一目惚れ

忙しなく行き交う人々の頭上には、彼らの何十倍もある高さの建物が空に向かって伸びていました。青空のどこかで輝く太陽は隙間なくそびえるコンクリートの林によって隠されていました。新宿はいつでも人で溢れていて、下手に立ち止まろうものなら四方八方から不機嫌な表情が舌打ちとともに飛んでくるので、地図を確認したり誰かを探したい時は邪魔にならない壁際に行かねばならないのでした。
はじめの頃こそ、この街の迷路のような地形を覚えられず自分がどこへ向かっているのかわからなくなったものでしたが、何度も訪れれば慣れるもので濁流のような人の流れもすいすいとやり過ごせるようになりました。
私は午前中に講義を受けた後、人と会うためにこの巨大な街を訪れていました。改札を抜けて約束の西口へと向かい、ガラスの扉を抜けたところで携帯の画面を確認しました。
「いまどこ?」と文字を打ち込み終わる前に着信がかかってきました。素早く電話を耳に当てながら同じポーズをとった人がいないか周囲を見回しました。
「着いた?」聞き慣れた声が電話からきこえてきました。
「西口着いたよ。どこにいる?」
「外」
「外なのはわかるけど」
多分あの人だ。と思い近づくと、その人はふわふわしたスカートの女性と合流し歩き去ってしまいました。
「どんな服きてる?」
こちらも聞こうと思ったところでした。
「黒いTシャツに白いショートパンツだよ。花柄。」
そういいながら目を細めて遠くを見ようとしました。最近とても視力が落ちたのでそろそろ眼鏡を買わねばならないな、などと考えていると
「見つけた」
今度こそ本物です。携帯を耳につけたまま道路の方を眺めている青年を見つけました。よく晴れた天気の下で空に似た派手な色の髪をきっちりセットし、痩せた体に張り付いた服は彼の雰囲気にぴったり合うものでした。そういえば髪を染めている話を聞いたような。と思いながら電話を切りました。
「おまたせ」
青い髪の青年がこちらを向いた瞬間、彼のと思われるにおいがしました。不自然でないようにスンスンと匂いを吸い込みながら顔を見上げると、子犬のような人懐こい表情が見下ろしていました。まずい、思っていたより背が高いぞ。
「こっち」
そういいながら歩き始める彼の後に着いていきます。ビルに囲まれたジャングルでは9月も半ばだというのに顔がほてるほどの熱気がこもっていました。すっかり歩き慣れた街なのでそう簡単に迷子にはなりませんが、脚の長い彼の歩みはおろしたばかりで馴れない靴を履いた私の足では付いていくのに精一杯でした。それでもそんな事は表に出さず、済ました顔で都会っ子を演じる自分をなんだかいじらしく思いました。するとこちらの心を読んだのか、一歩先を歩いていた青年が立ち止まって私を服の青木のビルの方へ押しやると並んで歩き始めました。ははん、いまどきそんな古い手が通用するかね。私は心の中でほくそ笑みましたが、同時に酸っぱいものを食べた時のように頬の内側が痛みました。そしてその時私はこの素敵な青年に心を奪われはじめたことに気づいたのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?