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起業家・金谷智さんの「!!!」——「逃げて」もなお、こだわり続けて見つけた居場所

世の中にはさまざまな課題がある。そう言われても、そのほとんどが私たちにとって「他人ごと」です。でももし、なかなか変わらない現状に腹が立つ、悪いところばかりがやけに目につく――そんなものがあったとしたら。マイナスの感情が生まれるところには、あなた自身のこだわりや「自分ごと」の課題、他人に任せずに自分の手で関わりたい何かがあるのかもしれません。

6代にわたって校長の続く教員一家に生まれた、金谷智さん。一度は小学校の教員を務めるも、教育業界に課題を感じて起業しました。そして今、外部人材を活用した教育プラットフォーム『複業先生』などのサービスを、学校や塾などの教育機関に向けて提供しています。

一見すると、自分にとって身近な領域から課題を見出して事業化した、筋の通る起業ストーリーに見えるでしょう。しかし実際は、教育の現場で自身の理想を実現できない挫折を経て、教育業界に役立てる自分らしい道を模索し続けた結果、ようやくたどり着いた居場所だったといいます。どれだけ葛藤しても、「自分ごと」として離すことのできなかった学校へのこだわりと、自分らしく教育業界に関わる方法を見出すまでの道のりを聞きました。

株式会社LX DESIGN 代表取締役社長 金谷智さん
1990年、富山県生まれ。東京学芸大学 教育学部を卒業後、医療系ベンチャー企業、公立小学校学級担任などを経て、株式会社LX DESIGNを設立。教育特化型複業プラットフォーム『複業先生』など、テクノロジー×教育領域のサービスを全国展開している。

友人からの衝撃の一言。「なんで先生“なんか”になるの?」

——ご両親がともに教員を務められていたそうですが、子どもの頃の金谷さんは、学校の先生という存在をどのように見ていましたか?

金谷:小学5年生の頃、同級生が学校の先生の悪口を言っている場面に遭遇したことがあります。そのとき僕は「困ったな」と、複雑な気持ちになりました。今思うと不思議なのですが、子どもなのに先生側の視点になっていたんですね。先生を身内のような存在に感じていたのかもしれません。

両親が、教員という仕事に人生を懸けて取り組んでいることはわかっていました。父や母の教え子から話を聞くことも多く、両親の姿を通じて「学校の先生って、立派な仕事なんだ」と捉えていたと思います。そして、いつか自分が就く職業として、自然と学校の先生を意識するようになりました。

——教員以外の選択肢は浮かびませんでしたか。

金谷:他の職業が頭をよぎったこともあります。でも「家族の9割が教員」という家に生まれたため、教員以外の仕事に就いている自分がイメージできなかったんですよね。当然のように「学校の先生になるなら、教育学部のある大学に行かなきゃな」と考えていました。

ところが、高校2年生のときです。自分の進路について友人に打ち明けたら、友人がこう言いました。
「なんで先生なんかになるの?」。

衝撃でした。友人はからかうのではなく、親身に心配して「先生“なんか”」と言ったのです。先生という職業がこんなに低く見られているのだと、ショックで悲しかった。でも、僕にも友人が「先生“なんか”」と言った意味は理解できました。生徒一人ひとりにちゃんと向き合ってくれて、授業もおもしろく、愛される先生がいる一方、残念ながらそうではない先生もいることは知っていたからです。

このとき、「先生“なんか”」と言われてしまう教員になってはダメだ、と危機感のようなものを覚えました。「一流の教員と、そうではない教員との違いは何だろう?」「教員の世界には、どんな変革が必要なのだろう?」といった漠然とした問いが、自分の中に生まれた瞬間でした。


子どもに影響を与える存在になりたい! 起業家への憧れと挫折

——その後、東京学芸大学へ進学されたのち、シドニーやシリコンバレーへの留学を経験されていますね。留学をしようと思ったのはなぜでしょうか?

金谷:母から「学校の先生以外の人との関わりが、教員としての器を広げる」と聞いて、学校の「外」の世界を知らなければダメだと思ったからです。学生時代は、教員志望の学生が普通しないような体験にも、あえて挑戦しようとしていました。

最初は、大学1年生のときシドニーに短期留学をしました。留学をきっかけに、留学エージェント会社を経営する方と出会います。オーストラリアと日本の二拠点を行き来しながら働く彼の話は、とても魅力的でした。彼は教員ではないけれど、子どもたちに「英語を学ぶ意味」を、身をもって教えてあげられるはずだ!と。ビジネスの世界で活躍する人———特に、自分で行動を起こしている起業家だからこその影響力、説得力のようなものを思い知ったのです。

