初めまして、ぴよこです。

物件管理人ってどんな人?
皆様、ピンとくるでしょうか?

私は親の建てた築40年の物件を相続し、
自主管理人として
何とか経営を成り立たせようと奮闘しています。
築40年といえば、言って「負の遺産」ですよ。
その頃、オートロックってなあに?の時代。
今ならあって当たり前の装備はナッシング。
そんな物件を目の前に、
腰に手を当て仁王立ちになり
やってやろうじゃないの!と立ち向かう私。
そんな私が孤軍奮闘する日記です。
まずは、昔々のお話から始まります。

最初、父は平家だった自宅に2階を増築し、
4部屋を人に貸しました。
飲食店を経営する両親の、収入を安定させる目的だったと思います。
その時の間取りは、トイレと小さなキッチン、それに
和室の6畳のお部屋でした。

駅から近いこともあり借り手はあとをたちませんでした。
お風呂がなくても近くに良い銭湯があった時代です。
コンビニなんかも当然なく、
道路沿いに並ぶお惣菜屋さんや酒屋さん、八百屋さんなんかが
賑わっていました。

その頃、貸し主は借り主の事を「店子さん」と呼んだりし、
家主は面倒見よくして長く住んでもらうのが一般的だったのです。

まだ子供だった私は、部屋を借りるお姉さんやお兄さんと挨拶したり、時には少し話し込んだり。
そんな穏やかな昔にも、やはり事件は起きるのでした。

ある時、少し色っぽいお姉さんが引っ越して来ました。
綺麗で、何となく良い香りがしそうな。
髪も綺麗に染められていて、
私のそばにいる母や叔母とは種類の違う女性だと子供ながらに感じていたのです。

部屋には大きなタンスがあって、
細身のスタイルに華やかな洋服を着ている人。
暫く住んでいましたが、ある時から姿を見かけなくなって…

お家賃が入らなくなり、部屋を訪ねると
お姉さんの姿はありませんでした。
夜逃げです。
大きなタンスや日用品はそっくり残されていて、
とるものも取り敢えず逃げ出した感満載。

その後保証人とのやり取りや
お家賃の回収などで父は忙しかったと思いますが、
私の脳裏には残された家具や日用品の様子がありありと記憶されています。
まだ世間の事を知らない私にはかなりショックな出来事でした。
「ヨニゲ」を身近に見てしまったのですから。
「カケオチ」なる言葉もその後出て来た様に思いますが、
あの色っぽい綺麗なお姉さんのその後は分からずじまい。
子供ながらに、東京湾に沈んだりしてないよねえ?
なんて恐ろしい事を考えたりしました。







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