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舞台を観ること・立つこと

“舞台”というものが好きだ。観るのも、立つのも。

初めて舞台に立ったのは、4歳の時、エレクトーンの発表会。その後、幼稚園のお遊戯会、小学校の合唱コンクール、中学生時代は三味線の発表会、高校の演劇部、合唱部、大学の演劇サークル、落研、社会人アカペラサークルのライブ、そして最近では講談の高座…と、何らかのかたちで舞台に関わって生きてきている。素人の横好きに過ぎないが、幸せなことだと思う。

舞台を観ることも続いている。小学校の芸術鑑賞で観た音楽劇には観劇後しばらく心を奪われ、中学校に入ると関西小劇場と寄席通いに血道を上げた。桂吉朝さん・桂雀松(現文之助)さんのファンで週に1回以上は落語会に行っていたし、中島らもさんのリリパットアーミーの公演にはかなりの回数通った記憶がある。高校・大学時代も、落語会や、劇団☆新感線・MOTHERなどの劇団通いは続いた。院生時代は少し遠ざかったが、社会人になってからは、お笑いや演芸にも通った。なんばグランド花月やワッハ上方などに出入りし、ザ・プラン9の公演によく行った。この頃から、歌舞伎・文楽にもたびたび通っている。講談に目覚めたのもこの時期で、今講談を教わっている旭堂南湖先生の高座を、新今宮の動楽亭で初めて観て、心を鷲づかみにされたのをよく覚えている。

テレビやYouTubeがどれほど普及しても、舞台の魅力は色あせないばかりか、映像では絶対に伝わらないものがある。同じ空間で、演者の息づかい・気迫・声の振動・熱気…そういったものを共有できるのは舞台芸術(演芸)だけだ。舞台に立つ演者さんたちは、その限られた時間に、これまでの練習・稽古の成果を、全身全霊でもって披露している(はず)。だからこそ舞台は熱気にあふれるのだし、観る者は言葉に出来ないほどの感動(笑いも含め)を体感するのだ。作り込んだ作品や芸は、ストーリーやネタの面白さを越えて、波動のような衝撃を与えてくる。そしてそれが、少しずつ滋養となって身体全体に広がってゆく。そういった芸を魅せてくださる演者さんを応援していきたい、と思う。

翻って、これから自分が何かで舞台に立つときも、稽古に稽古を重ねようと思う。作り込むこと、稽古すること、舞台に立つ一瞬のために何時間も努力を重ねること。これは絶対に裏切らない。「その場のノリ」的な面白さよりも、作り込まれた面白さを、全力で表現できるように。

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