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大好きな人たちがいなかったかもしれない未来。

8月9日

77年前のこの日、長崎に原爆が落とされた。

真っ白な日本地図を手渡されても、そこが熊本なのか宮崎なのか長崎なのか。それくらい、どこか遠いところの、そのまた昔に起こった、遠い遠い出来事だったこの日に想いを馳せるようになったのは、中学生になってから。

東北は仙台のそのまた温室のようなぬくぬくとした環境で蝶よ花よと育ったわたしは、父の仕事の都合で、修羅の国北九州は小倉の喧嘩上等公立中学校へと進学した。トイレ掃除に行けば便器がタバコで詰まっている、放課後の教室から異臭がすると思ったらシンナーの臭い、卒業式にお手製の特攻服でやってきて体育館に入れてもらえない同級生……尾崎豊か?金八先生か?いや、平成二桁の時代のわたしの母校の思い出ですよ。

みたいな、毎日がドラマのような中学校での初めての夏休みのこと。

土日祝日お構いなし、盆と正月以外は毎日部活。というなかなかブラックな部活の帰りの登り坂、同じクラス、毎日一緒に弁当を食べ、一緒に帰るその地が地元の彼女がふと呟いた。

「今年は、ヘイワガクシュウないんやなぁ」

ヘイワガクシュウ?初めて聞くその言葉に、わたしは脳内で「平和学習」と一発変換ができず思わず立ち止まった。

「なにそれ」

すると彼女は目を丸くして言った。

「あぁ。まりは知らんのか。今日は、8月9日で長崎の原爆の日やろ?あの原爆ってな、ほんとはこの山に落ちる予定やったんよ。でもね、当日視界が悪くて急遽長崎に変更されたんよ。もしこの山に落ちてたら、わたしたちのご先祖さまはみんな亡くなっているってわけ。うちのじいちゃんも、製鉄所に勤めているしね。あの原爆がこの街に落ちてたら、わたしたちはいなかったかもしれない。もしかしたらそうだったかもしれない未来のことを考えながら、今ここにいることに感謝して、戦争を許さない。わたしたちにとっては、そんな日なんよ。」

なんでこんな街に来てしまったんだろう、なんでこんなブラックな部活に入ってしまったんだろう……そんなことばかり考えているわたしの側で、彼女たちは「自分たちが存在しなかったかもしれない今日」に想いを馳せていたのか。

第二次世界大戦の頃、日本の鉄鋼産業を支えていた八幡製鉄所。社会の教科書でなんか見たことある……程度のその工場の名の工場が今も製鉄を行い、そこに従事する人々がいる世界が、原爆という物々しい言葉が部活の帰り道に発せられる世界が、こんなにも近くにあるとは知らなかったわたしは、もちろん8月9日がなんの日なのかもよく分からずにのうのうと過ごしてきたことがとてつもなく恥ずかしく思えてきて、言葉が出なかった。

通りを挟んで向こうに伸びていく山を眺めながら、入学して初めての日に彼女が話しかけてくれて日のこと、一緒に部活見学に行こうと誘われてそのまま入部届を出した日のこと、お昼にくだらない話をして笑い合ったこと、つまんないことで喧嘩して口をきかなかった日のこと……彼女がいなかったかもしれない今日を思って胸がキュウとなったタイミングで、わたしの家の前についた。

明日も、会えるよね?

ぽろっと呟いたわたしに

うん。また明日、8:15に、ここでね。

そう言って彼女は微笑んだ。明日がやってくる。そんな当たり前のことが、こんなにも嬉しいと思ったのは、この日が初めてだったと思う。

あれから10数年。毎年忘れることなく、あの山と彼女と大好きな人たちがいなかったかもしれない今日に想いを馳せては、笑顔で大好きな人たちに会える明日が来ることを感謝して、10日の朝ほっと胸を撫で下ろしています。

今年も、あと数時間後に、ホッとできる朝を迎えられますように。

おやすみ世界。


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