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ホントは怖い氷期のハナシ

読書
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「人類と気候の10万年史」中川毅著 講談社ブルーバックス
を読んだとき、少々暗くなってしまったものだ。
福井県若狭湾岸にある水月湖(すいげつこ)という湖に堆積した泥を精密に測定することで過去の気候を1年単位で7万年分も明らかにしたという(!)
大変な研究をもとにして書かれた本だ。
未来を知るためには過去を知らなければならないのである。
さてそこで、大変に興味深い本なのでぜひおすすめしたいのだが
自分が強く興味を持った部分を書いておきたい。
まず、地球は過去非常に寒い時期・氷期があったのは広く知られているが
とにかく気温の低い状態だったのだろうと思っていたら
なんと・短い年数で年平均気温が数℃から10℃近くも乱高下していたのだという。年平均気温が10℃違うということは地域で言えば札幌と鹿児島の違いだということで、これには非常に驚いた。
対して温暖期は極めて安定していて、現在膨大な人口を支えている農耕はこの安定した温暖な気候無くしては不可能であると。
で、前回の氷期は約1万1600年前に“突然”終わっているのだが
その終わりはほんの数年のうちに気温が5℃から7℃も上昇するのだと。
で、突如として安定した温暖期が始まるが
その安定した温暖期は氷期に比べてずいぶんと短く、約1万年である。
過去80万年のうち現代以上に暖かい時代は全体の1割ほどで
残り9割は氷期なのだと。
数十万年のスケールで言うと正常なのは氷期の方なのだ。
ん、待てよ?前回の氷期が終わったのが1万1600年前でしょ?
ってことは、温暖期はそろそろ終わりってことか?
10万年ごとの氷期と温暖期の周期を決めているのは
地球の公転軌道の変化だと唱えたのがポーランドのミランコビッチ。
公転軌道が楕円の時には温暖期で・円軌道に近くなると氷期になり
現在の地球の公転軌道は円軌道に近いのですってよ。(震
実際、1970年ころまでは地球の年平均気温はじんわりと低下していて
あの頃は「氷河期が来る!」ナンて騒いでいたのだが(遠い目)
ご存知の通りイマドキは温暖化の方が注目されている。人間の活動によって排出された二酸化炭素やメタンガス等の“温暖化ガス”によって今後100年の間に数℃ないし最大で5℃の気温上昇が予測されるという、アレだ。
ところが
実際の過去の気候変動の様子を見てみると
100年間も同じ割合で変化を続けるということは非常に考えづらい。
100年間で最大5℃の上昇というのはあくまでも人間活動の影響としてのハナシで、はたしてこれからの100年間人間が同じ活動をしているのか?
(それは無いでしょうよー)

で、実際には、人間活動とはまた別に
前の記事に書いた地球の公転軌道の10万年ごとの変化を始め
4万1000年ごとの地球の地軸の傾きの変化だとか
2万3000年周期の地軸の向きが円運動する変化だとか
11年ごとの太陽活動の変化も不定期な火山の大噴火だってあるのだ。
これらの環境変化のプラス・マイナスの結果が
その時その時の地球の気温を左右する。
そしてそれらの自然現象は
10年間に5℃の上昇などという“均一”で“ゆっくりした”変化ではなく、人間が引き起こすよりもっと激しい気候変動を内部から引き起こす力を持っているのだと。
どうも今の風潮では
あまりにも物事を単純化しすぎているのではないかと。
そして、過去の気候変動と人間の歴史とを照らし合わせて見たときに
気づくべき大きな・時には致命的な問題を見過ごしているのでは
と思えてきたのだ。

で、ナンで「ホントは怖い氷期のハナシ」なのかというと
温暖期より氷期の方が生きるのが大変だから。
いや・正確には
今のようにものすごく大勢の人間が今のように快適に暮らすことが大変
っていうか・できない。
現在の膨大な人口を支えているのは
農・畜産業だから。
例えば、北海道と九州とでは生産できる作物が相当に違うことは実感できると思う。そこの土地で毎年それなりに同じ作物を生産できるのは
暑い年寒い年はあってもそれなりに気候が安定しているからだ。
これが氷期だと
より南へ行けば暖かいのだからそこで作物を作ればいいのでは
というワケにはいかない。
どこの土地だろうと気候が安定しないからだ。
農・畜産業は気候が安定していないと成り立たないのだ。
現在の農・畜産業は、作る品種を選び抜いて
効率的に生産することで多収量を実現しているが
次に何が来るかわからない条件下では品種をしぼる、どころではなく
できることが酪農なのかサトウキビなのかすらわからないようでは
とても現在のような収量は望めない。
人類は氷期の中で進化していき、温暖期が農・畜産業を可能にすることで
その発展が爆発的に後押しされたのだ。
科学技術が高度に発達したのも、都市の生活ができるのも
安定した温暖期の下、大量の農・畜産物が支えてくれたからこそ。
それならばと
リスクを分散して、どんな気候になっても何かは収穫できるようにしても
これまでのような高収量は望めない。
生産物が支えることができる人数は格段に減ってしまうのだ。
大規模な気候変動がまだまだ先のことだとしても
もし、1993年平成5年の冷害のようなことが3年も続いたら
それだけで社会は大打撃を受けるだろう。
今現在の当たり前の生活は、高度な医療も高度な科学技術も
安定した気候と農・畜産業で支えられている。
所詮、お天気頼みなのだと
そのことに改めて気づいたことで
私の気持ちはかなり暗くなってしまったのであった。

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