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念仏トンネル

積丹半島の神威岬に通称「念仏トンネル」という手掘りのトンネルがある。
大正元年にあった痛ましい事故をきっかけにして、この海が打ち寄せる崖の難所に村人たちの手でトンネルが掘り始められた

岬の岩山をはさんで両側から掘り進んだものの、当時の測量や技術が未熟だったためかわずか60mの距離でトンネル中央が21mも食い違ってしまった。
その後、双方から鉦を叩き、念仏を唱えながら方向を定め
ついにトンネルは貫通したのだが途中で食い違ってしまっているために
向う側が見えず、中に入ると真っ暗で、手探りで歩いたそうである。
高さ・幅は2mで、ようよう歩ける長い洞穴のようなトンネルは現在は落石の危険があるため、そこへ続く道から通行止めとなっている。
さてそこで
よくわからないことに対して手探りで何かをやろうとしたとき
こちら側から攻めていき・向う側から攻めてきて
何とかして求めるものに近づこうとすることがある。
いくつかでも判断材料があれば
全く見当はずれの方向へと掘り進んでしまうことはそうそう無いだろう。
教科書では
「水温は4℃とする」だとか
「発生した熱はすべて利用されたとする」だとか
できるだけ単純明快に状況が設定されていたりするが
実際には千差万別種々様々な状況で「事件」は起きている。
そういえば
「教科書に載っている細胞の図ですが、実物を見ると、結構違うんです。」
と生物学の先生から聞いたことがある。
ひとつひとつ、色々なのだそうだ。
身体の中の基本的な構造であるはずの細胞でさえそうなのか。

前回のペットボトルの水が蒸散する計算は
まさに手探りで・今ある材料と計測を基に
中らずと雖も遠からず
でやってみたものだ。
参考になる数値を調べて、それを自分なりの推測で利用して・仮定して
実際の数値と比べてみたものだ。
その推測が正しいのかどうか
計算時の数値も小数点以下二桁までを有効数値にしよう
とは決めていたモノの、それなら計算時は何桁でやればいいのか。
そういうことをきちんとそろえないままにとりあえずやってみた
そんなドタバタの計算で出た「答え」はまるで念仏トンネルのように食い違ってしまったが
それでもまるで反対側に行ってしまったワケじゃないさ
とつぶやいてみる。


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