ゆるやかに、しかし止まることはない

次ぐ思考

実家を売ってどこかに引っ越すかもしれない。もうその前がいつか思い出せないくらい久しぶりの帰省で、母から初めて聞いた話だった。

考えてみれば当然のことだ。弟も大学を卒業した今、両親の人生には大小さまざまの余白が生まれるだろう。建てた家もその一つだ。もう使っていない部屋のほうが多いのではないだろうか。
兄弟それぞれに一人暮らしの経験を与えるような両親の前にも、さすがに前提が崩れて全く新しい選択肢が現れたのだろう。
あるいは、それほどは何も考えていないのだろうか。それはそれでまた、眠りについていた旧版の人生観が少しだけ息を吹き返したようで喜ばしい。

自分を間違いなく構成しているあの家がなくなるなんて、それこそ思ってもみなかった。濃い思い出の香りを纏う物なら等しく捨てきれずにとっておく性格はここでも遺憾なく発揮され、だからといって何か時間を割くわけでもないくせに、あの家に住み続けてほしいと願ってしまっていた。いいんじゃない、と間髪入れずに返した息子がまさかこんな本音を秘めているとは思わないだろう。変化のストレスがなさそうな毎日を謳歌している母にそんな考えが浮かんだことに、ただただ驚かされた。

注ぐ試行

自分や弟の部屋は、その時々で使った物をひと通り溜め込んだままもう動かない。ドアが閉まっていようが、そのたしかな存在はずっと両親のそばを離れていないのだ。ふとした時に思い出が入れ替わり立ち替わり、顔を覗かせてきたことだろう。この世界にかたちを持つ物というのは例外なく、片時も休まず、他の存在との相互作用を発生させ続けている。

昔のことを思い出した時は、嬉しいのだろうか。幸せを感じるのだろうか。それとも哀しいのだろうか。あるいはこの哀しさからは嬉しさが湧き出すかもしれない。思ったより、ふたつのことは同時に実現するものである。
二十年以上も世話をしてくれた人の考えることがまるで想像できない自分にため息が出そうになりつつも、おそらく両親のそれはまだ名前のついていない感情だろうと安心もしている。名前がついていないほうがいいものもあるのだ。

ただ利便性や興味で単純に、しかしほんの少し絡みつく寂しさを振り払うかのように、新しい場所に住んでみたいのかもしれない。やってみないとわからないからやってみるのもいいよね、と父に似た考え方で、まるでたわいもない話かのように会話を終えた。

継ぐ至高

考えもしなかった選択肢が現実味を帯びて突然に現れることがある。身体が動いていない時、ここぞとばかりに脳は整理と検討を始める。満足していた現状に、次の瞬間には不満が伴うのだ。つくづく人間とは愚かしく、しかし、だから生きて続けている。

両親は今までに何度か、息子のことを理解できなかったことがあったように記憶している。楽器を始めたいと言い出したり、バイクに乗りたくなってローンを組んだり、大学院から東京に行こうとしたり、それを一年間休んだりと、思い当たる節というものにしては珍しく粒ぞろいではある。育てた側の価値観は確実に伝播するが、しかし育てられた側は不思議と異なる性質を帯びた理想像を独自にかたち作って追求する。

感情や興味は自分が生まれ持ったものから湧き上がるわけではない。家族想いで短気な父と、平和主義で人当たりのいい母と、仕事に身を捧げた大黒柱の祖父と、とめどない愛情を自分なりに与え続ける祖母に育てられれば、そのどれとも言い切れないような人間ができあがる。結果としての自分が今日もまた、状態と向きを持って生きている。

自分以外の全ては参考程度に留まる。未来のために勉強し続けて、それから時間を納めて対価を受け取る立場を続けているうちに、最近の自分をよく知らないなどというなんともお粗末な有り様となってしまった。おおむね順調に見えるが、自分にとって本当に順調かは分からなくなってしまった。誰が見ても幸せで、自分も本当に幸せだと感じるような、そんな瞬間を求めていこう。

くだらない結論が、夜更かしの幕引きとなった。明日の自分にはこの徒然なる思いのたけは引き継がれないだろうが、ひとたび開通した回路はその出力結果へとバタフライエフェクトをもたらし続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?