり歌は歌いたい。どうしても歌を歌いたい。それだけだった。
合唱クラブの顧問の先生は、新一年生を呼んで一曲ずつ歌わせた。その人の声質を知りたかったからだ。
美彩は緊張した。随分と歌を歌っていなかっただけに上手く歌えるか心配だった。

「あなた…何か悩み事でもあるの?」歌い終わった美彩に先生は言った。
「いえ、何もありません…」美彩は蚊の鳴くような声で言った。何か見透かされているような気がしてこの場を早く立ち去りたかった。でも、ここでまた逃げ出すようなことをしたらまた振り出しに戻るだけだ。
『歌が歌いたい』それだけで来ている。そんな安直なことではダメなのか。
美彩の中でグルグルと想いが駆け巡った。
「先生……あの…私は歌が歌いたい。それだけなんですけど」
「そう、じゃ、あなたはソプラノね」
先生は優しい口調で言った。

ある日のことだった。
合唱クラブの顧問の先生が私を呼んだ。
「美彩さん、あなた合唱コンクールに出てみない?毎年7月に県大会があるの。そこでソロパートを歌って欲しいんだけど、どうかしら」
「あの…その…」
「どうしたの? やっぱり心配事があるんじゃない?」
美彩は重い口を開いた。
「あの…先生、私、小学校の時にクラスに音痴な子がいて…その子になんで音程を合わせて歌えないの? って言ってしまったことがあるんです。そしたらその子に『キライ』って言われてしまいました。その時素直に思ったことだったので、人を傷つけるとか思わなかったんですよね、デリカシーがなかったというか…それから誰も私とは口を聞いてくれなくなりました。だから、目立つようなことをすると…怖いんです」
「そうだったの、ずっと一人は寂しかったね。でも、子供の頃はしょうがないんじゃない、なんでも素直に言ってしまうことってあるから。今、美彩さんはちゃんと自分自身のことを分かっていると思うよ、大丈夫だと思うよ。だから自信を持って」

ずっと言えなかったことを言えた。
先生にそう言われて、少しだけ肩の荷が下りたような気がした。

来週につづく…

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