この経験を機に、日本に戻ってからはある起業家に連絡を取って、「かばん持ち」をさせてもらいました。「君は何に人生を懸けるの?」なんて言葉を、ごく自然に投げかけられて、衝撃を受けましたね。「ああ、この人たちは本気で生きている。かっこいいなぁ」って。また大学4年生のときシリコンバレーに留学したのも、テクノロジーの世界の最先端であり、スタートアップ企業がたくさん生まれる場所に、どんな人たちがいるのかを見てみたかったからです。

そうした経験を経て、自分も起業家になりたいとぼんやり考え始めました。子どもたちに影響を与える職業は、教員だけではないのだと。そして新卒で医療系の民間企業に就職しました。課題解決のためのビジネスモデル策定など、起業に必要なことを学ぶためです。

——ところが、1年で退職し、東京都内の小学校の教員になったのですよね。

金谷:そうです。いざ就職してみると、理想やこだわりは強いわりに、目の前の仕事ひとつ、ちゃんとこなせなかった。「いつかの起業のために学ぼう」と、受け身の意識でいたからでしょうね。起業家への憧れだけではダメだ、ちゃんと地に足をつけた仕事をしようと、自分の中で出た答えが教員の道でした。


廊下に貼るしか方法はないのか? 正しい違和感と傲慢な態度

——実際に教員になって、何を感じましたか?

金谷:1年だけですが民間企業を経て、改めて学校というものに向き合ってみると、学校現場には「なんでこうなっているんだろう?」と違和感を覚えることが、たくさんありました

学校特有の「紙の文化」がそのひとつです。2010年代の当時でも、学校は紙の文化がなお根強くて、通知表、教室の予約、アンケート用紙もすべて紙のままでした。たとえば通知表をデジタル化すれば、過去のデータが活用できて、教員の負担を軽減できます。他にも外から見ると「なぜ、わざわざこんなことをやっているんだろう?」と思う不思議な習慣もありました。でも、それに対して「なぜ?」とはなかなか聞けない雰囲気があったんです。

僕はITの活用や生産性の向上について、気づいたことを提案してみました。でも、特にベテランの先生方には、なかなか聞き入れてもらえませんでした。というのも、当時の僕の態度が、とてもスカしていたから(笑)。今思うと、社会人の出だしでうまくいかなかった自信のなさと、民間企業を経たことを何とか強みに変えなければというプレッシャーが「僕はITに詳しい。その僕が、学校現場を変えてあげよう」といった傲慢な態度につながってしまったんですね。そりゃあ、ベテランの先生方に「まずは教員としてやるべきことをやれ!」と思われて当然ですよね。

実際、僕は学級運営も大してうまくなかった。「先生は先生だからね」と教員の立場に甘んじたコミュニケーションをする、僕が本来なりたくなかった「ダメ教師」の典型になっていました。

——でも、「ここにITを活用すれば、もっと生産性が上がるのに」「なぜ、やる意味のわからない習慣に対して、『なぜ?』と問わないのだろう」といった気づき自体は、間違ったものではありませんよね。

金谷:そうですね。たとえば小学校には、児童がつくったものを廊下に掲示する文化があります。児童たちの成果物を発表する大切な場所=廊下掲示、という価値観のもと、教員は定時を過ぎてから、一枚一枚、丁寧に貼っている。でも今なら、インターネット上で発表する方法だってあります。そのほうが保護者にも見てもらいやすく、児童も嬉しいかもしれない。そうした新しいものの可能性を提案しても「ITには愛がない」と一蹴されてしまうのには、歯がゆい思いがありました。

とはいえ僕自身は学級運営も極めきれず、ITの導入でも役に立てず、結局3年半で教員も退職することに。そののち、エンジニア見習いとしてある企業に再就職しましたが、心境としては「戦いに敗れて逃げた」。自分は今後どう生きていけばいいのだろう、と思っていました。


学級運営のプロがやりたくてもできない、今すぐ役に立てる場所

——学校現場から「逃げて」、何に気づきましたか。

金谷:僕はずっと「学校現場は変わらなきゃいけない! 僕には変える使命がある!」と思っていた。そして変化に抵抗を示すベテランの先生方を、失礼なことに、敵のように見立てていたんです。でも、その先生方こそが、僕のできなかった学級運営のプロフェッショナルでした。児童や生徒一人ひとりに目を向け、適切な声かけをすることのできる経験とスキルを持っていらっしゃるのです。

であれば、学校の「外」の人間として、今すぐその先生方の役に立つ方法はないだろうか? もし、今すぐ通知表をデジタル化できないのだとしたら、他の方法で……と、僕は考え始めました。そこから学校現場の支援とITの関わり方を模索し、起業に至ったのです。

——起業後、現在の『複業先生』のサービスが生まれたのはなぜでしょう。転機になった経験はありますか。

金谷:転機は、地元・富山の先輩から「IT教室を開いてくれないか」と声をかけてもらったことです。富山県内の学童保育と連携して、小学生に向けて、プログラミングや動画・デザイン制作の授業を行いました。たとえば簡単なデザインソフトを使って、地域のお店のチラシを作ってみるような。正直、東京ではさほど珍しくない授業だったと思います。ところが、参加した富山の小学生たちがすごく喜んでくれたんです。子どもたちの様子を見て、学校や保護者も僕のことを受け入れてくれました。

