産後うつ闘病かあさんの克服記~はじめに~

〈死に至る病―産後うつー〉

 妊娠し、胎児の心拍が確認できる妊娠約8週以降、各市町村で申請すれば交付される「母子手帳」。その後ろの方にこうある。

「『産後うつ』は、産後のお母さんの10~15%に起こるとされています。(略)産後うつかもしれない、と思ったときは、迷わず医師、助産師、保健師に相談しましょう」]

 どの育児本にも、産後うつの人に向けた本にも書いてあるのはたいてい、最寄りの医師や保健所などに相談しましょう、だ。では、相談したらどうなるのか。先のことを書いてある本や記事が、実はほとんど世にない。特に複数子を抱えた場合は皆無だった。

はい、わたし、相談しました。でも「何もしてくれなかった」。

 これが正直な私の感想だ。いや、産科医、助産師、保健師等それぞれが決められことはしてくれたのかもしれない。しかし、それは、深刻な産後うつに突入していた私には、残酷なほど突き放したものであり、「死ねということか」と思った。

 (子どものかかりつけの小児科医は本気で私を心配し紹介状を握らせた)

 私は、第2子が誕生後、1か月くらいから、言葉に言い表せない「不安」でいっぱいになっていった。一言でいうなら、「私は、仕事をしながら、きちんと家事をこなし、この2人の大事な命を『ちゃんと』育てられるのだろうか?」なのだが、今は整理できたこの気持ちも当時は、何かわからない、大きなどす黒いものが胸を押し付け、吸い込まれていくような感情だった。

 私は、ある日パニック症状を起こし、精神科に駆け込んだ。母乳をあきらめ投薬を始めた。これが第1子の時に起きていたら、私は母乳に固執して死んでいただろう。

 しかし、「藤田さん、僕と約束をしてください。死なないって」と医師から迫られるほど、通院ではどうしようもなくなり、最終的に、誰よりも愛している子どもたちを「怖い」と感じ部屋に閉じこもるようになったのだった。

 私は、「母子分離」のために精神病院に4か月半もの間入院することになった。

 このブログでは、順調だった第1子の子育てと仕事の両立、そして最高に楽だった第2子の出産から一転、「上の子優先の呪縛」から演じ続けた“よき母像”の破たん―。 地獄のような「産後うつ」を発症し入院に至るまでにことをー

 そして、精神病院での入院生活と、そこに出会った子育てと仕事(家事)の両立に悩み病に至った母親たちなどの実像

 ・不妊治療を長く頑張り授かったが難産の末まったく子供が愛せない母

 ・ママ友との人間関係に悩み、アルコール依存と睡眠薬の飲みすぎで入院したうつ病の母

 ・家事が苦手で娘が3歳になり時短勤務が解除になりうつ病になり自殺未遂を図って強制入院になった母

 を産後うつに限らず、精神疾患に悩み闘病している人の実像をしってもらいたいと思っている。

 そして、わたしが「産後うつ」を克服していく過程を、取り巻く行政・医療の問題点も私なりに提起しながら書いていく 産後うつで入院していた、なんていうと離れていく友人がいるだろう。職場でも面白い仕事はできなくなるかもしれない、家族をもしかしたら傷つけるかもしれない。もしも、子供たちが大きくなって、当時の私のことを知ったら・・・。それでも書きたいと思った。同じように「産後うつ」で苦しむ母親、その家族の方々へ向けて、自分だけじゃないんだ、と伝えたいと思った。どん底から必ず光は見えると信じてもらいたいからだ。

産後うつというと、ホルモンバランスの乱れだからと、時間で解決しようとするお母さん、周囲もいるだろう。

  でも、人によっては「死に至る病」だということを知ってほしい。

  国立医療生育研究センターによると、2015年から2016年の2年間で、産後1年までに自殺した妊産婦は全国で少なくとも102人いると発表した。死因では最も多い。

 産後うつは、私の家族を大いに苦しめた。しかし、誤解を恐れずにいうと、それでよかった。自分の生き方を見直し、家族のありがたさを更にかみしめるようになった。2人の子供を世界中で誰よりも、愛していると声を大にして言える。だから書く。

 注)ここの登場する患者さんたちはアルファベット表記にしてありますが、イニシャルは実物とは違うものです。またご本人が特定されないように、加筆・減筆していてフィクションです。ご了承ください。

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