見出し画像

私が写真を撮っている理由

以前にTwitterでもつぶやいたのですが、最近「何を目指してるの?」と聞かれることが最近多く感じます。
おそらく、周囲の人は「ちゃんと手に職があるのに、どうしてそんなにカメラにお金をかけているのか」ということに対して疑問を感じているのかと思います。

今回は、私がなぜ写真を撮っているのかについて書きたいと思います。

一眼レフカメラを手に入れたのは

iPhone5sで撮った南房総の写真

元々写真自体は撮ることが好きで、小学生の時は写ルンです、中学はコンデジ、高校生の時からiPhone5sで一生懸命撮っていました。
(上の写真は実際に5sで撮っていた南房総の写真)

そんな中、一眼レフを手に入れたのは、専門上がった時です。

広告などのデザインを学ぶにあたって、自分で写真を撮って、それを課題に使いたいという思いが元々あったので、一生懸命貯めたお金で奨学金で賄えない入学時の学費を払い、学校で必要なMacを買い、残りのお金で購入をしました。

専門に上がった時は、課題とバイトで忙しくて、カメラを使う機会はほんとに課題をやる時くらいしか無かったので、とりあえずAutoで撮りまくってはPhotoshopで明るさのみを調整をするということを繰り返していました。
あとは切り取ってみたり、、そんな感じです。

小中はほんとに撮りたい!っていうだけで撮ってました笑笑
撮ったあとの事とか、芸術だとかそういうのではなく、振り返りたいっていう気持ちだけで撮っていましたね。

本気で「撮ろう」と思ったきっかけ

就職した後、色んな場所に行って、写真を撮って、レタッチをするという一連の流れがいつの間にか楽しくなっていて、撮り続けていました。

私はその当時は写真のTwitterなどはやっておらず、単にほんとに「自分の写真を楽しむ」という目的でしかありませんでした。
人からの評価などは全く気にせず、ただ単に自分が好きで撮って、好きなようにレタッチして、自己満足しているだけでした。

そんな中で、河津桜が綺麗な季節がやってきました。
私は河津桜のピンク色がとても好きなので、河津桜は絶対に撮りたい!と思っていました。

河津桜を求めて色んな所へ行きました。

たまたまそのあとに祖母の三回忌があり、一人暮らしをしていた祖父の家に行く機会がありました。
まだ少し落ち込んでいたようだったので、これで元気出してくれるかなと思い、
「おじいちゃん見て〜!すごく綺麗だったんだよ!」
と写真を見せると、普段は頑固でそんなに景色とかに関心がなさそうなイメージだったのですが、
「おー!すごい綺麗だな。どこで撮ってきたの?」
と祖父との話が初めて盛り上がったきっかけになりました。
その時に、「写真1枚でこんなに人の心を動かせるのか」と思いました。
「これからはソメイヨシノの季節になるから、また撮ってくるね!」と私が言うと、祖父は笑顔で「楽しみにしてるよ」と言ってくれました。

しかし。

祖父は3月末に急に入院すると電話での連絡が両親に入り、その日の午後には人工呼吸器を付けるほどまで悪化してしまいました。

この時、コロナが猛威をふるい始めた頃で、肺炎だった祖父は隔離されてしまい、PCR検査を2度受けて陰性でないと面会はできないと言われ、当時は1週間かかったので、ずっと面会を許されないまま待たされました。
両親と私の弟は面会に行けましたが、私は仕事のため行けず、面会ができるようになった週末である私の誕生日に行くことにしました。

しかし、面会に行けることもなく、私の誕生日の前日に亡くなってしまいました。

近所の桜の写真を少し撮っていて、次会ったら見せようと思っていた矢先の出来事で、とても悔しかったのを今でも覚えています。

実際に感じた「写真の力」

祖父の家で遺品整理をしていた時、期限がとっくに過ぎている使いかけの写ルンですを2つ見つけました。
何枚か撮られているので、中身が何か気になり、残りの数枚を自分で撮ったあと、現像に出すことにしました。

その写ルンですを撮り終えて、現像に出すと、
そこには日付と時間、天気を自分で紙に書き、闘病中の祖母と一緒に撮っている写真でした。
祖父は闘病中である祖母とのその瞬間を残し、それを振り返るために撮っていたのだと思いました。

たとえピントが合っていなくても、失敗していても、そのシャッターを切る事に意味があるのだと感じ、写真にはこんな力があるというのを改めて感じた出来事でした。

「もしかしたら、携帯も、、」と思いましたが、その時にはもう私は携帯ショップでたくさんの祖父と祖母の破棄していない電池切れの携帯を持ってきていました。

番号が呼ばれて、「これを全て破棄したいんですけど」と言うと、「データを全部削除するために電源を入れますね」と言われ、契約書に署名をしている間に、電源が次々とつく携帯。

そして、その全ての携帯の待受画面には私と弟の幼い時の写真が。

私は携帯ショップで泣きそうになりました。

それを感じたのか、携帯ショップの店員さんは、「このデータ見ますか?もし残したいものがあれば残せますが、、」と言われましたが、携帯ショップを込み合っていて、見始めたらキリがないと思い、「大丈夫です。そのまま削除してください」とお願いしました。
なので、その携帯の中にはどんな写真があったのかわかりません。

