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FAB23 BHUTAN、ネットワークパネルで僕が語ったこと

2週間ご無沙汰しておりました。FAB23運営対応があまりに慌ただしくて、自分の時間がいっさいとれない2週間でした。FAB23の様子や、参加してみて感じたことなど、これから何回かに分けてnoteでもご紹介していきます。

また、これは予告になりますが、日本から参加して下さった方々と語らって、「Fab Bhutan Challenge」と「FAB23カンファレンス」の二部構成で、オンライン座談会&報告会を開こうかとも考えています。

FAB23は、参加した人の間でも、出たイベントの内容によっても、全体の印象が変わって来るように思います。私も、イベントの重複して出たくても出られなかったワークショップやトークセッションもあったので、他の参加者の方のお話も訊いてみたいと思うところです。



1.登壇要請の経緯

さて、FAB23回顧録の1回目は、私がJNWSFL(以下、スーパーファブラボ)から頼まれてパネリストとして登壇した、7月26日(水)朝のパネルトーク「JNW Super Fab Lab presents FAB Network in Bhutan」での発言内容を紹介します。

このセッションは、昨年誕生したブータンの5つのファブラボ―――スーパーファブラボ(ティンプー)、DGIファブラボ(パロ)、CNRバイオ・ファブラボ(ロベサ)、TTTRCファブラボ(ゲレフ)、ファブラボCST(プンツォリン)を紹介するという目的で、スーパーファブラボが企画したものです。この目的であれば、ファブラボCSTからはマネージャーのカルマ・ケザンさんに登壇依頼するのが筋ですが、私に登壇依頼があったのは、私がブータンでのファブの普及に関する過去の経緯をよく知っているからでした。

ブータンのファブラボのロケーション

このセッションの企画はスーパーファブラボによる「後出しじゃんけん」で、私たちは4月末締切のサイドイベント申込みのフォーマットにもとづき、ファブラボCSTの活動紹介のパネルトーク「One Year of FabLab CST Phuentsholing as Community Lab」を別途申し込み、7月27日(木)に1時間の枠を確保していました。そちらではCSTの学長や、マネージャーのカルマ・ケザンさんにも登壇してもらうことになっていました。

また、スーパーファブラボに確認したところ、ファブラボブータンのカルマ・ラキ元代表やツェワン・レンドゥップには「招待したけれども固辞された」とのことでした。2人が出られないのであれば、過去の経緯を話せる候補者としては、私しかいません。一応、CST学長とマネージャーに了解を取り、パネリスト登壇要請を受諾することにしました。

司会進行役のジーナ(スーパーファブラボ)から、事前に質問事項とメインの発言者の指名が行われました。お陰で事前に自分の考えを整理することができたので、私が用意していたカンペをもとに、私がパネルで発言しようとしたことや、発言機会はなかったけれども、あれば発言するつもりだった内容について、今回はご紹介します。


2.ブータンでのファブの歩みとラボ設立の経緯

【質問】
ブータンに初めて3Dプリント技術を紹介したのはあなたで、ブータン初のファブラボの設立にもあなたが関わっていたと聞いたが、その当時の経験について訊きたい。

【発言】
確かに、2016年に初めて3Dプリンターをブータンに持ち込んだのは私だが、当時自分は開発協力実施機関の現地事務所長をしており、3Dプリンターの使用は空き時間でやるのがせいぜいで、自分の事務所内にも浸透させられたとは思っていない。所長室に置いておいても、来訪者は誰も気づかないのが普通だった。

自分が3Dプリンターを持ち込んだのは、ブータンにファブラボを作るという構想がすでに存在していたから。当時ファブラボのスペース確保と人材確保に奔走していたのはツェワンで、自分も個人的に彼の力になろうと、政府高官への説明や人材の発掘に協力した。ファブラボブータンができたら、ファブラボの3Dプリンターを利用させてもらおうと思い、自分なりに操作経験を積んでおこうと考えた。

2017年7月にファブラボブータンができ、私はツェワンがさまざまなプロジェクトをはじめるのを近くで見ていた。Fab2.0プロジェクトもその1つ。当時彼らが作ったプロトタイプは、ファブラボブータンが2022年8月に解体された際、DSPに引き継がれたが、その時点で動かない状態だった。つい最近、このプロトタイプを復活させる取り組みを、チェゴファブラボとファブラボCSTが共同で開始し、CNCミリングマシンを復活させたところである(現物を会場で披露)。

【質問】(事前想定されていなかった質問)
2017年7月のファブラボブータンの開所式の様子は?

