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地質学考5 モデルとしての地質図は客観的か?

 自然科学は,実験・観察によって自然の性質を調べることから始まります.科学史と科学教育の日本の泰斗である板倉聖宜先生の定義によれば,実験・観察とは,仮説を持って自然に働きかける行為です*6.実験・観察によって自然に働きかけをした結果,得られた自然の性質を「データ」とよびます.自然科学のデータは実証的・客観的で,かつ再現性があることが求められます.ただ,実証的・客観的で,かつ再現性というのはデータの質を保証する基準であって,科学的かという基準とは別ものであることは注意が必要です.平成29(2017)年告示の文部科学省の小学校理科学習指導要領解説には,「科学的」に関して誤った説明がなされていると思います*7.
 前回,地質学のデータは,視覚言語による質的なものが多いということを見ておきました.地質学の場合は,3で述べたように,地表を観察することによって,地表を作っている物質の分布や,物質同士の関係(できた順番やどのように接触したか)などを把握するところから調査研究が始まります.露岩地帯では,地質学の主な観察対象である岩盤は,植物などでおおわれることなくむき出しになっています.この場合,物質の分布やその境界の位置は誰が見ても同じですから,実証的・客観的で,かつ再現性があるデータとして観察できます.ただ,境界の性質については,それができた後の地質現象によって,元々あった成因の証拠が消えてしまい,観察者が解釈しなくてはならないことが,しばしばあります.
 一方,地球表面の約7割は海でおおわれていて,浅いところ以外は直接観察ができません.また,陸上も,多くは土壌・植物・氷あるいは人工物でおおわれていてしまっています.完全におおわれて岩盤が見えない場合には,おおっているものを掘って取り除くしかありません.どうしてもという場合は,手や重機でトレンチ(溝)を掘ったり,ボーリングマシンで穴を掘って調べることになります.この方法で,地下の岩石の分布を面的に調べるためには,たくさんの穴を掘らなくてはならなくなり,費用がかさみます.原子力発電所の立地のようなお金をかけても調べておく必要がある場合には,徹底した調査を求められることはあります.しかし,学術的な調査の場合は,費用面からも,そのような調査は難しくなります.そこで,通常は,自然に地面に岩盤が出ている露頭の情報をつなぎ合わせて,内挿したり外挿したりして推定することになります.異なる岩盤が接触している境界は重要なデータになりますが,大事なところほど土壌で覆われていて見えないというような「マーフィの法則」のようなこともよく起こります.
 また,ルート調査の1つ1つの露頭でのデータ自体が,観察者によって異なることはありえます.2つの別の種類の地質体(例えば,岩石)が接している場合,ある地質学者は地層の積み重なりで説明し,別の地質学者が断層によって断ち切られて接していると説明することがあります.しかし,岩盤が露出していれば,接している2つの地質体の性質や接触面などを詳しく観察したり,地質体それぞれの性質(例えば,生じた年代)などを分析することによって,最終的にはどちらが正しいか客観的に判断できることもあります.しかし,風化が強くて本来の岩盤の性質が失われてしまっていたり,その後の地質現象に上書きされて消えてしまっていたりすると,客観的に見て決着がつかないこともあります.その場合,研究者の主観で,露頭で見えているものの解釈が異なるということが起こります.全く同じ地域を調べても,調査者によって,断層だらけの地質図になったり,そうならなかったりします.
 あるルート調査で地質調査ができると,次はそれをつなぎ合わせて.ある範囲の地下の様子を二次元あるいは三次元的に可視化することになります.ルートの密度が高ければ,復元された二次元あるいは三次元モデルは,ある程度は実証的・客観的かつ再現性があるものを作ることができます.そこで,地質学者はできるだけたくさんの露頭情報を集めて,モデルの客観性を高める努力をすることになります.
 とはいっても,露頭密度を高めたくても,土壌や植生などの被覆があるために,努力には限界があります.どの程度の露頭情報を集めれば客観性が保証されるか,ということは,調べる地質体の性質にもよっているので,一該に定量的な評価をすることができません.まったく均質な岩盤が何十kmも続いているという保証があれば,1点の露頭でその地質体を代表させることもできますが,日本列島のような複雑な地質体の場合は,客観性の評価そのものが難しくなります.私が調べた範囲では,こうして得られた地質調査データの質を評価する方法についての研究はありません.ただし,土壌や植生などを全て剥いでしまって,異なる岩盤の境界の性質を,それができたときの状態に復元することができれば,「正解」は存在するということは注意しておきましょう.「観察するまでは猫が生きているかどうかは分からない」とか,「観察することによって結果が変わってしまう」とか,という量子力学の問題とは違いますので,念のため.
 こうして主観が入っている可能性のあるデータをまとめることにより,地質学者が作成した地下モデルは地質図という視覚言語によって提示されます.地質学が実証性・客観性および再現性をもった自然科学であれば,ある精度で地質調査をして,地質学の基本原則に沿ってモデルを組み立てれば,ある程度の再現性のある地質図が得られるはずです.また,調査地域内で,土壌が流されたり,道路工事などによって岩盤が人為的に削られたりして,新しい露頭ができてデータが増えれば,地質図が更新されて,少しずつですが,より正しいものに近づくということは言えるかもしれません.日本のように人口の多い地域では逆で,どんどんコンクリートやアスファルトに覆われて,露頭が減っていってしまいます.そうなると,研究者間で全く異なるモデルが提示された場合,どちらの地質学者のモデルが正しいかを判断するのは難しくなります.調査者によって,地質図が全く異なる図になる実例を見てみましょう.
 本当は筆者が作った地質図を例にしたかったのですが,よい例のものが未公表なので,今回は「変成分帯断面図」という地質モデルを示す図を使います.少しややこしいですが,おつきあいください.

