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推しが解散するらしい

2021年11月1日。推しが解散するらしい。


はじめて解散した推しは、キングオブコメディだったと思う。当時中学生だったか、高校生だったか忘れてしまったが、たしかに好きだった。コントも、今野さんも、高橋さんも。今でも好きだ。しかし、その「好き」を何も行動には移していなかった。だから、単独ライブにも単独ではないライブにも行ったことがない。そんな状態で、自分をキンコメのファンだと言っていいのかはよくわからない。今更DVDを買ってももうすでに中古だから、何にも意味がない。キンコメには何も届いていない。



次に、解散したのはタッキー&翼だった。元々二次元のイケメンばかり好きのだが、高校一年のある日、私はタッキー&翼に出会った。きっかけは覚えてない。ただ、その日を境に唐突にジャニーズ界隈が自分の守備範囲に入ってきた。

しかし、高校一年生。ライブに行こうと言う発想もなく(そもそもタキツバは当時ライブをしていなかったはずだ)、テレビを見て、雑誌をかき集めることがオタ活の中心を占めていた。だから、タキツバのファンクラブには入っていなかった。費用も決して安くはなかったし。ただ大学生になったら絶対にライブに行けるようにしようと思っていた。ファンクラブ代を自分で稼げるようになったら、入ろうと思っていた。それでも遅くないと信じていた。

しかしタキツバは解散した。私が高校三年生の秋に発表された。9月11日、デビュー日である。私は一人静かに衝撃を受けた。身の回りにはタキツバファンはいなかった。「タキツバ解散しちゃうの残念だねー」と話している同級生は嵐ファンだったし、それに相槌を打つ同級生はセクゾファンだった。同担は身近にいない。「残念だねー」という域じゃねえよと思ったが口には出さなかった。

解散するかもしれないという想定をしたことがないわけではなかった。実際、二人での活動はほとんどなかったし、タッキー&翼という枠組みはすでに二人には不必要なものの可能性だってあった。しかし、私は「まだ大丈夫」だと信じて疑っていなかった。あと一年で大学生だし、そしたらはれてファンクラブは入れるし、あと一年ぐらいは大丈夫だと思っていたのだ。たった一年。それぐらいなら、待ってくれると思っていた。そんなことないのに。

ラストライブはジャニーズカウントダウン。今までファンクラブにもはいっていない受験生には、行けるはずもないライブだった。私は一度もタキツバを生で見ることなく、推しアイドルの解散を迎えた。



雨上がり決死隊の活動が止まった。解散こそしてないけど。たまたま何故か天然素材にドはまりしていて、一番好きで好きでたまらなかった時にああなった。ついでに、ロンドンブーツ一号二号もだいぶ好きだった。にじゅうのだめーじ。

報道を見て、オタクにはどうしようもないことを眺めながら、私は心底後悔した。なぜかというと、私は雨上がり決死隊を一度も生で見る機会を自分でふいにしていたからだ。雨上がり決死隊は、当時月一回ルミネでユニットコントを行っていた。私は、不祥事が発覚する前月まで行われていたユニットコントの存在を知っていた。「いつか絶対このユニットコントを見にかねば」と思っていた。でもいかなかった。まだ、機会はあるだろうと思っていた。終わることを想定していなかった。

だから生で見れる機会はあった。私がハマってから活動が止まるまでの決して長くはない時間の間に。あったにもかかわらず、私はそれを逃した。私が悪い。機会を自分から損失したんだから。推しの永遠などないと、タキツバの時に学んだはずだった。忘れていた。

突然、想定していなかった形で推しが消えた割には、悲しむ隙があまりなかった。なんというか、推しが悪いので。無くなるのは悲しいんだけど、その悲しい気持ちを表明する場がなかった。まさか「確かにそれは推しが悪いけど、でも活動は続けてほしい!」なんて言いたいわけではない。ただ、どうかそのまま推し続けることを許してくれとだけ思った。誰に怒られたわけでもないけれど。せめてもの救いは、解散してないことだ。解散してない以上、未来はある。いつか横に並んでいるのを見れる日が来るかもしれない。



