馬鈴薯の花と蜜柑の花   294-1/21Ⅴ

 きょうは雨。雨の日は好き。雨の日もかな。

 馬鈴薯の花と蜜柑の花が咲いているのを見て芭蕉の句を思い出した。

     象潟や雨に西施がねぶの花

「松嶋は笑うが如く 象潟はうらむがごとし」と芭蕉は記した。きれいな句だと思う。ねむの花とは、ねむの木の花だったのか。草花かと思っていた。


 雨に濡れている花を見て作ってみた。

     馬鈴薯の花薄紫に濡れそぼる

     青葉雨蜜柑の花の五弁かな



異存・難色の発声(5回でアウト)

 「もうだめだね。劣化しているね。」これは難色のあらわれだと思った。「劣化している。」は良しとしても、「もうだめだね。」は難色だろう。再利用不能という意味で発したものだ。ほっとしている気持ちもある。再利用可能だとなると、保管するわずらわしさがあるからだ。捨てるのは再利用が絶対不可能というときであるというこの習性は年々エスカレートしているように思う。

 とすれば、これは難色だろうか。むしろ肯定である気もする。本当は捨てたいということ、使えるなら取っておくということ、使い切りたいと思うこと、これは、もう、そういう人なんだというだけのことだろう。

 さて、難色かどうかということに戻ろう。一見難色である。中身は「よかった。」、である。こういうことって往々にしてある。本当は嬉しいと思っていても反対のことばが出るとか。これを裏腹という。

 これを腹どおりに表に出したことばを思いついた。「劣化しているね。捨てた方がいいね。」である。これなら難色を疑う余地は払拭される。本当は「捨て方がいいね。」も疑わしい。どうしても言いたいなら、「劣化しているね。」がギリギリセーフといったところだ。言った方がいいことばというのはあるのだろうか、というところまでいくのは極端か。

 それにしても、やっと考えてこれだ。これを瞬時に判断できることを目標にしよう。本音は肯定感であるところを難色のことばを発した。判断基準を本音とことばのどちらをとるかといえば、ことばだろう。なぜなら、心でどう思っていようと発したことばがすべてだからだ。ということで、今のところカウント1である。

 「どいて。」、猫に言っているようでいて自分の苛立ちである。カウント2。その後、「泣かないで。」「泣きやんで。」不意を突かれて立て続けにカウント3・4。リーチだ。直後、「なんだこれ。」アウト。きょうは終わった。敵は不意のときにしのび込む。

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