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百人一首 #20

この時期になると百人一首を思い出す。
今回は、特に私の好きな首について話そう。

奥山に
紅葉踏み分け
鳴く鹿の
声聞く時ぞ
秋は悲しき

この和歌はシンプルな和歌だが、非常に奥が深い。
なぜなら、この和歌は区切る場所によって、意味合いが変わってくるからである。


奥山に紅葉踏み分け/
鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき

このように区切ると、次のような解釈になる。

人間が紅葉を踏み分けて奥山に入ってみると、鹿の鳴く声を聞いて、秋の物悲しさを感じる。(人間が山奥に入っている)


奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の/
声聞く時ぞ秋は悲しき

このように区切ると、次のような解釈になる。

鹿が紅葉を踏み分けて奥山に入っており、その鹿の声を聞くと、秋の物悲しさを感じる。
(鹿が山奥に入っている)

区切りが違う事で、奥山に踏み分けている主語が変わる。
そして、区切りが変われば、私たちが思い浮かべる情景も変わる。

①は、人間が山奥の中に入り込み、鹿の鳴く声を聞く光景である。
②は、山奥に入り込んだ鹿の声を、人間が遠くから聞く光景である。
(人間は山奥には入り込んでいない)

このように考えると、非常にシンプルな和歌でも工夫が凝らされた和歌になる。
百人一首に選定されているものだから、藤原定家から認められた和歌である。

Simple is Best.
シンプルだけど、奥深い。

どの時代もそんなものが好まれるのかもしれない。
かつてのiPhoneがそうだったように。

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