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2023/03/14 思い返せば

実母はヒステリックだった。私が友だちの家に遊びに行くと言えば3歳下の妹を連れて行けと言い、友だちの家に上がって遊ぼうとしても内弁慶な妹は絶対に上がろうとせず、怒ったような顔をして私を睨むものだから連れて行きたくないと反抗するだけでお姉ちゃんなのに!と怒る。

だって楽しく遊べないのに。友だちなら自分でつくって、遊びに行けばいいじゃん?て思ってました。

ある時、夕方5時までに帰らなくちゃいけなかったのに楽しすぎてほんの数分過ぎてしまったことがあったんです。
そうしたら家中の鍵が締められてまして。玄関、裏口、雨戸は締められてないから家の中の様子は見えるのに入れない。

私が遅くなってごめんなさい、と騒いでいるのに気がついた実母が約束を守れない子はうちの子じゃないと言い、どこにでも行けばいいと言い放ちましたので私はそうか、もうここの家の子どもじゃなくなったんだと絶望してどうしたらいいのか分からず産まれた頃から家族ぐるみでお付き合いしていた隣家に行くことにしました(何故かは忘れましたが)。

約束の時間に帰れなかったからうちの子じゃないって言われて、家がなくなったとか言ったんでしょうね…おばさんが一緒に行ってあげるからもう一度謝ってごらん!と励ましてくれてとりあえず家の中には入れたんですが、恥ずかしいことをするな!どうして隣りに行ったりしたんだ!って言うんです。

うちの子じゃない、出て行けと言っておきながら恥をかかせるなとも言う実母をおかしいとは思いました。大人になった今なら適切な言葉が浮かんできますね、支離滅裂って。

虚弱体質の兄、末っ子で甘やかされ放題の妹に比べて手間のかからない私は放っておかれることも多く、勉強にしてもお稽古にしても一生懸命に努力して無意識のうちに褒めて貰いたいと思っていましたが
アスペルガー症候群の診断がおりたと話した時の
「お姉ちゃんはおかしくなんかない、普通の子どもだった!」
という一言で色々と諦めました。
私がどれほど努力していたか、何一つ届いていなかったことがわかってしまったからです。

いまだに容易に絶望してしまいますが、実家とは年に3度も連絡しません。感染症が流行り出してからは行き来もしてません。

わが子3人の子育ては寿命ある限り続きますが、責任もって、それぞれの特性を踏まえて、路頭に迷うことのないように道筋を付けておきたいと思っています。

ミクさん好きすぎてひたすら編んでるのでちょっとでも関心を持って頂けたら嬉しいです。