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【TOP INTERVIEW: DESPERADO 泉 英一】大切なのは自分の足で歩くこと、そして覚悟すること

再開発が進む渋谷駅周辺、渋谷から代官山に抜ける桜丘町の地に、老舗のセレクトショップ『デスペラード(DESPERADO)』があります。今回ご紹介するのはそのショップオーナーである泉 英一さんです。たいがいのことがオンラインでできるようになった今こそ、わざわざショップに来てくれる方に、いったい何ができるのか? コロナ禍となった現在でも世界中のクリエイターと繋がり、1日2万歩歩くことを自分に課しているという泉さんが考える“時代に左右されることのない、あるべきファッションの姿”について、お話を伺いました。

「僕はデザインがないところにファッションは無いと、ずっと主張して来たんです。移り変わる美学っていうのを打ち出さないといけない。ファッションに生きる人間は、常にアンテナを張り巡らせているべきなんです。」

泉さん

―コロナ禍で沢山のことが変化しました。同時に、再開発で渋谷駅周辺の景色も大きく変化しています。

ファッション業界に入って今年で40年になります。良い時も悪い時もあったんですけど、こんなのは初めてです。外因的というか、どうしようもない。ある種の天災ですから。緊急事態が解けて、渋谷も人は増えてはいるものの、消費はまだまだ全てが戻ってきているわけではないし、消費する人が減っている。ショッパーが目立たないです。皆、家に籠っているうちに価値観が変わったのだと思います。今までお店に行ってショッピングしていたのが、オンラインで買おうかとか。コロナの前からかもしれませんが、すべての物が必需品と必需品じゃないものに分けられてしまって、洋服は必需品じゃないなんて言われてしまってはね。生活必需品ではないかもしれませんが、生活必“潤”品ですよね。

コロナ前から僕が疑問を呈してきたのは、コンサバティブな考え方、たとえば「ノームコア」とか「ベーシック」とか「スタンダード」といった言葉に対してなんです。僕はデザインが大好きなので、デザインを打ち出そうとしても、そういう言葉が世の中を席巻してしまっているわけです。ファッションリーダーであるはずのセレクトショップも、とんがった、棘みたいなものを無くして、スタンダードなものばかりに落ち着いてしまっている。それを支持している日本の消費者っていうのがいっぱいいて、結果的に、どこのお店に行っても同じような内容になっています。

カレイド

今、デスペラードは「カレイドスコープ(kaleidoscope)」をテーマにしています。万華鏡ですね。ファッションって常に変わっていくものなんですよ。万華鏡も変わる様子が楽しい。ファッションも万華鏡と同じく、どこの角度に回しても美しいっていうものでないといけないわけです。変わっていっても常に美しくなくてはいけない。変わらないものの美っていうのも分かりますし、否定はしませんけれど、ファッションも人も自分自身も、常に変わってるんですよ。変わりゆく部分を、ファッションは、より新しく、より良く見せて欲しいわけです。人間には新しいものを見てみたい、もっといい物を見てみたいっていう欲望もあるわけです。その努力をしなくなったら、ファッションはファッションでなくなってしまう、終わってしまう。車だって家だって携帯だって、どの業界だって、開発しては発表して新しくなっていく。それなのにファッション界は、その努力、デザイン開発というか、そこに注力しなかったことで、他の業界に追い抜かれて行ったような気がします。

僕はデザインがないところにファッションは無いと、ずっと主張して来たんです。移り変わる美学っていうのを打ち出さないといけない。ファッションに生きる人間は、常にアンテナを張り巡らせているべきなんです。ファッションっていうのはその時代の人々の鏡、写し絵のようなものですから。社会的な現象とか、今の時流を見ながら、アンテナを立てて、より良い方に向かっていくようなものを打ち出して行くっていうのが、自然なことなんです。それが、世界のコレクションのトップデザイナー、トップクリエイターがやっていることだと思うんですよ。それがコンセプトとなり、ショーやインスタレーションで表現していく。それを考えていかないと、自分も成長しないし、お客さんも成長しないし、業界も成長していかない。ただ売るだけの目的で作り、売り上げだけを上げていくという方法論でやっていくと、どこかで行き詰ってしまう。

