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noteはわたしのトリセツです。

わたしには、聴覚障害があります。
右耳は生まれつき全く聞こえないので補聴器をしていません。
左耳の補聴器で音を聴いています。
それも完全ではないので、皆さんの口の形を読み取っています。
雑音下では補聴器に直接届くマイクをお渡しするのでそれを持ってお話ししてください。

初めましての方に会うたびに、わたしはわたしのことをこんなふうに説明する。

左耳に補聴器をつけているから、聴覚障害があるなんて一目瞭然じゃないか。
聴覚障害者に口元を見せるなんて、当たり前じゃないか。

なんてことを内心思っていないかと言われると、ドキリとしてしまう。まがりなりにも誰かに何かを伝えるという仕事をしているというのに、初めましてが続くと「ほかの数人はわたしのお耳のことを知っているしな……」と思って伝えることを諦めてしまうことが、わりとある。

そして、伝えるのを諦めた場面では必ずと言っていいほど周りの話についていけなくなって、こっそり凹む

そりゃあそうだ。
この国における聴覚障害者は、約10%。この数字は、補聴器を使わない軽度難聴者も含むから、聴者が普通に日々を送っていて補聴器を使うような聴覚障害者と出会う機会はそんなにたくさんない。

実際、わたしも周りの人から「実際に聴覚障害のある方とゆっくり話をしたのは、あなたが初めて」と言われることが多い。

ただ、わたしの周りは幸い温かい人たちばかりなので「障害者と関わりたくない」のようなネガティヴな感情をもつ人はいない。本当に、ただ純粋に、聴覚障害者と出会った経験のない人がほとんどなだけなんだと思う。

だから、はじめましての聴者の会話に入っていけないときのほとんどは、わたしの説明不足によるところが大きいんだろうなぁとも思っている。実際、わたしの聞こえ方やコミュニケーション方法、普段の生活でどんな工夫をしているかをお話しすると、ほとんどの人たちがその方法を試してくれる。すごくすごくありがたいなぁと思う。

そのわたしのトリセツのようなもののひとつが、このnoteマガジン #音の世界と音のない世界の狭間で

気づけばこのマガジンも、もう100本以上の記事が溜まっていた。ここ最近は短歌に勤しんでいたので今日みたいな長い文章を書いたのは久しぶりだけれども。でも、初めましての方にわたしのお耳を説明するときは、その人に合わせてこのマガジンからnoteを選んで、トリセツ抜粋版のようにお渡ししている。

わたしがわたしの気持ちを整理するために書いてきたnoteが、書いてから期間を置いてもまたわたしを救ってくれていること、本当にありがたいなぁと思っている。

またじっくりじわじわと、書きたいことが溜まってきているので、不定期にこうやって長い文章もつらつらと復活させていこうかなの気持ち。

noteさん、いつもお祝いしてくれてありがとうございます!

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