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「起業家にとっての死と再生」~始めたことをやめる・終わらせる・引き継ぐ~12/21(木)ソーシャルビジネスラボ交流会への思い

明日、府中市のソーシャルビジネスラボで交流会が開催される。今回のテーマは「起業家にとっての死と再生」。僕も企画側として関わってきた。その思いを綴ってみる。

死と再生に関する名言

と、その前に「起業人生でのしくじり談」に引き続き、「死と再生」の名言も漁ってみた。

「手放すことでしか、新しいものは手に入らない。」
パブロ・ピカソ(画家)

「我々はつねに、自らを変え、再生し、若返らせなければならない。さもなくば、凝り固まってしまう。」
ゲーテ(詩人/小説家)

「死は、生命最高の発明だ。それは生物を進化させる。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。」
スティーブ・ジョブス(起業家)

校長先生~

「心が整理された者にとって、死は次なる大いなる冒険にすぎないのじゃ」
アルバス・ダンブルドア(ハリーポッターシリーズより)

「人生とはおもしろいものです。何か一つを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです。」
サマセット・モーム(劇作家/小説家 )

「何を切り捨てるべきかを知ること。それを知恵という。何かを手放す必要がある時に、それを手放せるだけの明晰さと強さを持つこと。それを勇気という。知恵と勇気を持って毎日を生きていこう。そして生活をシンプルにしていこう。」
ヴィルヘルム・ミュラー(詩人 )

なるほど!
どれも確かに!と思うモノばかり。さすが偉人達の言葉だ。
で、でも、やっぱり手放すのってこわくねっすか?(^_^;

できたら手に入れたものの安心感の中にいたい。
起業家の皆様、どうでしょう?
既存のサービスやシステム、社会に満足しきってないから、業を起こすのでしょう。新しいことに挑戦するのですから、古くなったものを手放したり「死と再生」も込み込みとも言えるのかも知れません。

が、やっぱり「死」とか「終わり」って居心地が悪くないすか?
少なくとも僕にはまだまーだおっかなびっくりやってます。
いやはや、ミュラーの言う知恵と勇気は仮にあったとしても、極わずか。。。

インドで見てきた「死と再生」

一つの社会や業界、会社の中に居続けると知らず知らずその社会や業界の常識でがんじがらめになってしまうことがある。

インドで大きな変化を遂げ、後に振り返りインド体験がターニングポイントになったと語る人を大勢見てきた。日本で生活する中で培った常識をインドで手放せた。そんな風に語ってくれる。

インド経験から5年程経た女性から、こんな言葉を聞いたことがある。
「インドの体験から新しい人生、本来あるべき人生が始まった。」
こんな言葉はちょくちょく聞く。

例えば、日本で周りの人の思惑を必要以上に考えてしまうことがデフォルトになっていた学生さん。僕らの基準から見ると「空気を読まない」ように感じるインドの方々。

そんな彼らの中では「空気を読む」自分がマイノリティ。
マイノリティになる経験が「空気を読むのが人として絶対必要なこと」という思い込みを手放すことにつながっちゃう。
何よりそんな思い込みを抱えていた自分にまず気付いていく。

異文化の中にどっぷり浸かることで半強制的に「デフォルト日本仕様の自分」思い込みだったと気付く。そしてそんな自分を手放し再生していく。
常識もトコロ変わればなんとやらなわけで。

いつ手放せばいいのか


偉人達の言葉も最も。
僕の経験から異文化経験で「死と再生」を迎えることも見てきた。

とはいえ、僕らは基本的に執着がある。
少なくとも僕にはありますよ、ええ。

一度手にした人・物・こと・立場などは手元に置いておきたい。
安心材料になるから。良い思い出でつながっていれば尚更。
大切なものが離れていくことには痛みが伴ってしまうから。

