終電って何の略なんだろうね

画一的な話ばかりされると、自分の人生が間違っているかのような、マジョリティこそ正義だったいつかの空気に戻される気がしてしまう。
テンプレに沿うことで、決断力を温存しているのか。もう生物としての人間本来の寿命に近づいてきて、はつらつとした、ぼくらが知り合った頃のような生き方を手放したのか。そんな話は聞いていないのでやめてほしいのだが、止める権利も義理もないので受動的に聴き入れることしかできなくなってしまっている。

Netflixは、絵が綺麗なアニメ映画がウケることに気づいたようだ。サブスクリプションにも世の流行りにも抵抗のない世代は、アニメでしか描けない純粋な人間関係や原色の景色への憧憬を抱いている。大きな変化は予定されておらず、もう少し先では子孫に生き甲斐の源泉を移譲し始めるのだ。何と悲しいことか。主人公はお前以外の誰でもないというのに。

たいていは、どこに住むかというのが重要な議題のひとつらしい。なんとも昔かたぎなことで、しかし新しいものが良いとは限らないのも困ったものである。物理的な移動も他人との接触もなしに、持てるものを使って日銭を稼いでいる。この具象のみで構成された世界に乗っかっておきながら、概念に片足を突っ込むとは何事か。走馬灯に最近の出来事が採用される自信がまるでなく、かといってじゃあこれで幕引きというのもまだ惜しい。

まだ惜しい、だけで生きている。他人ありきの安定と充実だというのに、自分から言い出さないとこのままでは全てが想定済みだ。

筆の初速がそろそろ摩擦で失われてきた。いつになったら内燃機関が完成し、長作が書けるのか。早くその時が、逼迫で思考の隙もない時が来てほしいものである。自分で作り出す気はまだないので、楽しみに僅かながら加えておくとする。

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