実店舗でお客さんに直接売ることが、古いって言われたら古いのかもしれないですけれど、アナログですけど、アナログの大切さってあると思うんです。多様性って言うんだったら、僕らがやらなきゃいけないのは、選択肢を残すってことなんじゃないかと。従来の方法をすべて捨ててしまうんじゃなくて、これもこれもありますよって残すことではないかと。アナログのレコードだって、残してきたから今の若い子がレコードショップに行けるわけで。無くしてしまったら戻りようがない。多様性という言葉の裏側も考えないといけないです。どういうふうにすれば多様性が残るかって考えないといけない。気づいて欲しいんですよね、そういうことに。コロナ禍で実店舗を閉じてオンラインで売ることが増えてるんですけど、息子や孫の時代に、オンラインでの販売しかない世の中って、どうなんだろうって思う。そんな世界を作りたいのかと言ったら、ノーなんです。わざわざ出かけて行って人と出会う、それがない生活ってどうなんだろう。街の開発も、日本の開発って特殊で、駅前、駅中、駅下といった感じに、駅を中心とした商業施設ばっかりを一生懸命考えている。地方に行くと郊外に大きいモールを作って、そこまで車で行って帰ってくる生活。街を探索するとか、そういうのがなくなっちゃうじゃないですか。路面店が生き残れないようになってしまっている。街のコミュニティや、繋がりが分断されてしまった。街は何で構成されているのかを、もう一回考えないといけないと思うんです。机に座って1歩も歩かなくても情報が集められる時代かもしれませんが、それに何の意味があるのかなと思うんですよ。本当に必要なものって自分で気になったら、取りに行くものですよ。

「良く考えたら、自分は常に、時代の逆張りをしてきました。今あるものの逆は何だろう? それがいつ来るだろうか? 振り子が今どの位置にいて、振り切れるのはいつなのか? といったことを考え続けていました。」


ー小さい頃から、東京にしかない商品を、1人で買いに出かけたと聞きました。すごい、おませな子供ですよね。

幼少のときからファッションがとっても好きで、大阪生まれなんですが、小学校4年生ぐらいから新幹線に乗って、東京に1人で遊びに行っては洋服を買って帰るなんてことをしていました。今でもだいたい1日2万歩歩くことを、自分に課してます。今は携帯で分かりますけど、昔は万歩計を付けて歩いてましたね。それは何でやるかっていうと、バイヤーとして欲しいものに出会わなかったり、何も無いんだって判断する前に、3千歩しか歩いてない自分がいたら、許せないからなんです。今日1日、何かここまでやった、4万歩も歩いたけど出会わなかったっていうのが、唯一納得できることで、そこまでやれば寝ることができる。人に見せるものじゃないから、自分でそう感じられるかどうかです。それでも2、3日、何も見つからなかった時は、ホテルに帰って行動スケジュールを、すべて組み替えます。おそらく自分が行くところに間違いがあるから。直感的にこっちじゃないなと、スケジュールを変えるわけです。

ーそういう意味では、新しいブランドやデザイナーとの関係性が常に始まっていくわけですが、シーズンによって、既存のブランドと新しいブランドとを見る割合は変化しますか?

新しいものも既存も、日本人デザイナーも海外デザイナーも、すべて、常にフラットな状態で見ます。デスペラードの商品構成は、常に海外が7割くらい。海外はコロナ禍でオンラインでやり取りせざるを得ないから、いろいろややこしいんですけれど、見ることを諦めることは出来ないので、結果的にはすべてをフラットな目線で見ることになります。前シーズン取り扱いがあって今シーズンは無いとか、その逆もありますが、それは自分の中で結果的にそうなったというだけ。今シーズン買い付けなくても、来シーズンも必ず見に行きます。今回は良いじゃん!ってこともあるから。あくまでも、それぞれのデザイナーの出したものに対して、僕はどう思うか、自分の思っていたものと一致しているかどうかだけなんです。

