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無理に怒ろうとしていた

ふとした瞬間に

善悪、白黒。いつの間にかジャッジに、こだわってしまっていた。

ふと、今朝、気が付いた。noteを書こうとしたら、書くことがそれほどなかった。

何かしら思い当たるものがないかと探したけど、取り立てて何もなかった。でも、スマホを握っている時はイライラしていたように思う。

きっと✕のせいだったのだろう。政治の不祥事、芸能界の問題、地震等の災害。タイムリーに、誰かが誰かを攻撃している。

その波に飲まれていたように思う。そして、ボク自身も白か黒か、ジャッジしていた。

グレーがあることを忘れていた。ジャッジしたがるのは、ボクの傾向からすると忙しい時と暇な時。つまり、程よくないと内面から悪意が滲み出てしまうのだ。

年末にかけて慌ただしく、とにかくリポストしまくっていた。今は仕事が滞っているので、また火種を探しては薪をくべている。

白か黒か、善か悪か。もちろん、はっきりするものもある。一方で、割り切れないものもある。

昨年、お亡くなりになった伊集院静氏が描いたナポレオンに関する本を読んでいる。ナポレオンに対する視線、文と文のつなぎ方が素晴らしく、いまさらながら亡くなられたことを悔やんでいる。

では、訃報を聞いた時はどうだったか。天に召される寸前にジャニー喜多川氏を擁護するような発言があった。そのことでボクは愕然とした。

無頼と呼ばれた人も、結局は権力にすり寄っていたのかと。心がとんでもなく荒んでいた時、伊集院静氏の言葉はボクの救いでもあった。

その分だけ、ジャニー喜多川氏を擁護した時には悲しくなった。でも、書かれた本に目を通すと、そんな思いは消えていく。白か黒かは、どうでも良くなってくる。

薬物使用者の音楽は聴くに値するのか、性加害者の笑いは容認できるのか。いつもクリエイティブ周りについてまわる話だ。

私のことは嫌いでも、作品は嫌いにならないでください。前田敦子みたいなことが、頭の中に浮かんでは消えている。

読むも、聴くも、応援するも、応援しないも、結局は自分がどうか。他人軸になると✕で悪意を垂れ流したり、波に同調してしまったりする。

いつでも自分軸をしっかりと持っていないと、ふらふらすることが何となく書きながら分かった。らぶまいせるふであれば、どんなことでも揺らがない。

いかに自分を愛せるか。簡単なようで難しい。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!


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