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レモン懺悔

今日。春の陽気に誘われて、朝に少しだけ散歩した。夏の前日みたいな日差し。さわやかな風。気分がよくなって大きく深呼吸すると、体に溜め込んでいた悪い何かが外へ抜けていったような気がした。そしてふいに思った。「冬にやってこなかった些事を片付けよう」。

家に帰ったその足で、冬のあいだ一度も開けたことのなかった西側の窓を開放した。風が通り、よどんだ空気が循環する。窓のサンのホコリを雑巾で拭う。ついでにテレビやカーテンレールも乾拭きする。たったそれだけのことなのに、ものすごい達成感だった。腰が重くて実行に移せなかった小さなタスクが次々に片付いていく。いいぞいいぞ、そのままいけ!
勢いのついたわたしは、床の水拭きを決行した。「冬の数カ月、先延ばしにし続けてきた、あの『水拭き』を、今、終えようとしている……!」。心が勇み立ち、武者震いした。
床の水拭きを完遂し、向かうところ敵なしとなったわたしは、1週間ため込んだレシートの束を引っ張り出して家計簿アプリに打ち込んだ。そして間髪入れずに歯医者の予約をし、驚くなかれPayPayのオートチャージ設定まで完了させしてしまった。「惚れてまうやろ……」。己の鮮やかな手さばきにほれぼれして、思わず独りごちる。

キレイに片付いたアパートの一室で無双となったわたしは、そのままズンズンと台所に進んだ。そしてむんずと掴んだのは、どんよりと黒ずんだ4つ楕円体。何を隠そう、これらは昨年末に庭先で収穫したレモンだ。7つ収穫したうち、消費しきれず残されてしまった4つ。表皮の水分は失われ、固く、黒く、小さくなってしまっている。「いつか、いつか」と思いながらここまで来てしまった。己の怠惰が招いた最悪の結果に胸が痛む。しかし立ち止まってはいられない。わたしは今から4つの楕円体を処分するのだ。いや待てよ。どうせ捨てるなら、割って中身を確認してからでもいいのではないか。死んだレモンの中身はどうなっているのか。怖いもの見たさの好奇心に突き動かされ、わたしは、石のようにかたい皮に包丁をスパッと差し込んだ。

すると、完全に死んだと思われたレモンの切れ目から、瑞々しい果肉があらわれた。台所中に「トパアズ色の香気」が立ち込める。なんということだ。おまえたち、生きていたのか。「天のものなるレモンの汁」に正気を取り戻したわたしは、すぐさま4つすべての皮をむき、果肉をいちょう切りにして、たっぷりのはちみつに漬け込んだ。終始、「ごめんね、ごめんね」とレモンに詫びながら作業した。

作業を終えたあと、漬けたばかりのレモンを一切れつまみ食いしてみた。オエっとむせかえるほど酸っぱかった。

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