2019年11月13日。推しが死んだ。滝口幸広さん。俳優さんだ。まだ34歳だった。まさか亡くなるなんて思っていなかった。だって直前まで、彼のSNSをみていたし。ついこの間までたしかに世界に居た。存在していた。それがどうやらもう亡くなったらしい。

滝口さんには会ったことがなかった。より正確に言うと私はPureboysという若手俳優グループのファンで、Pureboys箱推しをしていた。しかし解散してからそれを知り、ファンになったから、グループのイベントは存在しない。それで、グループのメンバーの舞台やイベントに少しずつ通っていた。南圭介の握手会に行って、武田航平の舞台を見て、八神蓮の舞台に行って、崎本大海の舞台に行って。少しずつ制覇していたはずだった。どうやらそれは遅かったらしい。

会ったこともない推しが死んだと言われたってそんなの、だれが証明できるんだよと思った。だって会ったことないし。動いているの見たことないし。そもそも生きていることすらこの目できちんと確認してないのに、しょせん映像越しの姿しか知らないのに、もういないよなんていわれても信じられるか。いないことの証明ってどうやってやるんだろう。背理法?

でも情報は死を伝えていた。PureBoysの旧メンバーたちが、共演した俳優さんたちがSNSで滝口幸広を追悼していた。いくらなんでもこんな壮大な茶番劇はあるはずがなくて、存在をこの目で確認できたこともない推しがもう存在しないことを納得せざるを得なかった。ついこの間まで、同じ空の下にたしかに存在していたはずの推しはもういない。いないんだ。
電車の中で馬鹿ほど泣いた。

推しはどうやら、死ぬらしい。



2020年6月22日。犬の心が解散した。犬の心。よしもと所属のお笑い芸人。コント師。キングオブコント2014では決勝にまで出ている。ちょうど2019年の冬ごろから、またお笑いが再熱して東京吉本の芸人にハマっていた。POISON GIRL BANDとか囲碁将棋とか。なかでも、犬の心のコントが一番好きだった。本気でお笑い芸人を目指してやろうかと思うほどには。
その日、TLを流し読みしていたら、押見さんの長文ツイートがふと目に入って、思わず手を止めた。嫌な予感がした。やっぱり解散報告だった。

私は一度だけ犬の心を見たことがある。2020年1月4日。ニューヨークの寄席というタイトルのライブだ。ニューヨークが好きな芸人を呼んで寄せをする。今でこそ私はニューヨークのファンでもあるが、当時は特にニューヨークには興味を持っておらず、ただただ犬の心と囲碁将棋を見るためだけに行った。
当時、犬の心が一番よく出ている舞台は多分大宮だった。もしくは渋谷の夜。大学生になったとはいえ、あまり夜の出歩きは歓迎されない家なので、よほどのことがない限り気軽に夜のライブにはいけなかった。そして、大宮は遠い。流石に遠い。だから多くのライブを諦めた。

そんな中で私が犬の心を好きになってから初めて、渋谷で、昼だったのが新年のニューヨークの寄席だったのだ。その告知を見た時、これは絶対に行かなければならないと思った。行かなかったら一生後悔するかもしれない。見れる機会は見なければならないと、私はもう散々学んだから。生で見た犬の心は最高だった。やっぱり、コントはその台詞と台詞の間だとか、声色だとか、場の雰囲気だとかそういうものがあってこその作品だと思う。私はたった一度だけれど、犬の心のコントを体感できた。よかった。本当に。

結果的に「見ないと一生後悔するかもしれない」という予測は当たった。犬の心は、半年後解散した。

しかし、それでも悔しいことがある。それは単独ライブに行けなかったことだ。ライブの企画がなければ「見に行って良かった」で終わっていたと思うのだが、悔しいことにライブの企画はあった。2020年3月29日。犬の心の単独ライブがあるはずだった。時間は夜だったし、すでにだいぶコロナが警戒されているご時世だったから、親には渋い顔をされたが頼み込んでチケットを買った。だって、行くしかない。推しの単独だよ、行くしかない。もしいかなければ、一生後悔するかもしれない案件だ。買うしかない。
だけど、単独ライブは無くなった。コロナで。今だったら配信もできただろうがその時期はまだそれすら整っていなかった。中止。無。無。

