大江山優希

怖いものたくさんな16歳。妄想家による感情の備忘録。 メールyukioeyama810…

大江山優希

怖いものたくさんな16歳。妄想家による感情の備忘録。 メールyukioeyama8108@gmail.com

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

自己紹介「私について」

はじめまして、大江山優希と申します。都内の高校に通学中の高校生2年です。 部活は複数所属しておりますが、中でも図書委員会を一番のやりがいとして活動しております。 さて、私がnoteを始めようと思うに至った理由ですが、それは一重に『高校生という人生の大きな分岐路に立たされたが故の迷いのひとつ』でしょう。何を悟った口で語っているのかと言いたくなるような言い様ですね。しかし、この方人生16年自ら大きな目標設定をしたことがないのです。小学校の頃から悟った様な素振りをするマセガキだった

    • これでnote30日投稿みたいです。忘れるほどに長く、読むのには短いといった感じです。 最初はとりあえず30日目指そうとスタートしたので、これからは更新の無い日があるかも知れませんが、また読んで貰えるご縁があったらその時はよろしくお願いします。

      • 小説を書きたいと思うようになった

        小説を書こうと思います。時間が無くても確実に少しづつ。 昔から書きたいと思っていたけど、なかなか書けなかった。 やっぱりはじめを作り出すことが難しくて、そこで止まっていたし、最も筆が進まなかった理由は「読んだ人が驚くようなものを書こう」「いままでにないような話を書こう」と明確ではないけど心の底でこう思っていた節があったと思う。 まだ書き上げていないし、なにか少しでも私のnoteで与えたものがあるとは思えないけれど、今の私が昔の私に言いたい。「自らを書け」って。 よほど深く人

        • 自分だけが書ける文章なんて

          私は自分だけが書ける文章は無いと思って常にnoteを書いてます。 考えて誰にも思いつかなかった領域までたどり着くなんて無理です。 だから自分の身の回りで起こったことしか書けません。 かといって私に普通じゃ出来ないような経験があるかと言われたらなく、希少性で文章に面白さや魅力を持たせることも出来ません。 普通として考えられる生活とはかけ離れたような生活を普通として生きている方々の文章は、同じ現実であるのにどこかファンタジーのような感覚を抱くもので、新しい世界として感動を覚えます

        • 固定された記事

        自己紹介「私について」

        • これでnote30日投稿みたいです。忘れるほどに長く、読むのには短いといった感じです。 最初はとりあえず30日目指そうとスタートしたので、これからは更新の無い日があるかも知れませんが、また読んで貰えるご縁があったらその時はよろしくお願いします。

        • 小説を書きたいと思うようになった

        • 自分だけが書ける文章なんて

        マガジン

        • わた詩
          5本

        記事

          居なかった準備をしているのかもしれません

          人と直接関わるとき、その人に何か私との思い出を残そうと思いません。 残ってほしくないし、自分の与える影響は最小限にしたいです。 今は一緒の場所にいても、別れたら私のこと忘れてくださいって感じで生きてると思います。 嫌いなわけじゃなくて、あなたを応援しているからこうしてる感じです。 当たり前ですが、前に冷たいと言われたことがあります。 他人と関わる上ではこちらも責任を持たなきゃいけないと思います。だから関わる人たちすべてが幸福になるように努めるし、あまり多くの人に直接関わるの

          居なかった準備をしているのかもしれません

          見えないとこに居させてください

          ひとりごと日記失礼します 人は人をそこまで見ていないのかもしれない。 けど自分からしたら周りの視線の先全てが私に向いていると感じることがある。 なにか失敗して恥ずかしかったりする時以外で。 だいたいそういう時は長く居れないし、居ても集中できないです。 試験の時は大丈夫ですが、自習室とかは無理です。 周りに知らない人しかいない時よりも学校みたいに知ってる人ばかりのほうが居られないです。 学校だと成績競争の空気が重いのよ。これ受験競争の辛いところね。 あと、自分で勉強しているこ

          見えないとこに居させてください

          300円で買えます

          300円で買えます。安い人間です。 先日買った紫色の消しゴムが視界に入るたびにテンションが少し上がります。 自分の機嫌を300円で買えました。たぶんコスパ最強の買い物術です。 もらったものは情が湧きます。 高いものとかじゃなくていいんで、どうぞ私を買ってみてください。 もらったものは嬉しさも含めてすべてお返し送ります。そうするようにしています。けれどもお金のかかるお返しではないかもしれません。そのときは私にとって同じ価値の愛情を返します。 相手からもらうものには私の中でそれ

