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日露戦争

子育ての風景
勉強

自分もいい歳になってきて
気が付くと若い者に昔話をしていることがある。
半世紀以上前のことを思い出話にできる年齢になったのだ。
昨日はこれを書いたが

そういえば自分も子どもの頃
はるばる訪ねてきた「おじじ」が
日露戦争のとき鉄砲の弾がかすった痕だと
子どもの自分に深くお辞儀をするように
禿げた頭のてっぺんを見せてくれたことがあった。
おじじの頭のてっぺんには
薄黒い楕円形の凹みがあって、何だか怖かったことを思えている。
日露戦争はもう120年以上前のことで
自分は120年以上前の出来事を体験者から直接聞いた人間となったのだ。
おじじはウチに来るといつもキセルを取り出して
ぷるぷるする皺だらけの指でタバコの葉をつまみ出し
キセルに詰めてぷかぷかとふかしていた。
朝日という紙巻きたばこも吸っていて、あの箱のデザインは好きだった。

昔の出来事について
専門に取材したり研究したりする方が
当然詳しい情報を知ることができるのだが
その時の雰囲気だとか気分というものは
そのときそこにいた人間の心の中に残っているもので
それらにまつわる小さなエピソードでも
それらの出来事についての世間の感じ方を表していると思う。

学生運動だとか公害だとかオリンピックだとか
高度経済成長だとかバブルだとかはすでに
今現役の学生をやっている人たちは経験していないことで
以前ブラタモリで田中角栄の事を
若いアナウンサーが「歴史上の人物」と言ったことに衝撃を受けたが
そういうことなのでござる。

おまけ
自宅でも仕事でも製図ペンは自分のを使っていたのだが
20年ほど前のある日、若いのが私のペンを他のとは違うことに気付いて
「これ、どこのですか?」と手に取ってしげしげと眺めて
「west germanyって、ナンですか!?」と。
え!?
…西ドイツを知らない世代だったのだ。
今売っているものにはgermanyとだけ書いてある。

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