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読書ノート「Dark Horse 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代 」


久しぶりの読書。
既存の成功ルート(学者になるには一流大学を卒業して云々)を外れていたにも関わらず型破りな成功を収めた人「ダークホース」について書かれた本。

・現在は「個別化の時代」。過去の「標準化の時代」は時代遅れとなりつつある。
「標準化の時代」とは、均一性を重視し多様性を排除することで世の中に安定した品質のサービスやモノを供給してきた。それがうまくいくと、個性的であることは問題である、という考えにもつながる。モノが標準化されることは安定感にもつながるし品質も管理しやすいが、それが人間自身にも向き決められた枠内の人間が評価され、それに乗れない人は弾き出されるということにつながると不幸が始まる。
→標準化することでモノはコントロールできても、人間を型にはめていくことの弊害は周りでいくつも起きているように思う。決められたルールに従わせて反抗的な人間を排除するというのはどこでも当たり前のように行われているし、むしろ会社員はそれが当たり前と染み付いている。でも、これで不幸になっている人とっても多そう。。

・「自分の目的地を知り、それに向かって懸命に取り組み、コースから外れるな」という成功法則は賞味期限切れ。
→これ、前に読んだ山口周さんの本でも同じような文脈の表現があった。今の時代は「これさえやれば成功する」と言うものがなくなってきているからこそ、他者に勝つと言う概念を超越した、自分自身に湧き上がる興味関心を磨いて充実した人生を送りましょう、と言うメッセージをよくみるようになってきた感じがする。

・成功の定義「他人のことについては、金と力が成功の要件だが、自分自身については、個人的な充足感や達成感を成功の要件とみなす」と言うアンケート結果がある
→これ分かるような気がする。他人を見るときはその人の心情までは見えないから、外から見えるわかりやすい尺度で成功を測りがちだけど、自分自身はそんなわかりやすいものよりも充足感の方が大事じゃないかって思うという。

・「ダークホース」の人たちは際立った能力や類まれなる才能を持っているという共通点があるわけではない。唯一の共通点は「自らの充足感を何よりも大事にしている」と言うこと。
→好きこそものの上手なれ、という感じかな。違和感のあることはやらない、自分の充足感を追い求めて動き続けて成功した人たちということらしい。

・従来の「成功を目指して努力を重ねればいずれ充足感を得る」という考え方ではなく、充足感を追求する(自分自身にとってかけがえのないことに熱心に取り組む)→結果的に成功する、というスタイルがダークホースの人たち。

・私たちの人生全てが標準化されている。決められたように学校へ行き、就職し、退職して年金を受け取る。このルートで成功するためには充足感を犠牲にしていろいろなものを我慢し、懸命に努力することでそのルートを安定的に進んだ末に待っている幸福というご褒美を得るために頑張っている。ただし、その先に本当に幸福があるかは・・?

・自分自身にとって充足感を与えるモノが何かを探すには小さなモチベーションを見つけることが重要
→私だと、歴史が好き(実際にあった人間の作り物でないリアルなドラマティックな話が好き、なぜ今現在こうなっているのかの成り立ちを知るのが好き、今現在にないけど昔に確かに存在していたものを見るのが好き)、地質が好き(モノの成り立ちを知るのが好き)、哲学が好き(物事の本質を見極めるのが好き)、家庭菜園が好き(植物を育てるのが好き、観察していると面白い、うまく育つと嬉しい、自分で食べるものを自分で作るということに充足感を感じる、生ゴミで堆肥も作って無駄なく食物を使い切れたことに喜びを感じる)など。こういった小さなモチベーションに目を向けて大切にしていくと充足感を感じるというのはよくわかる。

・何気なく自分が他者を評価した場面で、どういう気持ちが湧いてきたかを見つめると自分の小さなモチベーションを見つけやすい。他者に対してなぜそのような気持ちが湧いてきたかを自問すると、自分が何を大切にしているのかがわかる。

・私たちは自由に選択できると思い込んでいる。但し、選べるものは限られている。例えば大学は選択はできるが、学べるものや講義時間や受験方法などは決められているものばかり。それは自由に選択しているのではなく、決められた物の中から単純に「指定」させられているだけであり、そこに自由はない。私たちは、標準化された社会に自由に選択したと思い込まされているだけである。
ここから逃れるには、自分を理解し、自分に合った選択を探し出すことが重要。

・「どの戦術が1番良い?」→戦術を使う人間の個性を考慮に入れずにどの戦術が最適か判断できるわけがない。何かをマスターしたいならまず自分自身をよく知るべき。自分自身の強みを案内役にして自分に最も合ったやり方で物事に取り組むのがダークホースのやり方。

・個人の持つ強みは動的で捉えどころがなく状況によって変わるものである。このため、試行錯誤を繰り返し失敗を何回も味わってこそ自分の強みがクリアになってくる。しかも、その強みはどんどん変わっていくものである。(失敗を経ることで強化される)

・学校では、一学期、二学期など標準化された時間を規定して管理しているが、それに従って得をするのは従った側にはなく制度を運営する側だけ。また、時間さえかければ上達するというのは大きな間違いで、ダークホースたちにとってかけた時間は全く重要ではない。なぜなら、得られた結果の方が重要だから。

・ダークホースは目的地は無視するが、達成可能な能動的な選択に基づく具体的な目標は重視し、目の前のことに集中する。
目的地とは「大学に合格する」というようなもの。これは標準化されたシステムに則って規定されたものである。
→昇進する、とかも目的地に該当しそう。自分が本当に目指したいと心から思うものを、自分の強みを把握した上で、自分にとってピッタリくる方法で目指すのがダークホースのやり方。ということらしい。

・才能は限られたものだけにあるというのは思い込みである。そもそも有名大学ですら、その時に志望する学生がどれだけ有能であろうと定員が増えることはなく、単純に決められた数で足切りする。このように「才能の定員制」を設けていることで、組織の単純な規定によって才能を稀な存在として作り上げているだけ。

・一側面で才能を測ることは間違っている。人は多次元的に才能を持っているため才能にはばらつきがあり、一側面でその人の才能を測ることはできない。標準化されたシステムは、人の才能を余すことなく伸ばし発揮する機会を奪っている。


今の世の中、個別性がより重視されてきていて、充足感を味わうことに対して探求することの市民権が昔より出てきた感じがする。但し、標準化の威力は強力でそこから抜け出るのもなかなか難しい。一方で、標準化された仕組みからは測ることのできない人の才能は確かにあり、今後それを開花させていく仕組みが重要視されるようになりそうと思った。
人間を型にはめて管理するのではなく、その人が何を重要視していて、何に強みを持っていて、どうしたいのか、どうありたいのかを大切にしながら、充足感を感じるような仕事に取り組んでもらえるように会社も取り組まねばならない時代に入ってきているのかも。
(じゃないとどんどん環境の良い会社に優秀な人逃げていくよね)


と、書きつつ、私自身も会社側の標準化された理論に支配されているなと思ってしまった。。
会社が充足感を感じる仕事を与えるんではなく、個人個人が、充足感を感じる体験を大切にして、自分にしっくりくるやり方で、機会を逃さず取りに行け、ということなんだよね。
型にハマるな、自分で考えろ、嫌なことは無理してやるな、今を大切にしろ、と始終言われ続けているような本でした。

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