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幸せのあり方

またまた久しぶりの投稿になります。
2月に入りユチョンの4日間のイベントが終わりましたね
皆さんの喜び・歓喜の声をX(旧ツイッター)で確認して幸せな気分になっておりました。
男の僕がDINNER SHOWに参加するのは少し違うかな?と思い(金銭的にも高額でしたので・・・)今回は応募すらしませんでした。
あんなに近い形でユチョンに会えるなんて・・と少し後悔もしましたが
大丈夫です笑 次のツアーは大手を振っていかさせてもらいます!!

さて僕が久方ぶりに発信しようと思ったのは表題の件を声高に叫びたかったからです。
そもそも「幸せってなにさ?」と半恒久的な議題を投げかけたのには
幸せとは身近で些細なことだと感じとれる瞬間があったからです。

それは「想い」です。

他人を想う気持ちです。
それはお金でもやりがいでもなく形や数値として確認出来ないと思います。
東方神起デビュー20周年
現東方神起であるユノ・チャンミン
ジェジュン・ジュンス そしてユチョン
色々なことがあったけど、20年間頑張ってきた5人に
「ありがとう」といいたい 
もしかしたらユチョンなんか頑張っていないし4人の足を引っ張り続けていると思っている人達も居ると思います。
ジェジュンとジュンスは東方神起ではないと思っている人達も居ると思います。
それは正しいです。間違っていないと思います。
ただそう思わない人達もいます。
例えマイノリティーだとしても存在しています。
ここで言いたいのは個々の気持ちは個々の気持ち 他人の気持ちなんて分からないし分かる必要もない、押し付けることも論破することも悪態つくことも無意味だということです。
だって「個人の自由」だから「個人の自由」を剥奪したり、侵害したりする権利なんて誰にもありません。

僕は今回のユチョンのイベントで間接的に感じたのは
誰かを想う気持ちがあればそれは「幸せ」なんだということです。
それはジェジュンのファンミでも例えば他のアーティストのコンサートなどでも同じだと想います(6月にIU来るよね 行きたいなぁ~)
そこに想う人と想われる人がいる
ユチョンが私達を想い 私達がユチョンを想う
そこに相互関係があるのは更に素晴らしい間柄だと思います。
アーティストとペンの関係なんて表面上ものものだと揶揄する方もいます。
勿論その一面はあると思います。なんせ商売ですから需要と供給の関係であるのは経済の視点からみれば当然です。
ただそれを本気に思うかが大事なポイントです。
本気だからアーティストの一挙一動が気になるし、噂やゴシップにも気を病む。本気だから裏切られた信用を著しく失った時の失望感憎悪感は計り知れないものになります。
それは全て個々の想い。喜びも悲しみも 思い込みの感情といったら少し淋しいけど、感情とは大体が一方通行なもの。だから曖昧で面白い      
僕はそう思います。
結局はその本気さを楽しむ なんか矛盾ぽく感じてしまうかもしれませんが
心酔して盲目的になるという状態ではなく客観的に「自己の感情と向き合う」
ワクワク・ドキドキしている状態を未来の自分が日記で読んでいるみたいに
現在進行形でそれを頭で理解している方は中々いないとは思いますが・・
(書いていて僕もそんなことは無理かもと考えてます笑)

21・25というドラマがあります。大好きなドラマです。
その中に元彼であるペク・イジンを過去に置いてけぼりにしてしまった主人公のナ・ヒドが悔やむシーンがあります。
想いを置いてけぼりなんて・・儚くそしてロマンチックだと思います。
でもその人を本気で想う気持ちに偽りはなかった筈です。
同じように今どう思っていても、その時代、その瞬間に彼(ユチョン)を想ったのは事実、過去の自分や過去のユチョンを責めることは出来るけどその時の想いを恥じてほしくないし、消してほしくない。それは今の自分を否定することになるから なぜならIFなんてないから 過去は未来に繋がっている。
若い時の日記をめくるみたいに想いを回収しながら進んでいくことが未来を作るのではないかと考えます。
そんな風に考えると私達の生活はほんのちょっぴりかもしれないけど
幸せに感じるのではないでしょうか
彼女と春を歩く
そしてその情景は
春の目黒川に舞う花びらのように・・
とても緩やかで美しい


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