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日日蹴日

勝てなかったけど好きだった

ボクが記者として携わっていたJリーグも、いよいよ30歳になるそうだ。節目を盛り上げようとYouTubeをはじめ、さまざまな企画を目にする。なにを隠そうボク自身も昨日、鈴木啓太さんのYouTubeチャンネルでJリーグ誕生30年を知ったのだ。

栃木から新潟に移住してからは縁遠かったJリーグも、我が子のおかげでここ最近はビッグスワンに頻繁に足を運ぶようになった。昨年はアルビレックス新潟のJ1昇格の瞬間に立ち会った。今季もまだ寒さが残る3月に、対川崎フロンターレ戦をスタジアム観戦した。今週末は世界で2番目に好きなマリノス戦が控えている。

栃木SCにどっぷりはまっていた頃に比べれば熱は冷めているけれども、とはいえスタジアムが近づくと高揚する、あの感覚はいまだに変わらない。取材するわけでも、キックオフ時間が迫っているわけでもないのに、ゲートをくぐり抜けて青々としたピッチを見たい。その思いは、当時のまま。つい早足になっては我が子に怒られるけれど、いくつになっても胸は高鳴るものだ。

5/15の「Jリーグの日」まで、気ままに思いのままにサッカーについて書いていこうと思う。時系列も、テーマも、特に決めていないけれども、なんとなく面白いものが書ければいいなと思っている。

1学年下にも負けていた小学生時代

昨今、自己肯定感が大切だと叫ばれるが、小学生時代に所属していた学校のサッカー少年団は、とにかく弱かった。今では小学校にも指導者がいるケースが増えているが、ボクのチームはお決まりの体育の先生が、しかもサッカー未経験の先生が顧問だった。

今でも問題になっているように、教員の勤務時間は当時から長く、職員室の目の前で練習をしていても、先生が顔を見せるのは練習後のみ。具体的に指導を受けることなど、片手で数えられるほどだった。

教材はキャプテン翼と、放送室にあったハウトゥのビデオテープ。そのビデオテープも雨の日以外に見ることはなく、つまりは漫画のシーンを頭に思い浮かべながら見様見真似でドリブル、パス、シュートをしていた。トレーニング方法が分からないから練習は、いつも紅白戦。

蹴って、ボール目掛けて走って、みんなで団子になって、足とボールを蹴り合う。幸い、キャプテンがしっかりしていたので、それほど酷いことにはならなかったが、トレーニングなどしないから対外試合では勝てるはずもなく、当時のボクを満たしていたのは下級生相手の紅白戦だった。体が小さく、ボク等と同様に知識がない下級生を相手に、面白いようにゴールが決まったが、所詮は井の中の蛙だった。

一歩、外に出れば紅白戦のプレーなど一つも上手くはいかない。大量失点で負けたことがなかったのは、振り返れば恐らくキーパーグローブを自腹で買っていた友人が上手かったからだと思う。センターラインにもサッカー経験の長い人間がいたから、試合にはなっていたのだろう。ただし惨敗はないが、勝利もない。ある大会では一学年下の5年生に負けた。「こいつら本当に6年生かよ!」と、心無い言葉を投げつけられるほどに弱かった。実際には6年生で1チームを作れなかったので、5年生も混じっていたのだけれども。

一番の思い出は、県大会で優勝したチームに引き分けたこと。しかも、ボクのアシストからゴールが生まれた。これは強烈に記憶に刻まれているが、それ以外は碌な思い出がない。負け癖が付いているから大会の度に、「今日もどうせ負けるんだろう」と憂鬱になっていた。

そんな勝てない日々が続いたが、不思議と辞めようとは思わなかった。練習が嫌だとも思わなかった。もちろん紅白戦になれば王様気分を味わえるのもあったが、たったワンプレーでもイメージ通りにプレーできるだけで嬉しかったのだ。

先生は激務で全く指導してくれなかったけど、逆に考えれば信じられないほど怒られることもなく、試合で拙いプレーをしても温かく見守っていてくれたことは、ニュースでパワハラなどが取り沙汰されるたびに良かったなと思う。指導者がいなかったことでのびのびと自由にやれた。たとえ試合では勝てなくても、サッカーが嫌いにならなかった一因だろう。

勝敗が全てではないけど大事ではある

中・高ではサッカー部に入らなかったが、大学生の頃には日韓ワールドカップもあり、サークルのフットサル活動に明け暮れた。単位を早い段階で取り切ったボクの大学4年生の1年間は、アルバイトとフットサルに費やされた。今思えば贅沢な時間を過ごさせてもらった。

我が子が大学生や専門学生になり、好きなこととバイトばかりしていても、ボクは何も言わないようにしようと心に決めている。まあ、将来のことは分からないけれども。

いくつか所属したフットサルチームは、小学生の頃のサッカー少年団のように弱くはなかった。大会で優勝したこともあった。オールコートの試合も経験したが、圧倒されたことはなかった。勝てるようになると、自然と試合に向かう足取りも軽くなる。

当然、練習も楽しくなる。金曜日にコンビニで夜勤のバイトをして数時間の仮眠を取り、意気揚々と小さな公園での練習に自転車で向かった。あれほどワクワクする土曜日はなかった。ゲートボールをしているシニアに公園を先取りされている時には、味スタや日産スタでJリーグを観戦した。日本代表の試合があるたびに、仲間で集まってはテレビ観戦した。夜中にイタリアで活躍する中田英寿のプレーに胸を躍らせた。

味スタではピクシーことストイコビッチのラストダンスを目にした。日産スタではマリノスの連覇の瞬間に立ち会った。生で見る中村俊輔は、やっぱりすごかった。カッコよかった。大学4年生は、まさにサッカー漬け。恋もしたし、好きな服も買いまくったし、とにかく楽しかった。

その真ん中には、サッカーがいた。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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