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10年ぶりの天地明察

読書
勉強
コミュニケーション

を書いていたら
年齢も身分も問わずの知的好奇心溢れる「わちゃわちゃ具合」で思い出したのが
「天地明察」冲方丁 著 角川文庫
江戸時代、渋川春海を主人公に新たに正しい暦を作成しようという人びとの将軍大老神道家数学者が縦横に活躍するサイエンス時代劇wでついに大和暦ができるまでのムネアツの展開は世の中を動かすには知と理だけでは足りないという大人の知恵も学べる小説である。
計測地による北極星の高度の違いをまずは計算で予測してから計測値と答え合わせをするのだがいい年をした大人3名が「こっちの方が近いぞ」などと無邪気に競っている姿がいわゆる「尊い」というヤツで胸がきゅうーんとなるのですな。あ、これは他にも見たことがと思ったら「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の異星人の相棒とのやり取りだ ♪

同じく「火星の人」は一人なのだが当人の頭の中が饒舌なのですな ♪
さてそこで以前この「天地明察」を読んだときの感想をブログの方に書いてあったはずとそちらを読んでみたらもう10年前の事だったのですな。

以下その時の感想

「天地明察」を読んでいたら和算の天才関孝和が出てきた。

そうしたら
自分は走るんじゃなくて
ゆっくり走ったり歩いたりする人間だ、と頭に浮かんで
何だか嬉しくなった。

一瞬で答えがわかる天才じゃなくても
何日か考えてわかれば、それでもいいのじゃないかな。
何日か考え続けられるのだって、なかなかすごいと思う。
すごい人のことを
すごいなー、と眺めていても
すごいなー、と立ち止まっていたら
すごくも何とも無い。
全然進まないんだから。。。

じっくり、ゆっくり考えていると
天才とは違った景色が見えている。
天才と同じことは
一生かけてもできないけど
自分が長い時間をかけてやったことは
また違ったよさがあると思う。

学校では勉強が追いつけなくて
だんだん置いていかれたけど
大人になってもゆっくりと
歩き続ければいい。

と、自分に言い聞かせている。

以上
とまあ、10年前に書いていた。
しかし10年経って再び読んだところ、こういう感想とはまた別に
サイエンスコミュニケーションと政治・経済・文化・人心・民主主義との
単純ではない関係がひしひしと見えてきて。
10年という年月の間に自分が拾ってきた知識や考えてきたことが
思ったより多かったのだとわかった読書であった。
やはり、同じ本でも間を置いて何度も読むことは必須でござる。
新たな面白さにも気づくしな ♪

例えばAという本を読んでからBという本を読む。
すると、AプラスBの内容が得られる…わけじゃない。
Bを読むのはAを読んだ自分だ。
そしてAを読んでBを読んでまたAを読むと
Aを読んでBを読んだ自分がまたAを読むわけで。
初めてAを読んだ自分と再びAを読んだ自分は違う。
ややこしいが
ようするに知識と経験は自分の中に重なっていく。
だから一度読んだ本でもときどきは思い出して、手にするといい。
逆に初めて読んだときには面白かったのに
次に読んでみたら薄っぺらでつまらなかったということもある。
でも、3回目はまたどうなるか判らない。(うふふ)

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