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ー以前、株式会社ルックで会社員として働いていたときに、まだ日本での取り扱いが無いドリス・ヴァン・ノッテンに会うために、自分の直感だけを信じてベルギーに行ったと聞きました。

80年代は紙媒体も豊富で、情報源の一つとして、あらゆる雑誌を見ていました。何かの雑誌に、ドリスの服が切手くらいの小さい写真の中に映っていたんです。ビビッと来たわけです。その気持ちを信じて現地に飛んで行ったことで新しい出会いとビジネスがスタートしました。ビビッと来た時は本当に嬉しい。会社員時代にそういう経験をさせてもらったことで、自分の勘を信じることの大切さとか、常に10年先を見る癖とかが培われたんですよね。そういった、時代を牽引するデザイナーと出会ったことで、誰もやっていなかったことを考え、探し求めて、勇気を持って提供していく覚悟を持つことができた。それは素晴らしい経験です。

良く考えたら、自分は常に、時代の逆張りをしてきました。今あるものの逆は何だろう? それがいつ来るだろうか? 振り子が今どの位置にいて、振り切れるのはいつなのか? といったことを考え続けていました。ところが、今の時代は、振り子が振れていない時代です。多少、5度ぐらいは振れているけれど...。それが日本のこの30年ぐらいの状況で、ファッションが低迷している理由でもある。だから若手デザイナー達が、どこまでムーブメントを起こせるかが大切なんです。それをバイイングするバイヤーも、クリエイティブディレクターも、デザイナーも、どこまで人と違うことをするか、その勇気と覚悟を持てるかが大切だと思います。

「デザイナーが一番やらないといけないことはデザインすることです。最終的にはグッドデザインを作ること。家具で言えば、イームズやコルビュジェの椅子はカッコいいじゃないですか。良いデザインは時代を越えていくんです。それをファッションの分野でも、パッションを感じるぐらい良いものを作っていってほしい。」

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ーコロナ禍で誰もが自分と対峙しなければならない状況で、デザイナー達も自分らしさとは何なのかを再確認した人が多いと思います。そこで改めて、日本独特のファッションの価値観や言葉に誘導され過ぎていたことに気づいたり、飽き飽きした人もいるのではないかと感じています。

昭和の時代から、日本には「シンプル イズ ベスト」という言葉が何故か定着しているんですよ。自分の生活全てが本当に「シンプル イズ ベスト」で生活していけるかを考えてみてほしい。もし100%そうなら、そんなに退屈なことはないんじゃないかな。人生にはハプニングがあったり、サプライズなことが起こったりするのが当然で、人に対してシンプルを求めても、そんな人いませんよ。でも何故かそれを信仰している人たちがいる。シンプルでないと飽きるって誰かが言ったし、時代遅れになって長く着れないと聞いたことがある、と。濃い世界観だと、デザインが次の時代についていかないから、長く着れないっていう呪縛。

景気が悪いと安いものが売れるわけです。安いものが求められる。なのでコスト削減をしないといけない。コスト削減の一番の方法は、人を介さないということなんです。人を排除して、人件費をかけない。その次にすることは原料の質を落とすことです。そんなことをずっと続けているわけで、結果的にどんどんチープなものになっていく。消費者からは、安いんだからしかたないという声も聞こえてくるでしょう。そんな状況でファッションに勢いがつくわけがないんですよ。仕方なくシンプルになった服に対して、ノームコア、シンプル イズ ベスト、コンサバティブ、スタンダードという言葉で表現して、シンプルなほうがカッコいいとコマーシャルを打っていったわけです。ファッション誌を見ても、普通の服の1週間の着こなしを提案したり、シンプルなものは、どんな時にも、どんなロケーションでも長く着られると錯覚を起こさせたわけです。それがデザイナーにも影響してしまった。シンプルなものが求められていると思い込み、ノーデザインになっていった。

