人殻

今回の人は、なかなかに理想に近い。

名前のわからない鳥が意思疎通を図る。もう少し眠りの海を漂っていたかったのだが、ここまでしか許されないらしい。またの機会にすればいいだけの話だ。
大小さまざまの観葉植物はインスタントな自然への憧憬をいとも容易く実現している。ぼくが世話をしなければならないところが玉に瑕だ。
家具のトーンは完全なる人為ながら自然な統一感と相成っている。思い出を纏った物が少しだけ、しかし確実に、あちこちに置かれている。意識してのことかは分からないが、言われてみればこれらはたしかに思い出だと言えるような物を残しているのだ。ここに形を持つことができなかったその他全ての時間は、こっそりと人間性を織り成してくれている。

朝食が、まさにできあがったところだった。昨日のぼくは、明日も妻の料理を食べられるものと思い込んでいたために、よく眠れたのかもしれない。
「前回と比べてどうですか?」と妻は聞いた。
「今日はとても良さそうです。これは参考になりそうだ。」ぼくは本音を口にした。見るからに成功者のようで、こんな人殻に当たったのは久しぶりである。高鳴る鼓動は早朝には似合わなかった。

「理想の人生を考えるヒントが得られます」
ライターでもなんでもない社員の誰かがそれなりに考えたであろうそのコピーは、お世辞にも心を掴むほどの魅力はない。それでもそんなことはなんの障壁にもならず、このサービスは瞬く間に世界中で使われ始めた。
何しろ、寝て起きるとランダムな他人の人生を1日だけ体験できるのだ。自分の思考回路のまま、その人の記憶も備えた状態で目覚める。どうやって実現されているのかは皆目見当がつかないが、とにかくカプセルの中で寝ればよいだけなのだ。理解できない科学技術は、ほとんど魔法である。こんなにも自分と他人とを比較しやすい体験が他にあるだろうか。自分が自分に、自分の人生に何を求めているのか、気付かずにはいられない。

自分の大事なものは何なのか。何を重視して生きたいのか。何が嫌なのか。
これらはすべて、少し前までは自分で考えるものだった。いつの時代も、人間は自分たちを賢く見積りすぎている。自分のことなのだから、自分でわかるに決まっている。そんな見当違いな通念が、生まれてから死ぬまでずっと適用されていたのだ。他者との比較で感情が湧き起こることなど、とうの昔から誰でも知っていたというのに。一人で完結する絶対的な基準の喜びなど、本当に難しいものであると、遅かれ早かれ皆が気づいていたというのに。

今回ぼくが使っている人殻が実在の人物なのか、ぼくは知らない。先ほどの妻から受けた質問を思い返すと、おそらく虚構のタイプだろう。
事前に受けた1時間ほどの説明では、集中力に自信こそないが、その点についてはおそらく触れていなかった。ほとんど全てのユーザにとって、他の人生など二の次なのだろう。

明日、自分に戻ったら家探しをやり直そう。どうやらぼくは思ったよりも広い庭が好きらしい。
高校時代の思い出の品は、全て捨てよう。この人のように華々しくカーストの頂点を謳歌しないと、やはり楽しいものとは言いきれないようだ。思い出の品だと思い込んでマジョリティのふりをしていたが、自分に嘘をつく必要はなかったらしい。

直近で頭を悩ませていた原因に気付くことができた。もうしばらくは使わないだろう。価値基準が揺らぐそう遠くない未来のために、またお金を貯めておかなくては。

自分の人柄を知るたびに、人格というものの多面性に驚かされる。このサービス、どちらの読み方が正しいのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?