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【インタビュー】大里みずきさん:地域を面白がり、デザインする

私の中にあるブランディングの定義は「なりたい姿の形づくり」ですが、そこに「ありのままの良さ」が必須のスパイスだと教えてくれた人がいます。

福岡県嘉麻市熊ヶ畑を舞台に、地域の出来事や人々の日常をありのままに発信するインスタグラム「くまがはた」です。私がいつも投稿を楽しみに待っているアカウントです。


現在、「地域を自分たちで面白がること≒自治力」というテーマのもと、出身地である熊ヶ畑地域のデザイン(ブランディング)に携わっているのが、運営者の一人、大里みずきさんです。

元々共通の友人を通じて知り合ったのですが、地域デザインという一言では表し切れない、とても興味深い活動をしている彼女。ぜひお話を聞かせてほしいとお願いしたところ、快く引き受けてくれました。

地域ブランディング、コミュニティデザイン、地域創生、自治力などのキーワードに関心がある方にとっては、とても面白い記事になっていると思いますので、ぜひ読み進めていただけると嬉しいです。



大里みずき
福岡県嘉麻市熊ヶ畑出身。東京のまちづくり会社にて拠点運営やファシリテーター、スタートアップ企業などの支援やアドバイザーを経て、独立。故郷に拠点を移し、地域のミライを考えるコーディネーター人材の育成プログラム立案・実施をはじめ、その他地域メディアの立ち上げや運営などに関わる。インスタグラム「くまがはた」を運営、地域を自分たちで面白がる様々な試みを行う。


元々、故郷を拠点に活動したいと思っていましたか?

大学生の時に同級生と、将来は地元で何か面白いことやりたいねと話していました。昨年の8月に姉が地元でビジネス(パン屋さん)を始めるために帰ることになり、私も同じタイミングで帰ることに決めました。それまでは東京で仕事をしていましたが、公民館のしあさっては、デザインのしあさって!?というプロジェクトに携わり、地域に関連した活動により関心が高まる中で、自分の活動として継続するために故郷に戻ったのは必然のタイミングだったと思います。

また、一度故郷を離れて様々な経験をしたことが、今の私を作り上げていると思います。特に熊ヶ畑は特別な場所じゃないと思えたことが大きな学びの一つです。これは地域の置かれている状況の話で、同じような地域は全国にごまんとあります。その中で唯一無二であるためには 、自分たちの手で活動を作るしかないと実感しました。これまでの経験から、地域のことを掘り下げると、その地域にしかない面白みが出てくることを知っていたので、熊ヶ畑で活動を始めた際もその気持ちに曇りはなかったです。


地域をデザインする活動で、大切にしていることはありますか?

「ブランディングは、わざわざ外に発信しようと頑張らなくても、内側をちゃんとやっていけば、それが勝手に外に滲み出て行く」です。これは以前、大阪のクリエイティブユニットgrafの服部さんに、地域ブランディングという観点で取材をした際に伺ったお話です。また、安西水丸さんの個展に行ったときに見た「個性は出すものではなく、滲み出るもの」という言葉も好きで、両者には共通する点があると感じています。とても納得しましたし、本当に格好いいと思って、肝に銘じている言葉です。このアイデアから着想を得て、私たちの活動の方向性も考えました。基本的なスタンスは、内側(熊ヶ畑)を自分たちで盛り上げること、その入り口は常にオープンにし、入るかどうかは足を運んでくださった方々の好みにお任せする。これは結果的に、地域の力を高めること、自分たちの活動を属人化させないことに繋がると考えています。


インスタグラム「くまがはた」を始めたきっかけは何ですか?

活動のアーカイブを残すためです。まずは内側(熊ヶ畑)の人たちが楽しむことに焦点を置き、その姿をSNSを通して少しでも伝えられるよう、日々運営しています。同世代で熊ヶ畑から外に出た人たちがインスタグラムを見て、実際にイベントに参加してくれたこともありました。熊ヶ畑のありのままを少しだけ視点をずらして発信することで、SNSをやっている地域のおじちゃんおばちゃんたちが「なんだか自分たちの地域ってステキ!」と面白がってくれており、それが何より嬉しいです。あくまで、外から人を呼んだり、注目を浴びることは今のところ目指していないので、内側の盛り上がりをいかに作り、それを発信していくかだけを大切にしています。