次に、濃い服を選ぶと長く着られないと勘違いする人が増えたわけです。安物を買ったら、もとから10年も持たないのに。クオリティが高ければ、服は10年は持ちますよ。そういうことも分からなくなってくるわけです。誰が作っているのか分からない、つまらない商品ばかりになる。では本当に、デザインのあるものは長く着られないで、デザインが無いものは、長く着られるんでしょうか?と問いたい。私自身は、小学校4年生の時に買った服を今でもとって置いてある。長く着られるものについての考え方を変える必要があります。大切なのは、その人のその洋服に対しての、思い入れの持続性だと思う。着る着ないじゃなくて、これは捨てられない!と思う気持ち。そういう思い入れがなくなってしまっているんです。デザインがなくても飽きるものは飽きる。デザインが強くても、思い入れがあればとって置くし、もう一度着るんですよ。だから、ファッションデザイナーはそう思わせるものを作っていかないといけない。デザイナーが一番やらないといけないことはデザインすることです。最終的にはグッドデザインを作ること。家具で言えば、イームズやコルビュジェの椅子はカッコいいじゃないですか。良いデザインは時代を越えていくんです。それをファッションの分野でも、パッションを感じるぐらい良いものを作っていってほしい。

もう一つ言うと、デザインに飽きるか飽きないかは、服の濃さではなくて、買った時のストーリーなんだと思うんですよ。いつ、誰から、どこの店で、どういう状況でその服を買ったか。その時の思い出もくっついてくると、なかなか飽きないものですよ。今は買い方自体が飽きるような買い方なんですよ。どうやって買ったか覚えてないとか。そこに思い入れが無いんだもん。飽きない買い方をするための“思い出作り”は、僕はリアル店舗の方が強いと思う。同じものが売っていたら「ここで買いたい!」と思って欲しいんです。あの時に、あのスタッフの方が勧めてくれたっていう記憶が、とても大切なんだと思います。うちでは、出来るだけアノニマスなもの、つまり作者不明のものを売らないんです。デザイナーとも、よく知った仲で、彼らから直接聞いたいろんな話を頭に入れて、お客様には服だけでなくブランドを売っていきます。作り手の情報を僕ら売り手が知って理解して、それをお客様に繋げていく。そうすれば簡単に飽きたりしないし、それがデスペラードの顧客とのお付き合いが長くなる理由なのだと思います。ここで買った服を忘れられないという状態になるから。

「デスペラードはオリジナルはやらないんです。作者が不明のものは取り扱わない。生地とデザイナーと、誰が作ったか分かる物を扱う。物がある以上、作者がいると思っています。」

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ー日本のセレクトショップは、ある時からオリジナル商品を強化しました。日本のデザイナー達にとっては、ダメージが大きい出来事だったと思います。

今はアノニマスな服がどんどん増えています。ここ20年ぐらいのファストファッションの影響で、セレクトショップの業態も、オリジナル商品が8割を越えてきて、もはやお店にあるメインはオリジナル商品となってしまい、デザイナーズブランドの活躍の場が減ってきている。死活問題ですよね。デスペラードはオリジナルはやらないんです。作者が不明のものは取り扱わない。生地とデザイナーと、誰が作ったか分かる物を扱う。物がある以上、作者がいると思っています。だから「物と者の融合」を掲げています。作者の個性、考え、そういうものが出てくるような物を扱いたい。

売り場の販売員も、デザイナーの顔が付いている服を売るときと、アノニマスな誰が作ったか分からない服を売るのでは、必然的に対応が違ってくると思います。同じ値段で同じような物でも、やはり違ってくるはずです。ここが一番大事なところ。ご時世としては店舗に人が減って、店舗で物が売れないし、ネットのほうが売れたりすることもあるけれど。そういう販売の仕方は企画的な商品には合っているかもしれませんね。それでいいという人は、そういうものを作っていけばいい。でも、自分のデザインした服は、触ってみなきゃ分からない、着てみなきゃ分からない、そういう服を作りたいデザイナーは、これから益々、人との関係性が大事になってきます。できるだけファッションは人を介していったほうがいい。

最近はブランドをスタートした早い段階から、デザイナー達が自分でセールスに回らないで、営業任せというのが多いですが、困ったことに、その営業が店に来ない。メールだけというのが多いです。地方のセレクトショップにメールだけ送って営業した気持ちになっているデザイナーや営業マンが多いように思います。デザイナーは流暢なセールストークができなくてもいいんですよ。自分の商品を置いて欲しいショップに足繫く通って、そこにいるスタッフに好かれることが最初で最大のセールスなんですから。

「MDに代わるものは何かっていうと「趣味」です。趣味性の強いところ、大きくはなれないかもしれないけど、グッドサイズで構成された存在に人は集うのだと思います。やっと「ビッグよりグッド」が、正しい時代になりました。」

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ー今もう一度、日本人デザイナーに伝えたいことはありますか?