          300円で買えます

          伝わって。

          自分の言いたいことなんて全部言語化して相手に伝わらない。当たり前のこと。 ときどき自分の文章を読み返すことがある。 そしていつも、「どうして○○と書かなかったんだろう。これじゃあ自分のことと全く違うじゃないか」と不安になる。 友達と話しているときもそう。会話で自分の意見を言ったとき、「今日自分が言ったことであの子が不利益を被ったらどうしよう。」っていつもその日は引き摺って考えてしまう。 私は私の言ったことに責任を持ちたい。 たとえ自分の意見が間違ったもので相手に伝えてしまっ

          伝わって。

          アイデアを残したい

          私は最近、思いついたものはできる限りその場で書いておくようにしている。毎日noteを書くのに必死な時に気付いたことだけど、人間思ったよりも一瞬で浮かんだアイデアが消えてく。 思いついた瞬間は自分でも良いと思って覚えておこうとしても、その場でメモしないと私はよく忘れてしまう。 浮かんでくるアイデアなんて、あとから見れば何か既存の作品や思想と一緒なんてことは大半。時にはほぼ何かの二番煎じなんてこともしょっちゅうある。でも私はそれも受け入れたい。 自分の考えだけれど、誰しも日々た

          アイデアを残したい

          来週はテストなので数日は短文投稿になりそうです

          来週はテストなので数日は短文投稿になりそうです

          太文字が無い文章が好き

          私は太文字が無い文章が好き。 noteとか本でも、太字で大切なポイントを落とさないようにってしてくれている人たちは沢山いる。決してその人たちを否定している訳ではわなくて、私はただ何も見た目の強弱のない文章から自分だけに強弱されて見える文を探すのが好きなだけ。 太字の文は強調されている分、みんなそこを本の内容として覚えやすい。だからビジネス書みたいに著者の主張がそのまま通じるためには丁度良い。 これらの文章は著者と読者の覚えた内容が一致するので、対話をして互いにより考えを深めら

          太文字が無い文章が好き

          誰そ彼

          古典の授業。緑の綺麗な黒板の真ん中の下の方に書かれた「誰そ彼」。隣には「彼は誰」。 「誰そ彼」暗くなってきて顔の区別が出来ないから「あなたはだれか」と尋ねる意。 「彼は誰」まだ薄暗くて「君はだれか」と尋ねる意。 風景じゃなくて人の交流の様子を、そのまま時を表す時間の言葉として使うなんて素敵な言葉だろう。 誰そ彼時は「片割れ時」とも言う。 この言葉は、私たちの世代の高校生にとっては『君の名は。』で登場したから知っているし、映画の記憶と一緒に思い入れのある言葉だと思う。

          卒業と離縁

          卒業、絶交、死別、、、 なにがその人にとって幸せな別れ方かどうかは人それぞれだと思う。 一般的なイメージだと一人でもいいから死別するまで縁を持ち続ける人がいることが重要みたいな感じなのかな。 人との縁は何か組織に属しているときが一番増える。 そして、だれしも中学卒業までには必ず今一緒にいる同級生との別れを経験すると思う。 別れたあとにはその縁がない生活が始まるし、良かったものでも悪かったものでもその縁は記憶の一部になる。 全部をそのまま記憶することはできないから、どこか局地

          卒業と離縁

          読んでくれる人が嬉しくなる記事を書くのをモットーにやっていましたが、たまには甘えて愚痴ってみようと思います。 弱さだって人の大事な一部だもんね 私の文章読んでくれる人みんな大好きだー!

          読んでくれる人が嬉しくなる記事を書くのをモットーにやっていましたが、たまには甘えて愚痴ってみようと思います。 弱さだって人の大事な一部だもんね 私の文章読んでくれる人みんな大好きだー!

          格差と家庭差の境界

          私は都内の世間的には進学校と言われる高校に通う者である。 中学受験をして入る中高一貫校なので生徒の家庭の経済水準が高く、箱入りで育ってきたような子が多く集まる場所。 親がググればヒットするような同級生の隣で毎日片田舎から登校する学校内の経済水準下位層の人間が私。 同級生の親は両親大卒は当たり前、さらには親のどちらかはGMARCH以上が大半みたいだ。 言い方が妬みになってしまうが、私の両親は大学受験を経験していない。 子供目線になるが、自身も大学受験を経験したという前提で進む

          格差と家庭差の境界

          ガクチカないです

          推薦入試とか、なにか自己プロデュースをしたときたぶん私がアピールできることはほぼない。 中学時代は中高一貫だからと呑気に部活くらいしかしていないし、かといって上手かった訳でもない。一応マネージャーも兼任してやってたくらい。 それ以外に趣味だって登下校の読書と結局時間を浪費してただけのゲーム。 もちろん中学での読書経験はかけがいのないもので決して無駄じゃなかった。 やってよかったことといえば、中2から図書委員に入ってちょくちょく記事の作成と原稿の校正をしてたくらいかな。(この影

          ガクチカないです