「フリー麦茶」と「くまがはた展〜今の熊ヶ畑の当たり前っていつから当たり前だったんだろう展〜」について教えてください。

「フリー麦茶」は熊ヶ畑の魅力をヒアリングするための場として始めました。活性化センターという建物の一角で、麦茶とかりんとうを置いて、地域の人と気軽におしゃべりする場を作りました。立ち寄ってくれた人が雑談まじりに色々な話をしてくれ、その中には地域の魅力や課題も含まれているので、まさに絶好のヒアリングの機会です。アンケートなどの形式的なスタイルでは、特に高齢者層からの意見を拾いづらいと考え、目的達成のためにあえて違う方法でコミュニケーションをデザインした結果、住民からの生の声を聞くことができました。


「くまがはた展」の主な目的は、地域のこれからについて皆で考える機会を作ることでした。公民館などの施設建て替えが数年後に控えており、水面下では今後のまちづくりについて行政間で話し合いが進められています。そこに住民の意見を取り入れようにも、意見の集め方が分からない、そこで展示会を企画しました。実は企画当初、展示物となる地域の歴史資料が公の施設に全く保管されていないことが発覚しました。つまり、各家庭に保管されている資料や写真を展示会に持ってきてもらう他はないということです。結果的に資料を持参してくれた方に語り部もしていただき、来場者同士で会話が飛び交い、地域のこれからを考える場が生まれました。当初の私は資料を沢山集め、完璧な展示を作って披露すると意気込んでいましたが、それだと資料を見て帰るだけのつまらない展示になるんですよね。“完成されていない状態”であったことが、予期せぬ展示成功のための仕掛けとなりました。


地域での活動を始めてから得た気づきはありますか?

地域で楽しめることを見出して、自分たちで形づくることの大切さを再認識しました。これは私が最終的に目指していることで、難しい言葉で言うと“自治力を高める”ことです。活動当初は、その自治力はどうしたら生まれるのか、熊ヶ畑の豊かな暮らしは何だろうと悶々と問い続けてきました。観光客が増えること、移住者が増えること、それとも大人しく地域を閉じていくことなのか・・。そんな時、五穀豊穣に感謝する霜月祭という歴史ある祭りに参加したことが、私の視界を開くきっかけとなりました。霜月祭では神社に参拝した後、直会(飲み会)をする風習がありますが、その席で地域のおじちゃんがポロッと話していたことがあります。

昔は今みたいにショッピングモールやSNSなどの楽しみがあるわけではない。おまけにここ一帯は百姓しかいなかったので、自然を相手に明日の安泰を願いつつも、大切に育てたお米が自然災害で台無しになってしまうかもしれない。そのような中で、どうにかこうにか自分たちで楽しみを見つけるしかなかった。なので地域の祭りで獅子舞を舞ったり、何かにつけて飲み会開いて、皆でどんちゃん騒ぎをしていたんだよね。

これだ!と思いました。(東京時代にお世話になった師匠の言葉を借りると)エンターテイメントの自己発電が豊かな暮らしにつながるのだと直感しました。それ以来、地域の人に楽しみを見出してもらえるように補助線を引くような活動をしています。地域の困り事を少し角度を変えて見たり、解決策を一緒に考えたり、違うアイデアを提案したり、お茶飲み場を設けてみたり。
 
また、地元に帰ってきて嬉しかったことが一つあります。自分の父親が地域集落に入ってから自宅までの道沿いを約1キロ程度、勝手に草刈りやゴミ拾いをしていたんです。うちの父親、自治してるやんと思いました。集落に入ってきた外の人に、地域が汚いと思われたくないという気持ちが行動の発端だそうです。この地域にはまだその心(地域で楽しめることを自分たちで見出して、自分たちで形づくること)があるんだと思い、嬉しくなりました。


今後の活動の展望を教えてください!

くまがはた新聞の作成と、地域のことを考えるラボのような場所を作りたいと思っています。新聞はすでに作成しており、公民館が年に4回程度発行している季刊誌の号外という形で、本誌では書ききれない身近な出来事を面白おかしく発信する内容です。運営面の話になりますが、展示会から新聞まで、一連の活動は国交省の補助プログラムから資金援助を受けています。行政の補助金を申請したのが私自身初めてだったので、手探りで進めている状態ですが、今後の資金面でのマネジメントについて考える良い機会になっています。
 
振り返ると、私の父親も地域の大きな祭りの実行員をしていたり、祖父も議員をしていたりと、幼い頃から地域のために活動する人が身近にいました。こうなりたい!と思ったことはありませんが、少なからず影響を受けており、自分が今の活動をしているのは自然な流れだと感じています。何より、私は熊ヶ畑の人が好きで、人に興味があります。幼い頃からお世話になった方々は勿論、活動を始めてから得た繋がりも沢山あり、こうした全ての出会いが私の活動の源になっています。これからも熊ヶ畑の人たちと一緒に地域を面白がっていきたいです。


2023.03 大里ちゃん、熊ヶ畑の皆さんへ感謝を込めて

文・瀬島咲希

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