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妄想小さな貸本屋10

物語
読書

最近何だか調子がいい。
貸本屋さんに言われて寝るときに1枚多くかけるようにしてからだ。
これまで寝ていて寒いとは感じなかったが逆に暖かいとも感じていなかったことに気が付いた。とりあえずは洗い替えのタオルケットを足してみたら、確かに少しあったかい。それと、少しばかり重さが増えたことで安心感と言うか何と言うか、要するによく眠れたのだ。そこで早速、仕事帰りにホームセンターに寄り道して薄手の軽い毛布を買ってきてこれを足してみたら幸せな暖かさと重さに身体が包まれてしまって肝心の読書がはかどらない。暖かくて気持ちよくてすぐに眠たくなってしまうのだ。だから下だけパジャマにしてコタツみたいに布団に入って「プラテーロとわたし」を読んでから寝るようにした。腰から下がだんだんポカポカしてきて気持ちよくなってきて、本を閉じて布団に横になるとアンダルシアの風景と暖かい空気を感じながらすとんと眠るようになった。
そういうワケで自分は今ずいぶんと元気な感じがする。睡眠時間は同じなんだけどやっぱり睡眠の質は大事だよなあ、と実感する。
さて次はどういうのを借りようかな、と思いながらいつもの貸本屋さんの前に来た。
「ちりんちりん」と中からいつもの音がして窓口がすうっと開いた。
「いらっしゃい。今日はどんな本がいいですか?」
バッグから「プラテーロとわたし」を取り出して300円と一緒に窓口に返す。
「おかげさまで、1枚毛布を増やしたらとってもよく眠れるようになりまして。元気になりました。あの、ありがとうございました。この本も身体に合ってっていうかなんだか暖まる本ですね。」
「それはよかったですね。何よりです」
「それで今日はがっつり読み応えのあるのでと」「いや、だけど重厚な文学というのでなくて-」「それではこの本などいかがでしょうか」
いつも通り、速い!
窓口に小さな赤い本が出てきた。「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」
手に取ってよく見ると暗い赤の表紙には、ちょっ!人間の胴体が!胴体の!これは読みごたえと言うか確かにがっつり系でホラーだけど目が離せない系のちょとナニ言ってるかワカラナイ系の-
「この本は18世紀の“外科医”の話ですが当時は麻酔がなかったので外科手術は患者を縛り付けたり助手に押さえつけさせたり頭を殴って気絶させたり強い酒を飲ませたりして行うものでさらには“清潔”という概念もなく死ぬ程の苦しみに耐えて外科手術を受けたのに二次感染で命を落とすような状況だったワケでしてさてそこでこのジョン・ハンターという人は高等教育を受けたワケではなくとことん自分の考えを押し通す癇癪持ちだったのですが手先が器用で、外科の修行に行ったところ解剖用の死体の調達に奔走することに!
これがもう、アウトな案件だらけで葬儀屋を買収するなんて当たり前でアウトな人たちと協力して墓を暴いて死体を盗み出すというアウトぶり!しかしながらこのジョン・ハンターのすごいところは人間の身体をとことん観察して標本を作り病気やケガで身体がどうダメージを受けてどう回復していくのかを科学的にとことん追求していったところで、そうか、ここまで人間を切り刻まなければわからな-あっ、要するにこの本は医学の発展をその野蛮な時代から現代の精密で繊細な技術と知識への急展開を目の前に突きつけてくるので気力体力共に充実していないと命を削り取られるような危険な本なのですがお元気そうなので大丈夫ではないかと」
「お、おう」
すでにわきの下が汗にぬれていたがこうなったら現代医学へと急展開したという時代を見てやろうじゃないかというだけの気力はあったので借りて行くことにした。
「あ、ちなみに」
え、追い打ち?
「その、ジョン・ハンターの一番弟子があの種痘のジェンナーです」
今度は逆側からエネルギー波を打ち込まれたというか。これは読まねばなるまいて。
小さな、少し暗い赤の表紙の本を丁寧にバッグに入れて貸本屋を後にした。
よおし、来い、受けて立つ!あの毛布があるから大丈夫!

本日おすすめされた本
「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」ウェンディ・ムーア著
 矢野真千子訳 河出文庫

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