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存分のちのそれでも、な話

言うか 言わないか。何を言うか どこまで言うか
どこは言わないか。そんな選択と葛藤を常に抱えている。言いたい、じゃない。伝えたいことを伝えたい。どうやったら伝わるか how to の模索が身体に染み付いている。 言わなかったら、言葉を飲み込んだら、放出しなかったら思いは溜まる。でも放出したら全てスッキリオールフリーかっていうとそうでもなくて 言っても溜まる。放出したくせ溜まる。僕はそう。

よくある 恋愛モノの告白するか否かクエスチョンの答えは「告白」が模範解答。告白してダメなのと告白しないでこのままいるのとではどちらがよいの?言わないと思いは伝わらないよ、なーんてわかったふりしたフレフレエール故のフりフラれ。言葉を飲み込んだは思いを飲み込んだですか。言った のどごし。これがよいのだサントリー。

思ったこと感じたことは必ず言葉にしろ言葉を飲み込むなとにかく出せ吐き出せ形にしろ そうでなければ無いも同然誰もお前のことなど見つけやしない縮こまるな恐れるな。「正直」の形を限定し、かつ正直であることが絶対的な正解だと断言しながら脅迫してくる奴がいる。どんなキモチで言ってんだろう。キモチ、がワカラナイ。ならば言葉〝だけ〟で充分だ。お前が居る意味どこにある。思いと実行に距離がない、垂れ流しの0⇆1 デジタルに俺は生きていない。「思ってること全部言えばいいじゃん」なんて言われることもあるけどイマイチピンとこない。わりかし一挙一動に反応しているので、全部言うとなると四六時中しゃべり続けないとならない。そういうことじゃないってことを承知の上で、それくらい「過敏」だ。「伝え方」にすごく敏感だ。なんでこんな言い方をするんだろう、なんでこの言葉を敢えて選ぶんだろう、相手の気持ちを考えてないな、それじゃ伝わらないよって〝思って〟〝感じて〟生きている。人の話を能動的に聴き/入れたい。口を開けば皆 主張ばかり。俺はモノローグの連続をしたいわけじゃない。

葛藤をノイズだと思われ、わざわざ空気悪くしたくないからと気を遣ってセルフで笑って結果劣勢。他人に助け船だしたつもりが自分が沈む。

とはいえ–
伝え方云々を差し置いて、ひとまず言いたいことを言う。言った後のことを考えず言う。言えてしまう人が僕にもいる。それは自分への理解があるだろうとか一緒に多くの時間を過ごしてきたとか こちらが勝手に抱いているだけかもしれないけど とにかく「信頼」の置ける相手。これまでは、そんな信頼をしている人には本音が言えたり思いをぶつけることが出来ていた。それは今考えると信頼しているから〝こそ〟であった。でもこの頃、逆もあるのだと知った。つまり、まず相手に本音を言い、思いを存分にぶつける。そうすることで信頼が生まれていく。信頼→本音 じゃなくて 本音→信頼
じぶんの場合は相手の良い所をまず見つけたくて、それを踏まえた上で心の開き具合を決めてきた。完全な閉め切りスタートではなくて〝さらに〟どこまで開くか、みたいなところ。見せてあげるというよりは見せたい!感覚。なので少しばかり気になることとか嫌なとこ不満なとこがあったとしてもわざわざ口にすることはせず、見逃してきた。それを我慢というかは分からなくて。とにかく むげに人を感情のサンドバックにしたくなかった。でも確かに本音を言えば必ず衝突をする訳ではないのだし、過失な部分をクローズアップして解釈してきたのかもしれない。

関係が変化したり違うフェーズに移るのに衝突は必須科目。衝突するとき、グツグツと深層で煮立った感情も一気に爆発はしない。「それ言うんだったらさ」
えっさらおっさらみんな仲良く後出しを連鎖して吹きこぼしていく。
僕は。感情をもれなく言葉にしていくと最終的には感情だけになると思っている。


というかそもそも論で 本音とはなんぞやって考えたらそれはなかなかに難しくて。僕の場合、ひとまず秘密の暴露ってのはなんとなく思い浮かびました。例えば下ネタ話なんかは結束するツールとして機能するもので。(男だけ?というか今はあんましないけど…)恥ずかしい情けない部分をしゃべってしまえばありのままの姿を曝け出した気になれた。
けれど−
それは単に情報のやり取りをしただけってことかもしれないし。一緒にわいわい大っきな声出して騒ぎ合ったって、それは同時に陽気でしたってだけな気もする。本音とは…?

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突然ながらキリンの話を知ってますか?キリンってメスを巡ってオス同士があの長ーい長ーい首を相手にガンガンぶつけ合って喧嘩をするらしいんです。でも決着着かずに膠着すると次第に(メスを放ったらかしたまま)オス同士で互いの首を舐めたりキスしたり、しまいには交尾までしようとし始める。なんでそうなるかっていうと、これは喧嘩の興奮を性的な興奮と錯覚するのが原因らしいんですけど。これ知ったとき、なんだかすごい話だなと驚きつつもなぜだか無関係な話だとは思えないでいました。これ、人間も同じようなことしてない?って思ったんです。別に僕らは喧嘩をしているうちに舐め合ったりキスしたり交尾をおっぱじめるなんてことはしない。だけど「主張している内に勝手にひっついてくる興奮を錯覚していくこと」あるな!って。興奮が快感になって支配されていく感じ。感情が出口。最初は主張を通そう目的で始まるけれど、それより何より「言えた」がすごく大事になっていく気がしている。言えた気持ち良さって凄まじい。他のもん全部追っ払って、言えたことの気持ち良さに帰着する。言えた私に拍手喝采。きっと生きていく上で気持ち良さは最重要なんだ。人間は気持ち良くなるために生きている。発散は快感で最高!

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厳粛な態度で臨まないといけない。隙を見せない。隙あらば、だ。皆 発散する契機を窺っている。常に戦闘態勢。圧力に屈するな。この世界は圧倒的な善人になるかテロリストになるかのふたつにひとつなんだ。胸ぐら掴みながら銃口向けながらお話ししましょう。丸腰のまま生きてきてしまいました お恥ずかしい。

言ったモン勝ちでもないけど傷ついたモン勝ちでもない。

−心が傷ついたら血がでる仕組みにならないかな
そしたら俺は全身血だらけ−

とも思ったけど、きっと返り血もヒドイ。

今のじぶんを改造しないといけないのだ。
実行すること 衝動的であること。
痛みに慣れること。
最初は痛くてもすぐ気持ちよくなるから。

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言いたいことを存分に言い合ってボッコボコに殴り合って相手が何を考えているのか自分が何を考えているのかわかってそれが本性だと言われて。それでも一緒に居たいって思えるのってなんでだろう。なんでそう思うんだろう。何がそう思わせるんだろう。相手に期待しないってことかな?自分を押し付けないってことかな?諦めるとこ諦めるってことかな?見返りを求めないってことかな?それがホンモノの関係?それがあなたが望んだ形?それでも、 はどうやったら出てくるんだろう。

#エッセイ #コラム #コミュニケーション #キナリ杯

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