ただ、客観的な事実として生まれたものは必ず変化するし必ず死を迎える。
起業という文脈で見れば、

・どんなに素敵なサービスもいつかは無くなる。
・自分に適した立場や役職もいつかは誰かに継承する。
・どんなに名声を博した会社だっていつかは忘れ去られる日が来る。

わかっちゃいるけど

いわゆる無常というやつ。
そもそも自分も変化を続けている。

こうやってパソコンをかちゃかちゃしている今この瞬間にも自分も変わり続けている。
一瞬一瞬、死に向かっていっている。

それまで最適なマッチングだったものも、いつしか重荷になったり離れたり終わりを迎えることになる。

同時に別の自分がこうも叫ぶ。
「わかってる、そんなことわかっているのだー!」

問題となってくるのは、いつが捨てるのかということ。
こんまりさんは言う。
「今はときめかなくなったものを捨てる。それはモノにとっては新たな門出とも言える儀式。」

さすが、こんまりさん

ときめかなくなった時!
新たな門出!!

わかる、そうなのだ!
でも、本当はときめかなくなってたりするのだ。
気付かずに重荷みたいに背負い続けてしまってしまったりする。

そんな時、外側の変化で勝手に引き剥がされちゃうことも。

引き剥がされること

インドでの衝撃のロックダウン

例えばコロナ渦。
多くの業界で多くの変化があったが、今までの状況を引き剥がされた人は多かっただろう。
職場や仕事やサービスのあり方、人間関係も劇的な変化があった。

僕もインドの生活・収入・仕事・立場を一瞬で引き剥がされた。
現地の会社法人だったために日本政府からの保証ももちろんない。

実はコロナに入る少し前
「日本でも活動を始めようと思う。」
なんてことは口にはしていた。

インドでの仕事は有り難いことに人に任せられる状況になってきていた。
「もし」はないと言うが、それでも「もし」あの時にインドでの仕事は少しずつでも手放すことを始めていたら。。。
そんな妄想も少し許して欲しい。

インド時代の僕。この頃はロックダウンなど全く想像してなかった。

この3年間の歩みはまた違っただろう。
いやはや、苦しかった。
急にググッと痛みを感じて涙を流すことがあったくらいには。
もちろん必要だったから与えられた(大げさに言うと)試練だったわけで。

で、必要だったからこそ学びや出会いがあった。
それも間違いないこと。
ただ今改めて状況を思い起こしてみて、次に活かしたいとは思う。
できるだけ適切なタイミングで手放して、新しい扉を開いていくこと。
そうあれているかを自らに問うこと。

上記は単なる僕の経験。
だけど、良きタイミングで「死」を迎えないと一層強い痛みを伴う「引き剥がし」を食らうこともあるんじゃないかと。

VUCA時代だから尚更

特に今はVUCAの時代と言われ、一言で言うと「将来の予測が不可能な状況」と言われる。

このVUCA時代が語られてから10年以上経っている。
コロナ渦もそうだったろうが、テクノロジーの進化もとんでもない。
今は新たに「SuperVUCA」の時代とも言われている。

これまたインドの話だが既存のタクシー業界の危機がまさか普通の乗用車になると誰が予想しただろう。
Uberの出現。
インドの首都での移動のシーンは全く変わっている。

ムンバイのタクシー

昨日までの常識がほんと今日の常識ではなくなる。
その速度がどんどん加速している。
新陳代謝のサイクルを早めることを余儀なくされちゃってるのか。
そんな時代に僕たちは生きているみたい。

ともすると急に
「こんなはずじゃなかった」
というような引き剥がしが起こりやすい時代なのかもしれない。

「死と再生」のサイクルを早める

ちょっと纏めてみる。

・多くの偉人達も「死と再生」の重要性を語っている。
・とはいえ「死」って「居心地の良さ」とは真逆。できたら避けたい。
・これまでの自分の一部が「死」を迎えることでの「再生」をインドでもみてきた。
・「死 」を迎えないと時に引き剥がしに会うこともある。
・変化が激しい時代で引き剥がしが起こりやすい。

うーん、「死と再生」のサイクルを早めることが超重要な時代なんじゃないか。

とはいえ。。。
この御しがたいこの心よ。
「死」や「手放し」もやっぱり見たくないし居心地は良くないわけで。
うーん。

こういう時は先輩の話を聴くことだ!