関東山地三波川変成岩類の変成分帯断面図.変成岩の変成度変化モデルを表現している.

この図は,関東山地三波川変成岩類という岩石の変成分帯というデータを表現したものです.変成岩は地下の高温や高圧で元の岩石が変化したもので,現在の変成岩岩石学ではいろいろあるのですが,古典的な変成岩岩石学では,変成岩ができた温度や圧力の変化は変成岩を作る鉱物の組み合わせによって示されます.調査する地域で,できるだけ密に岩石を採取して,構成鉱物の種類を調べると,岩石の化学組成がある範囲にあり,ほぼ同じ程度の温度圧力で形成された変成岩は,(しつこいですが古典的変成岩岩石学では)ほぼ同じ鉱物の組み合わせになります.同じ構成鉱物の組み合わせになっているところを地図上にプロットしていくと,温度や圧力の違いが鉱物組み合わせの違いの分布として表現されます.このような作業を変成分帯といい,鉱物組み合わせの違いを表現した地図を変成分帯図とよびます.図は,変成分帯図を縦に切って断面を見たものです.
 図のア~ウは埼玉県長瀞町付近のもので,図中で一番高い山は陣見山です.アの図は,田中耕平博士によるもの(田中・福田,1974 *8)で,三波川変成岩の原岩のつくりはほぼ水平ととらえています.ただ,変成度温度は陣見山付近が一番高く,そこから離れると低くなっていて,原岩のつくりと変成度は関係がないという考えに基づいています.イは酒井千尋博士によるもの(酒井,1980 *9)で,原岩のつくりが陣見山付近でもりあがって背斜構造を作っており,深いところほど温度が高いので,背斜付近には高い温度でできたものが分布するとするもので,原岩のつくりと変成度は関係があるという考えに基づいています.アとイの研究の後に,変成岩の「原岩のつくり」として見えているのは,付加体の岩石が地下の高い温度と圧力下でパイ生地のように引き延ばされて,あたかも地層のような形になっているということが分かりました.ウは橋本光男博士によるもの(橋本,1992 *10)で,原岩のつくりに見えているものは,実は引き延ばされた薄いカードのような地質体で,異なる変成度のカードが積み重なっていて,陣見山付近にはたまたま高い変成度のものが分布する,という考え方です.このモデル成立のためには,異なる変成度のカードが積み重なる仕組みが必要なのですが,これについてはよく分かっていないのが現状です.同じ地域で,同じように岩石の違いや構成鉱物の違いを調査した結果を使っても,得られる地質モデルの描像にはこれだけの違いが生まれます.
 ところで,この図のエは,ア~ウの地域の少し西側で群馬県藤岡市三波川付近で調査した私のモデル図です.色の違いは板状の変成岩の塊で「ユニット」と呼んでいます.鉱物の組み合わせでいくと,Northern Uが一番高い温度を,次にSouthern-2 Uが2番目に高い温度を示します.また,Middle UとSouthern-1 Uは同じくらいの温度を,Mikabu Uは一番低い温度を示します.実はユニットの識別には,鉱物組み合わせだけではなく,変成岩に含まれるジルコンという鉱物のウラン-鉛年代(海溝付近に堆積したときの年代を示す)と変成岩中の白雲母のカリウム-アルゴン年代(変成岩が上昇する際にパイ生地のようにこねられるのが終わった年代)を使っています.年代でいうとNorthern Uが堆積年代と上昇年代とも一番若く,Mikabu UやSouthern Uは古くなっています.つまり,ユニットを作る岩石は堆積から上昇までをひとかたまりになって動いてきたことになります.ユニットの中での原岩のつくりは,田中博士や酒井博士の考えように一定のルールに従っていますが,それは変成度とは関係ありません.また,異なる変成度のユニットが重なる順番は,ユニットが上昇してくるタイミングで決まっています.このような変成岩の内部構造は,三波川変成岩の他の地域でも見つかりつつあるので,私個人は自分のモデルが一番正しいと思っているわけです.