学校の「外」の人間でも、ちゃんと授業として成立するコンテンツを提供できれば子どもたちや保護者に喜んでもらえた、という経験は私にとって大きな発見でした。さらに東京と地方の機会格差が開く中、富山生まれ富山育ちの僕が、地方の学校に関わる意義にも気づきます。

学校の中で変革を叫ぶだけの僕は、その場所では必要とされませんでした。でも学校の「外」から新しいものを持ち込み、学校に関わることができれば、喜んでもらえるかもしれない。こう思えて、僕はようやく居場所ができたような気がしたのです

そのうちに「先生向けのIT研修会もやってほしい」などと声がかかるようになり、学校との接点が増えていきました。それなら僕だけが授業をするのではなく、いろいろな業界の専門家を学校に呼んだらどうだろう?と思った。これが、今の『複業先生』の原点です。次第に、学校と教育に関わりたい民間の方とをつなぐ、教育特化型の外部人材活用プラットフォームサービスへと形を変えていきました。


音楽配信を仕事にしたい、は「悪」? 学校の関係人口を増やす意味

——学校の「外」の人が、学校に関わる意味は、どんなところにあるのでしょう。

金谷:学校の先生は、学級運営のプロです。でも「40人の子どもたちの安心安全を守りながら、新しいこともどんどん取り入れていってください」というのは、あまりに学校の先生だけに背負わせすぎではと思います。実際、僕も学級担任をしながら、うまくいくかわからない新しいことに手を出す難しさを、身をもって感じていました。

それでも学校が多様性を持ち、子どもたちに新しい体験をもたらす場所であるためには、「学校の関係人口」——つまり学校の「外」も含めて、学校に関わる人たちの人数を増やすしかないと思うのです。

「複業先生」で授業をした際、質問してくれた高校生の男の子は、音楽を自分でつくることが好きでした。動画配信サービスを活用して配信してみたい、でも学校の先生に「音楽制作を仕事にしたい」とは、言い出せなかったのだそうです。「自分が何か悪いことをしているのではないかと思っていた」と。ところが複業先生として学校にきた起業家に出会い、はじめて、自分が好きなことを打ち明けられたのだといいます。起業家に「それを仕事にしてもいいんだよ」と言われて、自分の「好き」は悪いことではないと気づいたのです。学校の先生はもちろん「言ってくれればよかったのに!」と言っていました。でもきっとその男の子は、学校の「外」にいる人にだからこそ、音楽制作を仕事にしたいと打ち明けられたのでしょう。

学校はともすると閉鎖的な場所になってしまいがちですが、学校の関係人口を増やすことで、その幅を広げられるのではないでしょうか。そして学級運営のプロである先生が本来の仕事に集中するためにも、「外」の人間が役立つ場所を、僕たちがつくっていきたいと思います。

——学校に関わる人の幅が広がることによって、子どもたちの体験や考え方も多様化していくということですね。最後に聞きたいのですが、挫折し、逃げてもなお、金谷さんが学校現場に関わり続けているのはなぜだと思いますか。金谷さんは学校が好きなのですか?

金谷:うーん……。どうなんだろう。今日お話して、僕の根っこの思いは、本当はずっと変わっていないんじゃないか、って気もしました。やっぱり、僕は教員って立派な仕事だと思うんですよ。だから教員を志す人たちが増えてほしいし、「先生“なんか”」と言われるような世界は嫌なんです。思いを持った人が、胸を張って教員の職を選べる世の中にしたい。その結果、子どもたちが「この先生に出会えてよかった」と思えるような瞬間が増えていってほしい。だから、そうですね。やっぱり僕は学校のこと、好きなんじゃないかな。

■あなただけの「!」を見つけるために
教員から逃げたのちに、学校の「外」の人間として、
学校現場に関わる方法を見つけた、金谷智さん。
なかなかうまく関われずに葛藤した時期も含めて、
振り返れば、金谷さんは学校や教員の世界にこだわり続けてきました。
最初は、ご両親が人生を懸けた仕事への興味と憧れ。
次第に、いつか自分が就く職業として。
時には外の世界と見比べて、変えなければいけないものとして。
ずっとこだわり続けて、ようやく、自分らしい関わり方を見出したのです。
 
あなたが輝く場所のヒントは、
たとえマイナスな部分が見えても、失敗して逃げたとしても、
どうしたってあなたがこだわってしまうものの中に、あるのかもしれません。
 
! ダメなところが目につくくらい、どうしてもこだわってしまうもの、
なぜか当事者になってしまう課題はあるか?

取材・文・構成:塚田智恵美


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