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相手の立場になって考える必要性

先日フリーランスのクリエイター仲間で集まって飲みました。
その時に話題になっていたのが、いい加減な対応をされる
クライアントさんでだったり、無償で仕事を依頼してこようとする
友人や知人が存在すると言う事。

数年前ゴトーアヒルさんが書いたBlogで
どうしてプロに無償で仕事依頼しちゃダメなのか - 原価のある、時間
が読んですごく共感し、シェアさせてもらった。
そしてこのBlogは大きな反響を呼んだ。

フリーランスや個人でやっているクリエイターさんほど
こう言った問題に直面しています。

真面目に真摯に対応してくれるクライアントさんもいる
しかし友人や知人に限って、いい加減にされてしまう事が多い。

数年前、自分はサッカーのサポーターをしていたので
サポーター仲間の知人にゲーフラのデザインをして欲しい
自分のサッカーチームのロゴをパロディで作って欲しいとか
『今度友達が結婚するんだけど、その時に使うお祝い映像を
 簡単なスライドショーでいいから作ってよっ』とか
無償であったり、ありえないほど格安で依頼される事が本当に多々あった。

そしてこう言う人達みんな共通して必ず言ってくるのが
『めちゃくちゃ宣伝する』とか『みんなに紹介する』とか、、、
いや、宣伝してくれるのは本当に有り難い事だけど、
冷静になって考えて欲しい。この人達が宣伝しているのは、
『タダでこんなの作ってくれるよー』とか
『めちゃくちゃ安く作ってくれるよー』って
言っているのと同じ事である。

そして流石に仕事でやっている事なので、金額の提示をすれと
『えっお金取るの??』って言ってくる人達もいた。
友人・知人なので正規の価格ではなく、お値打ちに提示したとしても
そう言う人達に金額の提示をすると、だいたい影で天狗になってるとか
調子に乗っているだとか、お金にがめついだとか、
優しさのかけらもないだとか、散々な事を言われている。

ちゃんと考えてみて欲しい
あなたは、友人がやっている飲食店で
『タダでご飯食べさせて』と言うのでしょうか?
友人がやっている服屋さんで
『タダで服ちょーだい』と言うのでしょうか?
友人がやっている車屋さんで
『タダで車ちょーだい』と言うのでしょうか?
友人がやっている宝石店で
『タダで指輪作って』と言うのでしょうか?

こんな風に考えたら自分が異常な事を言っているのが判ると思うんだけど、
これがクリエイティブな仕事をしていると、こんな当たり前の様な事でも
理解してもらえないって事が本当に多い。

そして、これがまだ世間を知らない学生だったりすれば
なんとなく許してしまおうかなって思ったりする事もあるけど
本当にタチが悪いのは、同じように手に職をつけて商売している人達である。

自分で商売をやっているから、いろんな経費を押さえたい
できるだけコストを抑えたいと言うのは凄く理解はできる。
でも逆の立場になって自分の仕事に置き換えた時に
全く同じ事を言えるのでしょうか?

最近はインターネットの普及によってありとあらゆる業者が
簡単に見つかる時代になった、そしてどの業界も価格競争をしているので
クオリティはさておいて、安さをとことんん売りにしている所もある。
大体その安い所を基準にして、デザイン代とか全く頭にいれずに
高いと言われてしまう事がある。

例えばレストランをやっているシェフが
日頃ハンバガーチェーンなどの300円位のハンバガーしか食べてない人に
自分が一生懸命作ったディナーを高いと言われたらどう思うでしょうか?
大工さんの仕事をしてる人に、ホームセンターでもっと安く手に入るし
この値段で作ってよと言うのでしょうか?

そこには必ず、今までに苦労して得た技術が存在する。
そしてその技術を得るために、計り知れないお金もかかっているし
その技術を最大限に発揮させるプロ仕様の高額な道具だってある
そうした事があってのすべての価格であって、
決して誰でも作れるような物の簡単な価格ではない。

先日知人が『原価で欲しけりゃ、自分で作れ』と言うTシャツを着ていた。
これはほとんどの仕事に当てはまる事だと思うけど、特にクリエイティブの仕事は
人工がほとんどで、その制作までの時間であったり技術やアイデアが形になる。
これはとても見えづらく、なかなか理解してもらえない所でもある。
なので正規な値段よりも安く見積もったとしても、めちゃくちゃ高いと言われる事もあり、フリーランスや個人のクリエイターは仕事の為に泣く泣くクライアントへ
歩みよる事もあるけど、その制作までにかかった時間や、技術やアイデアが
クリエイティブな仕事にとってとても大事なモノなのです。

フレンチレストランのシェフにスーパーで素材買ってくるから、
『この価格でやって〜』『めちゃくちゃ安く作って〜』とか言ってるのと同じで
これって普通にフレンチレストランのシェフを軽んじる行為で侮辱をしています。
自分たちがフレンチのシェフとは言わないですが、そこにはアイデアを生み出すまでの努力であったり、時間をかけて知恵や技術を振り絞っているのです。
時には何も情報すら与えてもらえず制作の依頼だけ来て、全くゼロのに近い所から
自分で様々な情報を時間をかけて炙り出し、そこから少しづつ形を仕上げていく。
決して簡単に仕上がる物なんて事は絶対にない。

