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「コンドルは飛んでいく」を色々なアレンジで聞いてみた

気まぐれに始めてみたコンドル特集。その経緯は前回記事を読んでいただくとして…

この曲については特筆すべき点がある。それは、「誰が演奏しても大体同じような雰囲気になる」ということだ。
もちろん、使う楽器や奏法、技量、歌いまわしなどに違いはあるのだけど、押し並べて「ああ、『コンドルは飛んでいく』だなあ」となってしまう。それほどに癖のある、良く言えば完成されて揺るぎない個性を持った曲なのだと言えよう。

実は、フォルクローレの中にはアレンジを加えられ、ポップスとして再流通しているものが存在する。そして、そちらの方が有名だったりも。

たとえば、ボリビアフォルクローレ界の大御所Los Kjarkasの「Llorando Se Fue」という曲。

フォルクローレに馴染みのある人でない限り、まず聞いたことはないだろう。
だが、一定の年齢層以上なら次の曲を聞いたことがあるという人は少なくないはず。

フレンチ=ブラジリアンポップスグループKAOMAの「Lambada」。こちらは陽気なダンスナンバーとして世界中を席巻した。
どちらにも良さがあって好みは分かれるところだろうが、少なくとも2曲の印象は全く異なる。同一曲ではなく別物だと感じる人の方が多いはずだ。
(ちなみに、KAOMAのプロデューサーは著作権侵害でLos Kjarkasから訴訟を起こされている)

もう一丁。こちらはベネズエラの「Moliendo Café」という曲。

それに対し、こちら。

先程の「Lambada」よりはまだ原曲のイメージに近いと感じられはする。ただ、こちらもアレンジを大きく変えることで、元々のリズミカルな曲調が昼下がりの午後といった趣のまったりした雰囲気に変貌している。出てくるのも「アラブの偉いお坊さん」だし。

どちらの曲についても言えるのが、アレンジへの好き嫌いはあるだろうけど、原曲のイメージを大きく変えることで、それはそれで別の曲としてきちんと成立しているということだ。
けれども「コンドルは飛んでいく」だとそれがなかなか難しい。
以下に「曲を斬新なものにしよう」と意図されたのであろうアレンジを幾つか紹介してみよう。

まずはいきなりメタルから。

続いて、テクノ。

ヒップホップ(なのか?)

ボサノヴァ

どうだろう。いかにそのジャンルの曲調に寄せようとしても、あの有名な冒頭のパッセージが出て来た途端に「ああ、やっぱり『コンドルは飛んでいく』だよなあ」という印象に引き戻されてしまう。イントロまでは結構いい感じで進むんだけどねえ。

そんな中で、健闘してるなあと思ったのが以下の2つ。

ジャズ・ファンク

意外にも日本のポップス・オーケストラの演奏。ただ、これも仕掛けがあって、上手いことメロディーを抜いたり後景に引かせたりする一方でオブリガードの方を目立たせている。こうすることで、インパクトの強いテーマの旋律を意識させず、ファンクっぽい雰囲気を保つことに成功している。

ど直球でテーマ旋律を扱っているのはこちら。

女子十二楽坊

主旋律は奇をてらわず原曲通りなのだが、なぜかフォルクローレではなく中国の伝統音楽でもあるかのように聞こえてしまう。これはケーナと同じくらい二胡や中国琵琶の音色が強い民族色を備えているからだろうか。また、中国の音楽も似たような旋律を伝統的に用いるのかもしれない。
とにかく、無理やりな印象を与えることなく別の曲のように作り変えられている稀有なアレンジだ。


さて、一部の例外は除いて、色々なアレンジを試みても結局原曲のイメージを覆すに至らないという意味がご理解いただけただろうか。どうしても「ケーナの旋律を他の楽器で弾いただけ」という演奏になってしまうのだ。
一番の原因は、やはりテーマとなる旋律の個性が強すぎること。上述の通り、イントロまでは創意工夫で何とかなる。ただ、あのメロディーを弾いた瞬間、「やっぱりフォルクローレだよなあ」という感じになってしまう。より正確に言うなら、フォルクローレらしくないフォルクローレをわざわざ聞かされているかのよう。

そもそも、「コンドルは飛んでいく」と聞けば大体の人が思い浮かべるであろうあのテーマ、実はサルスエラの楽曲として作られた時点では存在していない。
前回述べたように、この曲はダニエル・アロミーア・ロブレスという人がオーケストラ向けに作ったもの。それをロス・インカスというグループがフォルクローレ楽器の編成でアレンジし、サイモン&ガーファンクルの歌の伴奏に使われたことで世に広く知られるようになった。フォルクローレ界では「第一部」と呼ばれるあの旋律は、ケーナ演奏のために付け加えられたのだ。
つまり、原曲をわざわざ改変してケーナの魅力が引き出されるようなアレンジにしているのだから、そのイメージが容易に覆せないのも当たり前のこと。もちろん、ロブレス氏も南米の伝統音楽にインスピレーションを受けてあの曲を書いてはいるのだけど。

逆に言えば、女子十二楽坊の演奏のようにあの旋律そのものを取り込んでしまえる楽器なら独自の印象を与えるアレンジが作れる可能性がある。
その第一候補は「人間の声」だ。実際、サイモン&ガーファンクルの歌ではロス・インカスによるケーナ演奏がそのまま流用されているのだが、同じ旋律の歌を被せるだけでフォルクローレ色はかなり薄められている。知らない人が聞けば、あれを民族音楽だとは感じないのではないか。(前奏を聞かせなければだが)

本来器楽曲であった「コンドルは飛んでいく」だが、前回述べたようにポール・サイモンのものを含め、世界には300種類以上の歌詞が存在すると推計されている。その数々を聞いてみると、やはりインスト曲としてアレンジするよりもだいぶ幅広いアプローチの可能性が感じられた。
そこで、次回は「コンドルは飛んでいく」のボーカル入りバージョンの数々を紹介してみたいと思う。

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