そのまま、解散ライブもなく、犬の心という枠組みは消えた。私は犬の心の単独ライブを見れていない。見れたのはたった一つのコントのみ。もしコロナがなければ、単独ライブはできただろう。それでも解散はしたかもしれないけど、でも、単独ライブで私は何本のコントを見れたはずだったんだろう。悔しい。コロナがなければよかったのに。何が用意されていたのか、見たかったのに。どこにも昇華されることがないまま、消えてしまったコントを、どうか一目でも見たかった。



2020年末、ラーメンズが解散した。雑に言えば解散だけれど、解散という言葉が最もふさわしいのかといわれればそうではない気がする。コンビの活動が正式に止まった。

結局一度も生で見ることはできなかった。それもそのはず、そもそもハマったのは2019年冬である。当たり前だ。そこから解散までの間に、二人が同時に舞台に立った機会がそもそもない。私はラーメンズがとても好きだった。見たものは、ライブの映像だけだけれど、強くラーメンズにあこがれた。そのまま、舞台演劇を学ぼうとおもうぐらいには。

ラーメンズの解散は悲しくはなかった。ラーメンズの解散は自分よりもずっと悲しんでいる人がいたからだろう。解散のニュースが、どうも浮世離れしたものに聞こえた。直接悲しめるところにいなかった。生で見てないし、生で見てないどころか二人の活動をリアルタイムで見ていないし。個人個人の活動は観ているけれど。それってラーメンズファンって言えるのか?という気もしてくる。ハマったタイミング上、ほとんど不可抗力だけど。

ただただ自分自身に対して悔しさが募った。どうしてもっと早くラーメンズを知らなかったんだろう、もっと早く生まれなかったんだろう。ラーメンズの本公演を見るためには私は最低でも10年ぐらい早く生まれなければいけないわけから、本当に思ってもしょうがないことだけれど。ラーメンズは私が生まれて20年、そこに存在はしていたけど、生の動きが目に入ることは一度もなかった。だから存在も遠かったし、解散も遠い。それでも、私の人生に大きな影響を与えた存在だった。



そしてついにV6が解散するらしい。

V6はタキツバと同じくらい好きなジャニーズだ。タキツバが解散して、単独一位。私がハマりはじめた頃は20周年ライブはすでにおわっていたから、買えるだけのDVDを買って、CDを買って、雑誌を買った。推しの結婚も見届けた。嬉しい出来事だった。
しかし、コンサートには行けなかった。何故ならV6の最後のコンサートは、2017年。タキツバが解散する前で、まだ私は「推しの解散」を想定して動いていなかった。私がタキツバの解散に衝撃を受けるのは1年後である。ライブは大学生になってからでもいいかと思っていた。いいはずだった。

タキツバの解散で、推しが解散することを学んで、次のV6のライブには絶対行こうと思っていた。しかし、V6は毎年ライブをやっているようなグループではない。2018年も2019年もライブはなかった。そして、そろそろアルバムができるぐらいシングルがたまったし、アルバム引っ提げてライブしてくれるかなと思っていたところで、コロナが発生した。それでも、V6は2020年、オンラインライブを行ってくれた。ありがたい話だ。しかし、それは直接会ったわけではない。生で見れたわけではない。やっぱり生と配信は違う。

結局今もV6というグループのライブを、生では見れていない。見れていないのに、解散が来てしまった。あと半年。ライブはやるだろうか。コロナがまだ収まってないし、なかなか厳しいだろう。無理をするべきではない。

推しが解散するのはもう慣れた。推しは解散するものなのだ。三次元だもの、人間だもの。ファンには見えないところで無限の想いが存在している。そりゃそうだ。解散はする。もうダメージは受けない。自然の摂理。