でも、私達のこととても大事にしていてくれたことを改めて感じました。

私が目指すもの

髪が長い時のポトレ撮ってる私

私が写真を撮っていて、1番目指したいと思っているのは、やはり「心に寄り添う写真」です。
「うわぁ〜ここ綺麗!」とか
「こんな時あったよね」とか
私の撮った写真を見て思えるような物を目指しています。
やはり、写真というものの良さは、思い出話のタネになることもありますし、今あるその瞬間しか撮ることができない、それが写真の良さだと思います。
その写真の良さを存分にいかせるのが「心に寄り添う写真」だと私は考えます。

あとは、グラフィックデザイナーとして、独立した時に、写真も撮れるグラフィックデザイナーだったら、撮影依頼もする必要がなくなるので、仕事の幅も広がる上に効率も良くなるのではないかと考えてます。
しかし、グラフィックデザイナーとして、写真を撮る際はやはり万人受けするものの方がいいものや、商品を際立たせるための写真の撮り方などの勉強が必要になってくると思うので、そこは今後勉強しながら経験を積んでいくべきかなと思っています。

「私らしい」写真を撮るために

Tokyo Disney Sea

写真はどうしても同じような構図やレタッチで「この人のように撮ってみたい!」と一度は思うと思います。

写真は同じようなものを撮っているようで、時間が違ければ違うものを撮っていると言っても過言ではないと思います。
例えば、風景の写真を撮ったとして、同じアングルで撮ったとしても、鳥が空に飛んでいるか飛んでいないかでも違う写真になりますし、日によって雲の形すらひとつひとつ違います。

私もこの人のように撮ってみたい!と思ったこともありましたが、(もちろん設定や機種などもあると思いますが)夕日のグラデーションの仕方ひとつでも全く雰囲気が違くなりますし、全く同じグラデーションは二度と現れないと思うと、写真のシャッターを切るタイミングと運がとても大事だと思います。
もちろん、自分のシャッターを切るタイミングや運が良ければ「よし!大勝利だ!」と思うこともできますし、そこは一丸に「こうすると同じに撮れる」とは言い難いなと思います。
ひとりひとり感覚も何もかも違いますし、、そう考えると、写真1枚どんな写真でも奥が深いんです。

それが楽しいんですよね!

「センスがある」
「センスがない」

別にどっちもないんです。
言っちゃえば、どんな写真でもその1枚がもうどれも作品になってるんです。

私なりのこだわりとして、「私らしい写真」を撮って創るために、特に操作方法以外のこと(こんな雰囲気にレタッチする方法みたいなものや構図のこと、販売しているプリセット)は一切買ったりせず、内容も極力見ないようにしています。
なぜならそこで見てしまったがために、固定概念が生まれてしまったり、自由な発想が生まれなくなってしまうからです。
自分で創った、これがいい!と思った写真そのものを皆さんに見ていただいて、それに対していいね!を貰えたり、コメントやRTを貰えたりするのはとても嬉しいことです。

固定概念が生まれるのが怖い

アート作品などとは違くて、芸術作品やデザインに関しては固定概念が生まれやすい傾向にあると思います。
例えば、デッサンで「上手いデッサン」は細かく質感までも表現できていて、陰影が写真のように綺麗に描かれているものを指します。
「下手なデッサン」はその逆ですよね。
質感や陰影を細かく表現できていないものに対してそういう風に言われます。

それが「固定概念」です。

別に「陰影と質感を表現して作成しなさい」とは言われていないのに、授業じゃない場所でもそう思われがちです。

私がデザイナーになる前、専門学生の頃はデザイナーとして色々な発想をして色々試してみたりしていました。
写真と文字でかけてみたり、文字をバラバラに置いてみたり。

しかし、グラフィックデザイナーとして働くようになると、「人に見やすい、理解されやすいデザイン」を求められるため、固定概念が生まれてしまい、決まった形や、決まった感じのデザインになってしまい、気づけばそんな自由な発想が自然に生まれなくなってしまっていました。

自由な発想ができる間は自由な発想を大事にしたいと思った結果の「独学」です。

「こういうふうに構図考えるとこうなるよ」っていうのは個人の感想だと私は捉えています。
なるほど、そういう表現方法もあるんだな〜
ってくらいで自分に取り入れたり、そんなに真に受けたりはしないようにしています。

機能とかは知らないと損するのでどんどん知りたいですが!!笑

これからもよろしくお願いします

こんな私ですが、これからも私らしく写真を撮り、私らしく投稿していこうと思っていますので、よろしくお願いします!笑

ちなみに、私が最も表現したいと思っているのは、「光」です。
光をどう表現するか、ということが私の中でずっと課題にしていることです。
でも光というのは自分の目で見る方がどうしても勝ってしまうなぁ〜と思いますね泣

では、また今度〜!

この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?