【発言】
この会場で開所式に出ていた人はいらっしゃいますか?(ニール・ガーシェンフェルド教授だけが挙手。)ファブラボブータンはこじんまりとした住宅・商業地域の中にあって、コミュニティに開かれ、利用者が気軽にアクセスしやすい雰囲気があった。そういう雰囲気作りは大事。後継のチェゴファブラボにはその点を期待したい。

【質問(全員)】
各ファブラボにおけるコミュニティの関与、過去1年間のうちに起こった注目すべきプロジェクトの成果などについて紹介して欲しい。
(注)当然ながら、各登壇者は自分のラボの成果をアピールしていた。

【発言】
ファブラボCSTがやってきたことについては、27日(木)午後に1時間のトークセッションがあるので、そちらでご紹介する。午後3時開始の予定だったが、主催者によって午後6時に一方的に繰り下げられてしまった。この時間帯では多くの参加者が帰ってしまうのが気がかり。ファブラボCSTに関心あれば、明日は最後まで会場に残っていてほしい。


3.ファブラボ運営上の課題

【質問(全員)】
そうしたプロジェクトを実施する上での課題は何か?(注:時間の関係で、この質問はスキップされた。)

【発言】
この国には作る人と使う人の間で大きな分断があり、使う人が作るプロセスに参加するケースが非常に少ない。そのため、作った後に、利用者が「自分のイメージと違う」とケチをつけるケースをよく見かける。ファブラボブータンが苦労したのもこの問題。使う人をプロトタイピングのプロセスに巻き込み、デザイナーとユーザーが一緒にデザインするプラットフォームを普及させることが課題。

【質問】(事前想定されていなかった質問をいきなり振られる)
各ファブラボともファブアカデミー受講者を2022年から輩出して、それぞれのラボの運営にも貢献しているところかと思うが、この人材育成の仕組みについてどのように評価しているか?

【発言】
(しばし間を置いて)ファブアカデミーは開発途上国の受講希望者にとっては受講料が高く、6カ月にもわたる拘束期間では、CSTの教員や学生が受講するというわけにはなかなかいかない。それに、すべてのモジュールがブータンに文脈上必要だというわけでもない。むしろ、ファブアカデミーをローカライズして、ブータンの文脈において必要性が高いと思われる分野課題をモジュールとし、かつ現地の人でも受講できるような廉価なコンテンツをブータン人自らが作ることも必要だと思う。

【質問(全員)】
ファブラボの長期的な持続可能性を確保するために、必要だと思う措置は?そこで政府が果たすべき役割は?ブータンで実践されているファブラボ運営のグッドプラクティスは何か?

【発言】
ブータンで財務的持続性を確保していると言える段階に入っている地方ラボはないと思う。まだ開設から1年も経っていない。ファブラボCSTも、利用者から料金徴収をはじめたのは3カ月前から。

長期的持続可能性を確保するなら、地方ラボがコンサルティングや研修請負、地域の学校のSTEAM教育請負等で、独自収入を得る手段を多岐にわたって確保することが必要。例えば、数週間前のBBS(ブータン国営放送)のニュースで、STEAM教員の不足が著しいとの報道があったが、地域の学校のSTEAM教育のデリバリーをファブラボが請け負うことができたら、双方にとってwin-winな状況になり得る。しかし、そうした政策制度環境を作ることは、個々の地方ラボ単独ではできない。政府への政策提言や交渉に向けて、集団的行動ができるプラットフォームが必要。政府もこうした地方からの声を受け止めて欲しい。

電子部品やフィラメント、その他資機材の調達も課題。(以下は発言では割愛)Fab Bhutan Challengeでも、ファブラボCSTは土壇場になって必要資機材の独自調達を急に強いられ途方に暮れた。JICAの専門家やインドからの渡航者の協力とJICAプロジェクトの資金支援でなんとか間に合わせられた。共同調達の仕組みがあった方がよいと何度思ったことかわからない。

また、このニーズはファブラボだけではなく、教育省とユニセフが支援して全国のユースセンターに配備した3Dプリンターのフィラメントやスペアパーツの調達に関しても言える。自分はユースセンターも地方のミニファブラボだと位置付けて、プンツォリンでは協力関係も構築している。彼らもネットワークに加われるような配慮が必要。

FAB23に来ている教育省の関係者は、学校教育局とカリキュラム開発局の人だけで、ユースセンター所管の青年スポーツ局の人は来ていないし、学校教育局でも、障害児特別教育(SEN)課の人は来ていない。いわんや他省庁の関係者は不在。政府組織の縦割りを越えて、ファブの普及は考えられないといけない。


4.ファブを巡る規制枠組み

【質問】
ファブラボが世界中でブームとなっている現状、ファブラボを巡る規制に関してどのように考えているか?早くから何らかの取組みに着手しておく必要はあるか?将来的に何かしらの問題が生じる可能性があると思うか?(注:時間の関係でこの質問はスキップされた。)

