選択的夫婦別姓制度への道
特権階級が、己の既得権益と権力を維持するための障害を、取り除くのが唯一の目的となり、政策などにかまけている暇はない、という姿勢ですね。だから、弊害が明確になっても、改革などはできず、悪弊におちいる結果になります。これも、百姓一揆に端をもつ〈政治はすべて武士にお任せ、ただし増税だけは一切拒否〉(256頁)という庶民の政治への無関心が原因であるといえそうです。
このようなことを、思い出したように挙げたのは、『「夫婦別姓」経済界動く 世界に通じぬ旧姓通称』(毎日新聞2024/2/3)という記事を読んだからです。
選択的夫婦別姓制度に反対しているのは、自民党の保守派といわれていますが、彼らが本心で反対しているようには思えません。彼らを支持してくれている「保守層」の票を意識しているのではないでしょうか(一部に本気でその見解に、固執しているものもあるでしょうけれど)。政治家が支持者の見解に迎合するあまり、その見解を自分のものとして思い込む、ということはありそうなことです。政治家の目指すのは「当選」なのですから。
冒頭に引用した文章の意味するところと、似ていますね。
さて、グローバルな市場経済のなかで、「旧姓通称」が通用しなくなる事態が発生し、経団連が「選択的夫婦別姓制度」の導入を政府に要望する、その外圧に対して政府はどのように反応するのか。「無視」という気もしますが、要望を受け入れるにしても、市民の要望ではなく、グローバルな市場から「とり残される」ことを危惧して、ということになります。この国の「民主主義」についてのレベルの低さを痛感させられます。
しかも、外圧がなければ変革がなされない、という国です。
ちなみに私は、「夫婦同姓」「異性婚」を支持し、「夫婦別姓」「同性婚」は認めない、という意見をもっています。法律的な「結婚」「家」「家族」に対する「特権」を無くしたうえでのことで、それでも、わざわざ「結婚」を選択する場合に限り、ですが。
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