 上の図で見たように,同じ地域で同じ方法で調べても,表現される地質モデルは随分違ったものになります.提出された時点では,どのモデルもそれぞれ根拠を持っていて,モデルを作った人は正しいと思っていたはずです.三波川変成岩類の変成度の変化を地図上に表すモデルについて,上のどれが正しいかは決着はついていないのが現状です.
 このように地質図で表されているいくつかの異なったアイデアのうち,どれが正しいかを判断するのは難しい問題です.それでも,強いていえば,という判断基準はいくつか考えられます.
 例えば,上の例とは逆に,それぞれ別々の仮説を持った地質学者が独立で調査して,ほぼ同じモデルが得られれば,ある程度の実証性は担保できると考えられます.ただ,前回書いたように,地質学者は縄張り的な調査地域を持っています.地質学者の中には,別の地質学者が自分の縄張りを調査することを嫌がる人が実際にいます.私も調査レポートの査読で,他人の縄張りで勝手に調査するなという意味のコメントを書かれたことが複数回あります.私の経験は国内に限られますが,海外でも著名な地質学者が調べた記念的露頭はハンマーフリー(岩石ハンマーでたたいて試料採取してはいけない)というところがあるそうですから,もしかすると国によらないことなのかもしれません.このような「検証を嫌う」傾向は,近代科学の基本的方法の1つである仮説の検証という手法*6 を否定することで,科学的な態度とはいえません.縄張り主張をする地質学者は非科学的と言われてもしかたないかもしれません.また,結論で同じモデルになってしまった場合,後から調査した研究者は新しい知見はなし,ということになって公表しにくくなることが予想されます.物理学や化学では,同じ実験・観察手法で結果が再現されれば,モデルを検証して正統性を高めたという成果として認められるはずですので,地質学は物理学や化学より検証を重視しない態度になっているように思われます.もしかすると,この考えは私の偏見で,同じ地域で同じモデルになれば,成果として発表してもよい,という地質学者もいるかもしれません.
 もう1つの地質図の正統性の判断基準は「予測性」です.同じ地域で異なる描像の地質図が存在した場合,違っている部分で新しい露頭が発見されたときに,その露頭の性質がどちらの描像のものを支持するかを検討することができます.新しい露頭の性質を予測できていた描像の方が,より正しいものということは言えそうです.実際に,地質調査をして,地質図を作っていくと,これから調査する地域にどんな露頭を見ることができそうか,予測できるようになってくることがあります.実際に調査してみて,予測通りの地質状況が得られれば,自分の作っている地質図は精度が上がってきていると考えるのは間違いではありません.しかし,調査が終わった後に,新しい露頭が得られたり,学術ボーリングなどで実際に掘削して検証できる,という機会は,それほど頻繁には起こりません.このため,数十年という時間の長さで問題が放置されてしまうことも,しばしば起こります.モデルや理論を,検証によって確かめるという方法は自然科学の基礎ですが,地質学の場合は検証が難しかったり,縄張り意識のある地質屋の場合には,そもそも検証をすることすら認めなかったりします.これも,地質学が自然科学の一員であることを疑わせる原因になっています.

*6 板倉聖宜,(2011), 仮説実験授業のABC 第5版, 仮説社,176頁.
*7 文部科学省,(2017),小学校学習指導要領解説理科,文部科学省,167頁.
*8 田中耕平・福田正光 (1974): 関東山地の三波川変成帯北縁部の地質構造と変成分帯 -とくに黒雲母の現出について-.岩鉱,69, 313-323.
*9 酒井千尋(1980): 関東山地鬼石町東方の三波川変成帯の黒雲母帯,地質雑,86, 517-524
*10 橋本光男(1992): 関東山地三波川変成域の地質構造の新しいモデル,地質ニュース,459, 49-55.

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