日本人のデザイナーには、2パターンあると思っています。日本国内で日本人だけに売るドメスティックなデザイナーと、国内だけに収まらず海外に出ていくデザイナーと。そのどちらを選ぶべきか? 昭和そして平成の時代までは、デザイナーは日本全国で取り扱いがあれば食べていけました。なぜなら、日本には首都の東京だけでなく、大阪や名古屋、広島、福岡、仙台、札幌といった、地方都市がしっかり発展していたからです。こんな国はヨーロッパには一つもないんです。ヨーロッパや他の国のデザイナー達は、その国の首都しか栄えていないから、モノづくりを始めたその時から、世界に標準を合わせて商品を作っていくんです。日本人のデザイナーも、これから海外を視野に入れるのが当たり前になってくるのではないかと思います。日本で成功したら海外に行く、というスタイルではもう無理。いまは世界にも同時に行かないとダメだと思います。

日本のファッションは綺麗だと言われますが、綺麗なだけではもうダメです。それだけじゃなく、もっとこう味が出て欲しいと思います。もっとパッションを感じさせて欲しい。バイヤーに服の裏側をひっくり返して説明しないと分からない良さは、海外の人にとってはどうでもいいことなんです。日本のデザイナー達は、服と人間との関係がどうあったらいいのかを、もっともっと研究して、強化していかないといけないと思います。

日本では、今も昔もイタリアの服の輸入量が多いです。イタリア人は「服は綺麗な人が着たら、より綺麗」と平然と言う。でも綺麗で無い人でも、ちょっと綺麗に見える服、それがイタリアの服なんです。だから日本で売れる。イケメンに見えるのは、イタリアの服です。フランスの服は「もっとセンスを磨いて来い!」と言われる感じ。売る側の人もそういう構えで人を見ます。その服とつり合いがとれる自分になる必要があり、そのために頑張るから、最終的には自分もハッピーな状況になれるわけです。服代に5万円かかったとしても、プラス自分が磨かれたとなれば、良いじゃないですか。フランスの服はそういう点で、人間に貢献していると思います。ロンドンの服は、着るのに精神的にパワーが必要です。元気がないと着られないわけです。ネガティブがポジティブになる服とも言える。そんな風に、服が持つ意味やパワーは国ごとに違っていますが、大切なのは、服が人間にどんな影響を与え、どう貢献するのか?という根本的な問いを、デザインの段階で考えているかどうかなんです。じゃあ、日本の服はどうか? ただ綺麗なだけ、あるいは安いだけ、メイドインジャパンだけではもうダメなんだと思います。いったい何に貢献するのか? 21世紀はデザインこそが力。デザインが人の暮らしを豊かにするんです。たったコップ1つでも、幸せな気分になれることがあるじゃないですか。だからこそ、デザイナーには、デザインすることを忘れないで欲しいんです。

ー先ほど、「カレイドスコープ」をテーマにされているとおっしゃっていましたが、店内のレイアウトもその点を反映しているのでしょうか?

うちはマネキンを置いてないんです。スタイリングを組まない。何を選んでもベストな状態にするのが僕の仕事ですから。今でこそ世の中は「ジェンダーレス」とか言ってますけど、うちは20年以上前から「ノンジェンダー」って言ってやってるんです。このくらいの広さのお店だと、普通、「メンズはどこですか?」「ウィメンズはどこですか?」って聞かれますが、そんな見え方は無いんです。手に取って着たものが、あなたのもの。食べ物とか携帯とかに「これウィメンズですか?」とか無いでしょう? デスペラードは、ジェンダーレスでありたいなと思っています。90年代以降のアパレルの風習では、MD(マーチャンダイジング)がとても力を持っていました。けれど、それに踊らされて買う消費者は、もういなくなった。そういう意味では、今の子は賢いし感性も磨かれています。それじゃあ、MDに代わるものは何かっていうと「趣味」です。趣味性の強いところ、大きくはなれないかもしれないけど、グッドサイズで構成された存在に人は集うのだと思います。やっと「ビッグよりグッド」が、正しい時代になりました。

