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平均値の意味は

勉強

平均値というと
ばらついた値の大体真ん中あたりという感じがある。
学校時代はテストのたびに
平均値より上か下かで一喜一憂していた。(憂が多かったが)
ところで、もしテストの結果
一人だけ100点で残り全員が0点だったら
半数が100点で残り半数が0点だったら
平均点を出す意味はあるだろうか。

実際に妙な平均値がある。
それは近代以前の「平均寿命」だ。
現在の平均寿命はそれなりに実感に近いのだが
ずっと昔の平均寿命は「異常に」短い。

子どものころ何かの本で、キリスト誕生の頃の平均寿命が15~17歳で
「あわれ、花の盛りに命を終える云々」
と書いてあったのを読んで「ナンかヘンだ」とモヤモヤした。
(今改めて調べると24歳となっていた)

高校生になって
平均寿命と平均余命の違いを習ったおかげで
近代以前の平均寿命の低さは乳幼児の高い死亡率のせいだと知った。
例えば中世のイギリスでは1歳未満の死亡率が20%を超えている。
逆に言えば、生まれてから数年間生き延びれば
あとは死亡率が大きく下がるので、そこそこ長生きの人が多くなる。
お七夜や七五三のお祝いがぐっと重みを増してくるのでござる。
現代は乳幼児死亡率がものすごく低いので
平均寿命と平均余命との差が小さいが
これが100年前だと生まれた時点での平均寿命と
大人になってからの平均余命との差は驚くほど大きい。
2022年の厚生労働省のデータによると

男性の平均寿命は81.47年、女性の平均寿命は87.57年
男性75歳の平均余命は12.42年、女性75歳の平均余命は16.08年
つまり
2022年に生まれた人の平均寿命は
男性81.47年、女性87.57年だが
2022年時点で75歳の人のいわゆる「寿命」は
男性は75歳+12.42年=87.42歳
女性は75歳+16.08年=91.08歳
となり、確かに身の回りの人たちを見ている実感に近い。
そして
平均寿命との差は男性が87.42年−81.47年=5.95年
女性が91.08年−87.57年=3.51年
となる。
一方で
1950年では
男性の平均寿命が58.0歳、75歳の平均余命が7.6年
女性の平均寿命が61.5歳、75歳の平均余命が9.0年
なので
いわゆる「寿命」は
男性が75歳+7.6年=82.6歳   
女性が75歳+9.0年=84.0歳  という事になる。
すると
平均寿命との差は男性が82.6歳−58.0歳=24.6年
女性が84.0歳−61.5歳=22.5年 で
その差の大きさに驚く。
だって、2022年では男性5.95年、女性が3.51年だったでしょ!?

さらにさかのぼってこの統計を取り始めた1947年では

男性の平均寿命が50.06歳、75歳の平均余命が6.09年
女性の平均寿命が53.96歳、75歳の平均余命が7.03年
なので
いわゆる「寿命」は
男性が75歳+6.09年=81.09歳
女性が75歳+7.03年=82.03歳  という事になる。
すると
平均寿命との差は
男性が81.09歳−50.06歳=31.03年
女性が82.03歳−53.96歳=28.07年
となり
戦後間もなくの生活環境の厳しさとともに
その後の3年間で大きく生活環境が改善したことが推し量れるのである。
要するに、この差が大きいほど高齢者の人口比が小さいのでござる。

というワケで
近代以前の平均寿命はむしろ年齢分布を見せる方がいいと思う。
平均を出してもあまり意味が無い。
(だから、「あわれ、花の盛りに…」というのは間違い)
要するに昔々は高齢者になること自体が困難で
乳幼児時代を生き延びれば・高齢になるまで生き延びれば
人間の寿命は現代とそれほど・極端に差があるワケではなく
ただ、高齢者になることが「まれ」だったワケだ。
古くは70歳を「古来希(まれ)なり」で「古希」と呼んだぐらいで。

何だろうと平均値というものを見たら
それがどんな平均値なのかを考えてみよう。

ちなみに
縄文時代のある集落で葬られた大人(15名)の年齢が
解剖学的調査の結果35歳から45歳くらいと推定されていた。
縄文時代の「自然が一杯・危険が一杯」の環境を考えると
思ったより長生きのように思えるのではなかろうか。


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