友人・知人でも『簡単にチャチャって作ってよ』『適当にフォントを並べて作ってくれればいいから』『簡単に写真並べてスライドショー作って』とかいろんな事を
簡単に言われますが、プロでやっている人が簡単に適当に作ったものを世に出せるでしょうか?  それが大勢の人の目に見られるわけで、それが今までやってきた仕事のクオリティやポートフォリオになってしまう訳で、決して手を抜いて適当に
作る事なんてできないのです。結局いつも通りの丁寧な仕事をして制作するのですが、大体結局は『ここを修正して欲しい』『もっとこうして欲しい』と更に細かく
指示が入り、最初に言ったような簡単や適当とは程遠い事になるのです。

飲食店で簡単に適当でいいから安くしてと言って安くなるのでしょうか??
服屋さんで簡単に適当に縫ってくれればいいからと安くなるのでしょうか?
自分で良いものが作れないから、プロに仕事を依頼して、プロはその期待に答える
だからいろんなプロが成立してるのであって、簡単でいいとか、適当でいい
と言うのはプロに対して侮辱しているのと同じ事だと思います。

どんな世界でも経費やコストを抑えて本当に安く作りたいのであれば
自分で素材を買って、自分で作り方を勉強して、自分で作ればいいのです。
何も難しいことではないし、自分で作るからと言ってプロの人達が
『なんで自分で作るんだよっ』って言うことなんて絶対にありません。
いいものが作りたければ、それなりの対価を支払ってプロに依頼をすればいいし
徹底的に安く作りたいのであれば、自分で全部作ればいいのです。
だからこそ、このTシャツの『原価で欲しけりゃ、自分で作れ』と言う言葉は
本当に響く言葉なのです。

打ち合わせにしてもそうす、フリーランスや個人のクリエイターはクライアント様の所へ行って打ち合わせをする事が多々あるけど、事あるごとに打ち合わせを多々要求してくる所もある。そして打ち合わせへ行けば、大体電話ですんでしまう話だったりもする。打ち合わせへ行くにしても時間や交通費がかかっている事をまず理解して欲しい。 遠い場所から呼ばれる所はクラアントさんが申し訳ない気持ちで
しっかりと交通費をいただけるのですが、たまに交通費取るんだとか、近場の知人などの打ち合わせは交通費等いただけないことがほとんどなのです。
時間や技術を形に変えて、更に安さを求められるフリーランスや個人のクリエイターにとって、この打ち合わせをするたびに自分の利益が減っているのです。

大至急急ぎで作って欲しいと言われ、他の案件より優先的に急いで叩き台を作り
クライアントさんに確認してもらい『細かい修正点は、また連絡します』と言われたままそのままずっと放置される事もあった。もしかしたら忙しくて全然連絡が
できなかったのかもしれない、でも自分の仕事に置き換えた時にそれって通用するでしょうか? 忙しい週末に友人知人から今日19時にお店に行く予定だから席を
空けておいて欲しいと言われ、無理くり席を確保したのにもかかわらず、そのお客さんが20時になっても21時になっても22時になっても来なかったらどう思うのでしょうか? きっと怒りながら「どうなってるの?」って確認しますよね?
この時に忙しくてすみませんと言われても、一本くらい連絡できますよね?って
普通の人なら思うと思います。

最近は連絡手段がLINEでやりとりする事が多いですが、
仕事の話でも平気で既読スルーをする人たちもいます。
遊びでのことなら、『どうしようもないなぁあいつ』で済む話なのですが
仕事においた場合、これは本当に凄く酷い事をしているのです。
こんないい加減な事をされて逆の立場になってた時に、
あなたはどう感じ、どう思うのでしょうか?
果たしてその人を信用できるでしょうか??

苦労して必死でやっている事を簡単に思われて、うまく機能するように考えて
それを実行した時に、何もしてない人から必要ないと言われたり
努力も何もしない人たちが、苦労は人になすりつけて、大きな顔をされた場合
頑張ってやっている人はどんな気持ちになるのでしょうか?
結局は自分勝手な自分がよければそれで良いと言う、相手を思いやる行為を
軽んじているのです。

友人や知人、親しい間柄の人だからとかでもなく、常に相手の立場になって考えて
自分だけ得したいとか、自分が良ければそれで良いと思うのではなく
常に相手の立場になって考えたり、相手の頑張っている事を大事に大切に思えば、
こんなことは少しづつ減っていくんではないのかなって思います。
この世の中に当たり前の事なんて何一つありません。
自分が当たり前だと思っている事全て、影で必ず努力して頑張っている人がいる。

家に帰ったらご飯が用意されていたり、脱いだものが洗濯されていたり
一人暮らしになった途端、母親の有り難みを感じるように、
今まで当たり前だと感じていた事がなくなった時に、きっと少しづつ気づき始めると思いますが、これに気づけない場合はもう本当にどうしようもありません。
子供にしつけと言って綺麗事を並べても、大人で見本でもある自分たちが
全くやれていなかったとしたら、子供たちは素直にそれを守るでしょうか?
相手を思いやり、常に人に優しくしていれば、きっと優しい子に育つと思うし
常にしっかり挨拶をする人であれば、自然と挨拶をする様な子に育つと思います。
子供の頃にたくさんいろんな人たちから教わった事が、大人になるとくだらない
プライドが優先したりして、そう言った事を忘れてしまっている。
相手の立場になって考える事を二の次にしてしまっているので、結局自分中心の
考え方に隔たってしまうと思います。

自分が相手の立場だったらと一度考えてみてください。
きっと自ずといろんな答えが見えてくると思います。


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