ー確かに大きいことだけが意味を持つ時代は終わったように感じます。大きくなることが全てではない。

小さい形で根強く継続できて、SDGsじゃ無いけど、そのサイズで継続できるのは趣味性の強いもの。

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ーそしたら必然的に、共存できますものね。

そこを追求して行くしかない。3つの選択「何を継続して、何を捨てて、何を取り入れる」のか。大きさ比べでは無い時代に入ったと思うんですよ。自分たちがファッションが好きでやり始めて、好きな気持ちがずっと持続できる大きさが必ずある。今は、サイズが大きくなりすぎちゃって、ファッションが嫌になっちゃったという人が増えているんだと思います。サステナブルだとか、SDGsだとか、多様性という言葉を、そのまま表層的に捉えて言っている人が多いから、本当の意味が分からなくなる。その言葉以前の前提が大事です。前提が無いとどうにもならない。

ー結局はすべて人に回帰する、ということでしょうか?

店は良くも悪くも“自分”そのものなんです。恥ずかしいけれど本当に。自分そのものを好きと言えるか、顧客が良いと言ってくれるか。自分じゃないもの、自分の姿勢を崩してしまっては、それは表現出来ない。

ー来る人も、お店に多様性があった方が、自分が受容されている感じがしますね。

昔は“ファッション”じゃなくて“衣服”だった。何が違うかって、もっとソーシャルなものでした。結婚式があります、授業参観があります、それは自己主張したいっていうよりも、これを着ていくとあの人はどう思うか、人から見られた時にどうかという他人の視線ありきだった。今は「自分がそれをどう思うかを、着ていく時代」です。少なくともデスペラードで服を買う人は、そういう人です。自由な人です。どんなに時代が変わっても、ファッションは唯一「自由でありたいな」と思うわけです。ファッションをどういう方向に持っていくか、どういう夢を託していくかっていうのは、今ファッション業界にいる人達の責務だと思います。

ー渋谷の端っこの桜丘は、泉さんの想いを表現するための絶好の場所なんですね。

桜丘町には、フロンティア精神を持った人が沢山います。カメラマンやデザイナー、変わった人が沢山いる。僕も自分らしくいられるなと感じています。ダウンタウンと感じるところが一番好きなんです。ヘビーと思われるかもしれませんが、ダウンタウンからしかファッションは生まれないと思います。アップタウンには成功したものがあるだけです。世界的に見てもそうです。ニューヨークなら、ノリータ、ブルックリン、クイーンズと、センスの良い若手クリエイター達は、ダウンタウンに逃げていく。だから、これからのものを探すならダウンタウンに向かわなければ。街には、ネズミがいたり、猫がいるのがいい。街はそこに住んでいる人と、行きかう人が文化を作っていきますから。だれも住んでいないところには、文化は無いんです。

泉 英一 Eiichi Izumi
1958年大阪生まれ。幼少期から母親の影響で服に興味を持つ。1981年に㈱レナウンルック(現・㈱ルック)に入社。プリュック、ドリス・ヴァン・ノッテン、クリストフ・ルメール、マーク・ジェイコブスなど新進デザイナーブランドを日本国内で初めて紹介した。2000年、渋谷区桜丘にセレクトショップ『DESPERADO』をオープン。また、イルビゾンテ、マリメッコのクリエイティブ・ディレクターも務め、㈱ルックのマーケティングジェネラルマネージャーも兼務した。その独特の風貌とファッションを語り始めると止まらない熱いトークで、一度会えば忘れられない強烈な印象を残す。世間では国籍不明、年齢不詳、住所不定のレッテルをはられている。文字通りの DESPERADO(ならず者)である。

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