【発言】
まだ普及がそれほど進んでいない今のブータンで、規制枠組みの議論をするよりも、文章化とその共有を重視して、多くの人々のファブへの参加を促す努力の方が必要だと思う。その上で、ユーザーがどのような試作に取り組んでいるのか、ラボとして把握できる仕組みを検討することは必要だろう。ファブラボCSTではそういう問題意識に立って、「利用者プロジェクト登録票(User Project Registration Form)」を5月から導入した。

【質問】
ファブラボでは、しばしば、環境への負荷が懸念される材料の使用や製作工程が含まれることがあるが、これらの懸念を払拭するために、何をすべきだと考えるか。(注:この質問も、時間の関係でスキップされた。)

【発言】
ファブラボCSTでは、フィラメントのサポート材を再利用した教具の試作や、周辺でポイ捨てされているアルミ缶の再利用、ヨーグルトカップにアタッチメントを付けてラボ内での再利用を行うなど、身の回りの廃棄物を減量するための小さな努力はすでにはじめていたが、Fab Bhutan Challenge参加者と今回交流してみて、ラボ内で出るごみの再利用はアイデア次第でもっとできるとの示唆をいただいた。アイデア出しを促進するような仕掛けを、学生や地域の小中高生と一緒に考える機会がもっと作れたらいいと思う。

障害を持つ生徒が線描するのを助けるライティングエイド
3Dプリント過程で出たサポート材や失敗作を熱圧延し、レーザー加工機でカットした
Fab Bhutan Challenge前に、SENスクールには実装された

5.5年後のブータンの姿

【質問】
今から5年後、自分のファブラボがどのようになっていて欲しいか?

【発言】
2017年7月に行われたファブラボブータンの開所式で、ニール教授が、「ファブラボはGLH(Gross Local Happiness)の実現に貢献できる」と仰っていたのが印象に残っている。地方ラボとして目指したいのはGLHの実現。国立ブータン研究所(CBS)が最近2022年GNH全国調査の結果を発表し、その中でも県別GNH Indexが公表されているはずだが、これをベースラインとして、次に行われるGNH全国調査までに、我々が拠点を置く南西部の県のGNH Indexが上がっていれば、我々としてはGLHに貢献したと言えるのではないかと思っている。

このセッションではブータンのファブラボ間の協調(collaboration)について多くが論じられてきた。スーパーファブラボだけは与えられた役割が異なると思うが、残る4つのファブラボにとっては、各々の属する地域のGLHをどれだけ達成できるのか、競争(competition)の要素も大きいと思う。

2017年7月のファブラボブータン開所式の写真
この時にいて、そしてFAB23会場にもいたのは、ニール教授と私だけだった

6.セッションを終えて

フロアからは、自分の発言のあと、二度ほど拍手が起きたので、それなりにインパクトがある内容の発言ができたのかなと思ってはいます。どこも自分のラボの活動紹介が中心でしたが、私はむしろ、それらをメタで捉えて、ブータン全体にとって必要なことは何かを考えて発言したつもりでした。

ただ、その後別件でニール教授に挨拶に行ったところ、けっこう冷たい応対を受けました。「ファブアカデミーは受講料が高い」とか、直球をぶつけたから心証を悪くしたのでしょう。その後、私たちは、ニール教授が今後ブータンで何をしたいのかを改めて聴く機会があり、その時に、ファブアカデミーの受講料を高めにしているのは、他の人材育成プログラムを安く実施するための内部相互補助の側面もあるのだというのを初めて知りました。ご意見番っぽいことを言って私は悦に入っていたけれど、ニール教授やファブ・ファンデーションの方々にしてみれば、「何も知らない奴が何言ってんだ」という思いがあったのかもしれません。

FAB23カンファレンスを通じて、主催者も登壇者も「スーパーファブラボとファブラボネットワーク」という言い方をずいぶんしていましたが、問題はそのネットワークの中身で、DHIが設立した4つのファブラボとJICAが支援したファブラボCST、さらにはチェゴファブラボとの間には、待遇面で微妙な線引きがあったように感じています。それでもファブラボCSTはFab Bhutan Challengeで優勝を果たし、支援したサムチ県の高校がFab Student Challengeで2位に入り、さらに他のサイドイベントも企画実施して気を吐いたので、中央の主催者が無視できなくなるほどの存在感を示した2週間でした。しかし、チェゴファブラボはほとんど存在感を示すことができなかったように思います。

最後に、そうは言っても私が自分の発言の中で「ファブラボブータン」と「チェゴファブラボ」に言及したことで、留飲を下げた両ラボの関係者が会場には数名いて、それなりに感謝されたことについても、触れておきたいと思います。



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