でも泣いた。そこにあるものを失うのはやっぱり悲しい。たとえそれが自分の手の届かない遠くにある憧れのアイドルであっても、自分にはどうしようも干渉のできない存在であっても、悲しいし悔しい。なんで自分は小学生の頃からファンじゃなかったんだろう。ウルトラマンティガのOPは好きだったのに、どうしてその時V6を好きにならなかったんだろう。もし小さい頃からV6を好きであれば、見れたものの量も絶対に違ったのに。お金を貢げる量もきっと変わったのに。くそ。

しかし、そんなことを考えても無駄であることもわかっている。世界の決定は覆せない。オタクがいくら嘆こうが、無力。別に解散の決定に反発したいわけではない。それが最善だと判断されたのなら、それは最善なのだ。推しは待ってくれない。ただ、自分が遅かっただけだ。

また私はきっと推しアイドルを生で見れることもなく解散を迎えるし、解散しても好きだと叫び続ける。



今できることは今ある推しに課金することだけである。非常に恵まれたことに私は生活に余裕があり、暇がある。推しにお金を落とすことができる。

V6にはあと半年、できる限り課金しよう。まだ持っていないCDも買い集めよう。絶版になってしまえば、自分のお金が推しに届くことがなくなってしまう。その前に、できる限り届けよう。

それから、他の推しにも今のうちに会いに行かなければならない。先日、Jam Projectの映画を見た。私はJam Projevtはほとんど何も知らなかったが「推しの好きなものは観よう」という精神のままに映画を見て、沼に堕ちた。映画の帰りがけに20周年記念のコンプリートボックスを買って、今はそれで勉強中である。Jam Projectの映画は、まさにファン側にも推し活というものを考えさせるような話で、グループに永遠はないのだということをつくづく思い知らされた。しかし、幸いなことに私はJam Projectという枠組みが健在な時にファンになれた。もう20年もたってるけどまだそこにあるうちにファンになれたのだ。だから、コロナが終わったら絶対にjamprojectのライブに行かなきゃいけない。

将棋のイベントにも行かなきゃいけない。大阪でも天童でも姫路でも。会わなきゃ後悔する棋士が無限にいる。会って、何をできるわけでもないけれど、好きを伝えないといけないと気が済まない。「応援してます」なんて一言は推しには何の影響もないのだろうから、会いに行くのは私のためだ。機会を損失して泣くのは、未来の自分だ。それから、作家のイベントにも行かなきゃいけない。サイン本は集めているが、サイン会にはいったことがない。推しは大概京都だから関西のイベントが多いけれど、コロナ禍はともかく、そうでないときであれば大学生ほどフットワークの軽い時期もないだろう。大学生のうちなら関西にも行ける。それに、一度はキスマイを拝みたいし、最近はSnowManにハマってる。声優のイベントも、俳優のイベントも行ってみたいものがたくさんある。いけるうちに行かなきゃいけない。


そんなにいろんなジャンルにお金をつかってどうするんだと、もしかしたら数十年後の自分は思うかもしれない。Jamの映画の帰りに45000円のコンプリートボックスを買って帰った時には、オタクではない母親に「お金の使い方それでいいの」とやや引かれた。大学を卒業して、働いて、何かの間違いで結婚して、いつかはオタクから脱却して。そんな予定は今のところはないが、そうなったときに衝動のままに買ったJam Projectのコンプリートボックスは無駄な出費になる日が来るかもしれないし、それを見て「大学生の時に少しでもお金をためていればこんなこともできたのに」と思う日が来るのかもしれない。だとしても、今の自分にとってはJamのボックスは必要なものだし、V6のライブDVDも必要なものだし、今推せるものを推さないわけにはいかない。

解散しようが、炎上しようが、亡くなろうが、好きなものは好き。推しは推しである。そんなことじゃ「推しである」ことは揺るがない。しかしながら、推せなくなる日はいつかやってくる。不祥事による引退かもしれないし、未来を見据えた解散かもしれない。亡くなってしまうかもしれない。想定はできないけれど、必ず推しが推せなくなる日はやってくる。その時に、後悔したくないのだ。だから、一瞬でもハマったものには、課金していこう。それが、推しジャンルへの私なりの礼儀だ。

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