望美さーん

望美さんのFBページより拝借

それが手放すものかどうか。
いつ手放すのか。
手放す時の痛みとどう向き合ったらいいのか。

参考になる方のお話を、リアルな声をリアル聞いてみたい。
府中市のソーシャルビジネスラボのメンター市川望美さん。

そんな話を聞けるのではないか。
望美さんは非営利型株式会社Polarisの創業者。
4年で代表取締役を大槻昌美さんに継承している。
当時を振り返りこう語ってくれた。

東大ICPより拝借

「イノベーター理論を参考に、キャズムを越えてより広く認知してもらうには自分より昌美ちゃんの方が良いと判断した」
代替わりした時の理論的な背景だったと。

同時に直観的にも早い段階で代表の交代があった方が良いとも話し合っていた。「死と再生」のサイクルを早めることを大事にしたかったと。

理論と直観。左脳と右脳。
両方で進められていた。

望美さんはFBで以下のように記していた。
「組織や事業って生き物なので、「生と死」とか「死と新たな生」という捉え方をするとしっくりくることも多いんですよね。創業者の私から現代表昌美ちゃんへの交代も一つの「死」であり、「新たな生」だった。」

同時に
「それでも痛みもあったよ。」
とも語っていた。
リアルだなぁ~。

「死と再生」の必要性を理論的にも捉え、その上でありたい組織像もチームで共有しイメージされている。その上で痛みとも向き合っているのだ。

居心地の悪い状況に、どこかで覚悟して進むためには理性と直観の両方を味方に付けるってのは利に叶っているのではないか。

うーん、そこいら辺のリアルなところ聞いてみたい!

12/21(木)ソーシャルビジネスラボ交流会

明日だー!

こういう望美さんの組織や事業への眼差しのあり方は多くの人の参考になるのではないかな。

・新たに起業したい人
・起業に向けて一歩踏み出した人
・新しい事業を始めたい人
・事業の方向性の変更の必要性を感じている人
・今の自分に何か変化の必要性を感じている人

などなど。
いや、時代を考えと多くの人にとって大切な話なんじゃないか。

そう思い、トークやワークもある交流会を催します。

  • 望美さんのトーク

  • グループで問いを共有

  • 「死と再生」のワーク

  • 交流会

ってな方向でやってみます。

脱皮のススメ?

いやはや、VUCA時代の生き方の一つ。
それはまさに「死と再生」のサイクルを生きるということかも知れない。

時代の変化に晒されて勝手に変わらされてしまうだけではなく。
今の自分には合わない皮を脱いで軽やかに。
他の動物のように脱皮をしていけるのかもしれない。

そんな起業人生をどう共に過ごしていけるのか。
何だか、そんなことを対話しながら交流してみたいなと。
言い出しっぺとしてはそんなことを考えています。

相変わらず前置きが長かった。

交流会詳細

「起業家にとっての死(始めたことをやめる・終わらせる・引き継ぐ)」

日時:12月21日(木)19:00~21:00
場所:府中市市民活動センタープラッツ5階 
カフェ オレンジブーツ
http://www.fuchu-platz.jp/use/1002410.html
参加費:500円+ワンドリンク(簡単な軽食付き)
    ※イベント当日受付にてお支払いください。
    ※ドリンクはキャッシュオンにて、カフェでご購入いただきます。
定員:25名(残席5名くらいですー)
  ㅤ      
申し込みはこちら
https://forms.gle/UYxpZzHgKeH99SS39

お知らせ

Life Huggerの記事

ちなみに生と死の設計という観点もあり、望美さんはDeathフェスも手がけている。僕も少し携わらせてもらっている。

「人は必ず死ぬ。当たり前だ。」
仏陀の言葉だそうだ。

ただ死をどう迎えるのかどう弔うかは時代によって変わってきた。
今は個人で選択肢、設計できる余地もある。
生き方の多様性がこれだけ語られるなら、逝き方も多様であって良いはずで。

そんな対話を広げるムーブメントを起こすことを目指している。
4月14日に渋谷でリアルでのイベントを開催する。

参加費は無料~

カウントダウンイベントとして毎月イベントも開催している。

1月15日のイベントはこちら

わたしたちにフィットするエンディングノート「ない問題」を解決したい!<DEATHフェス カウントダウンイベント Vol.4> ※一部オンライン配信あり

僕もオンラインで入りまーす。


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