見出し画像

忘備録、、、②

3月12日。
午前6時ちょっと前。

町の防災無線から『全町避難』という放送が流れて布団から出た。
まぁ、起きてはいたけど子供たちの寝顔を見ながら1日の流れを頭の中で組んでいた最中だった。

子供たちを起こして着替えをさせ、とりあえず朝ごはんを食べさせる。

その間に、父と避難についての情報を集めるも、電話は未だ混線状態。
とりあえず集会所に行こうという事で、私はヤマトの格好から普段着に着替えて出発の準備。

隣の老夫婦は足が悪いうえに移動手段がなかったので声掛けに行くと、居間でのんびりとお茶を飲んでいた。
どうやら行かないつもりでいたらしく、
「乗せて行くから行こう」
と説得して連れ出す。

我が家は子供たちと隣の老夫婦を連れて行く為、車3台で集会所に向かった。

着くと、すでに数組の家族が来ていた。
みんな、なんで避難するのか理由を知りたがっていた。

その時私は心の中で
(1Fで何かあったんじゃないだろうか、、、)
という不吉な予想をしていた。

その予想が本当だと分かったのは、集会所に着いた約2時間後に、町の消防団の見回りが来て、その中に1Fで働いていた友達がいたので聞いたからだ。

「1Fで何かあったの?」

私の問いにただ頷いただけだったけど、友達の表情を見て
(まずい!)
とすぐに分かった。

「お父さん、今すぐ逃げよう!」

集会所に集まっていたのは、そこに避難用のバスが来ると言われたから。

しかし、すでに目の前の国道を町民を乗せたバスが何台も西に向かって通過していたが、ここに迎えのバスが来る気配が一向に無かった。

このまま待っていたらまずい!

友達の顔を見てそう確信していた私は、父に自家用車で避難しようと提案した。
免許がない世帯は乗り合いで乗せて逃げようと。

区長に掛け合ってもらい、その方法で避難する事に。

「あ、犬たち!」
ふと思い、父に犬たちも連れて行こうと言った。
父は初め反対したが、私があまりにもしつこく言うので根負けして連れ出してくれた。

という訳で、我が家の車は、
1台目・・・母の普通車に老夫婦を乗せて避難
2台目・・・父が運転する軽貨物車に犬たちを乗せて避難
3台目・・・私の軽自動車で子供たちと避難

という状態になった。

父が犬たちを迎えに家に戻って出たのだが、
「犬の餌とか、持って来てないよな。」
と思い私も一度家に戻って、餌の他に布団やら子供たちの着替えやら、とにかく必要だろうと思う物を積めるだけ押し込んで積めてから避難を開始した。

ので、両親から若干の遅れをとってしまったのだが道が渋滞気味だったので前に車を発見出来た。

こうして避難所に向かった。

1ヶ所目が満員だったらしく、両親の車はさらに先に進んでいった。
その後を追いかけて次の避難所に入って行くのを確認。

私は避難所に入る前に近くのスタンドで給油を済ませた。
故にだいぶ遅れて到着した為、母がかなり心配して待っていた。

一緒にきたご近所さんたちとも合流して場所を確保していた。
まずは配られていた布団とマットを受け取り、体育館の床に敷いて隣の老夫婦を座らせる。
母に子供たちを頼み、持ってきた布団を車から下ろす。
この布団のお陰でだいぶ暖かく過ごせたのはいうまでもない。

母から、
「なんでこんなに遅れて来たの?」
と聞かれたので、家に戻ってあれこれ持って来たのと、給油して来たと言ったら
「あら、じゃあこっちの車も入れて来ないと」
と、父に給油に行くよう促した。
    ↑
実はこの行動がとても重要。
父は給油に行ったきり3時間近く戻って来ず。
私が給油したスタンドに行ったのですぐ近く。
なのに、この時すでにスタンド渋滞が始まっていたせいで戻って来れなかった父。

私は間一髪でスタンド渋滞前に給油成功。
しかも、翌日にそこのスタンドは燃料切れで休業。
他のスタンドも
『1台10ℓまで』
の制限が開始。
前日の早い時間帯に給油していた我が家は、規制無しの満タン給油が出来ていた。

この行動がなぜ重要なのかは、翌日からの行動で分かるので一旦置いて、、、。

避難所であらかた落ち着いた所で、私は子供たちと買い出しに出る。

最寄りのスーパーに行くと、お惣菜売り場やパンコーナーはスゴい人だかり。
それを横目に私は乾麺と麺つゆ、レトルト食品や缶詰などを購入。
それから最寄りのホムセンで鍋とカセットコンロとガス、使い捨ての容器や割り箸、ウエットティッシュといった日用品などを購入。

避難所に戻り、子供たちを母に預けて屋外のなるべく目立たない場所に車を移動して作業を開始。

作業とは、炊き出し。

避難所なので、水と電気はあるが煮炊きするガスは無し。
そこでカセットコンロを買ってきた訳で。
水道から鍋に水を汲み、屋外で乾麺を茹で始めた私。

タバコを吸いに出てくる数人の方に見られるもお構いなしに茹で上がった麺の中につゆを投入。
約20人前の『素うどん(温)』が完成。
道具を車に積み込み、鍋と器を持って避難所内へ。

自分たちのグループにしか提供出来ない事に申し訳なさを感じつつも、家族と知り合い優先なのは当たり前なのでグループ内で食べた。

避難所に入って時、貰った食事が冷たくて小さなおにぎり(味無し)と水1本。
「これじゃあ無理」
と思い買い出しに行った次第。

避難所生活がある程度続く事を想定して、日持ちして温めて食べられるレトルトや缶詰を購入した。
まだ3月で寒い。
温かい汁物も必要だろうと乾麺と麺つゆを買った。
茹で汁につゆを投入するという、かなり雑な作りだが、みんな喜んでくれた。

とても質素な夕食。
それでも、周りから見れば『温かい物』を食べいているここのグループはかなり目立った。
避難当日の夜にここの避難所で調理した温かい物を食べていたのは、広いから分からないけど他にもいたのか、、、。

その夜、一個下の親戚と電話が繋がった。
聞けば栃木県を移動中だと。
どこにいるのかと聞かれたので、避難所の名前を伝えると
「そんな近くにいたら駄目だよ!」
と強く言われた。
そう言われてもすでに夜。
今さら出るにもかえって危険だと思い、
「明日の状況見て移動するよ。」
と言うと、
「明日必ずそこからもっと遠くに避難して!」
とまた強く言われて電話が終わった。
その子は1Fで働いていたので、どれだけ危険な状況かを分かっていたのだ。
私もその子の言う事に従うべきだと考えながらも、さてどこに避難すればいいかを考える。
母に相談すると、
「明日お母さんの実家に電話して、みんなで行けるか確認してみるわ。」
との事。
その後、東京に住む姉からの電話が繋がる。
「ウチに来てもいいよ。」
と言われたが、4LDKのマンションに5人で暮らしているところに、一家5人で押しかけるのには気が引けたので一旦保留して電話を切った。

とりあえず、姉や親戚と連絡がついた事でちょっとホッとしてこの日はみんなで肩を寄せ合い就寝したが、眠れなかったのは言うまでもない。

翌日に続く、、、。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?