瓢舎(ひさごしゃ)

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  • 三年坂 Web

    三年坂は京都.清水寺へ向かう有名な通りのひとつ その三年坂とその周辺の土地には歴史やいわれがいっぱいあります! このマガジンでは、三年坂のポイントを紹介していきます!

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クラウドファンディングはじめました!

私たちの目的は観光地で通り過ぎるだけになりがちな三年坂で、観光じゃない部分にフォーカスを当ててより土地に触れられる取り組みをしたいと考えています。 瓜生山学園京都芸術大学の学生が三年坂の町内会(清水三丁目)の方々と一緒に地域に残っている歴史や暮らしの魅力をこれまでとは違う形で学生がものづくりの経験を活かしながら発信するひさごという名の地域活性化プロジェクト活動をしております。 我々の今までの活動について

    • 瓦いろいろ2

      前回に引き続き、すずおです。 今回も三年坂で見つけたおもしろい瓦を紹介していきます! 上の写真は青龍苑の土壁の下の所にあったもの。 この瓦の詳しいお名前はわかりませんが、波の様なあるいは鳥の様な風にも見てとれます でもどこか重厚感があってかっこいい 瓦は本当に色んな種類があって屋根瓦や上で紹介した飾り瓦など種類も形も様々で、和形・平形・スパニッシュ形など沢山存在します。 更に地域の気候によっても使われる瓦は様々で、例えば淡路島では「なめ土」が豊富にある為、「なめ土」を使っ

      • 瓦いろいろ

        こんにちは、すずおです。 今回からは三年坂で見つけたおもしろいものを紹介していこうとおもいます! 皆さんは三年坂を観光したりするにあたってどこを見たりしていますか?石畳の階段だったり、お店だったり、景色だったり…色んな魅力が詰まっている三年坂。でも今でとは違う部分を見つけることで気づく新たな良さ。こんな所が…!なんてことも こちらは三年坂の石畳階段を下る手前左にある七味家さんの瓦。これは飾り瓦ですが、見つけるとなんか楽しい。右上にもまた違う筒状の瓦も! 三年坂を訪れた

        • かき氷美味しい〜

          こんにちは瓢舎の若宮です。 7月5日、この日は住みながら商売をしている住民の方へアンケートを配布しに三年坂へやって来ました。 瓢箪屋のご主人に挨拶をした後、一千花さんでかき氷をいただきました!今年の夏からかき氷を始めたそうで、抹茶味、和紅茶味、ほうじ茶味の3種類があるそうです。今回いただいたのは抹茶味と和光茶味、メンバー4人で味見し合って美味しくいただきました。サイズも大きく、シロップもたくさんかかっていて最後まで美味しいかき氷でした。 イチゴやブルーハワイといった普通のかき

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          初めて人力車に乗りました!

          こんにちは、瓢舎の若宮です。 少し前のことになりますが人力車に乗ったときのことをお話しようと思います。 6月は梅雨の季節、その日は雨が降ったり止んだり雨足が不安定な1日でした。 京都では人力車が走っている姿をよく見かけますが、三年坂やその周辺には出発地点が多くあります。人力車のお兄さんたちもたくさんいます。何度も三年坂へ通っていて気にはなっていたのですが、今回やっと乗る決意をしました。人力車初乗車です! ガイドのプロである人力車のお兄さんから勉強させてもらうべく、三年坂〜

          初めて人力車に乗りました!

          瓢箪屋さんとの会話

          皆さん初めまして、瓢舎の吉川ことすずおです!これからよろしくお願いします。 段々と暑くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか?私は真夏マスクがこれから耐えられるのか心配です。熱中症にならないように気をつけないとですね…皆さんも気をつけてお過ごし下さい。話が逸れてしまいましたが、今回は三年坂の瓢箪屋さんでのプチ情報共有をしたいと思います。 三年坂の数あるお店の中でも長い歴史がある瓢箪屋さん。実は江戸時代の壁がまだ残っているそうです!壁だけでなく、店内の黒い棚も江戸時代から

          瓢箪屋さんとの会話

          はじめまして、瓢舎(ひさごしゃ)です。

          はじめまして、瓢舎(ひさごしゃ)です。 瓢舎は、瓜生山学園京都芸術大学の学生が中心になって結成したプロジェクト「ひさご舎」に所属する記事班です。私達は京都の観光名所、清水寺に続く八坂の一つ「三年坂」をフィールドに、アートやデザインの視点から地域活性化活動をしています。これらの活動から見えてきた課題、それが「観光地に埋もれた暮らし」です。これからも地域と共に活動する学生だからこそできる取材・記事投稿を行い、「三年坂での暮らし」について発信していきます。 三年坂の課題 三年坂に

          はじめまして、瓢舎(ひさごしゃ)です。

          14人しか達成していない⁉千日回峰行

          三年坂は、昔から高台寺から清水寺への阿闍梨(あじゃり)参拝する経路にされてきました。 阿闍梨は、修行を重ねることで称号がランクアップ。 三年坂に訪れる阿闍梨さんは比叡山天台宗で行われる「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」という修行中の人です。千日回峰行を成し遂げると「大阿闍梨(だいあじゃり)」という称号を授かることができます。 千日回峰行は7年もかけて行う修行で戦後に14人しか成功していない、厳しい修行です。 もし出会えたらかなり幸運なことです。阿闍梨さんが最後まで修

          14人しか達成していない⁉千日回峰行

          阿闍梨さんってなんだろう?

          三年坂は、昔から高台寺から清水寺への阿闍梨(あじゃり)参拝する経路にされてきました。そのため人々は参拝する阿闍梨に尊敬と親しみを込めて「阿闍梨さん」と呼びました。 阿闍梨さんって実際、何でしょうか。 簡単に説明すると、「阿闍梨」とは今の日本では「密教(天台宗や真言宗)を学んだ僧侶」全般を指す称号のことなんですよ。 阿闍梨になるにはすごく厳しい修行が必要になるんです! 三年坂で見られる阿闍梨さんは一体どんなことをしているのでしょう? 次の記事ではその修行について少し触れてい

          阿闍梨さんってなんだろう?

          三年坂はあの世との境界線?

           時は平安時代、三年坂は「鳥辺野(とりべの)」という地域の北のはずれの土地にあたりました。 鳥辺野というのは、鴨川から京都の葬送地として有名です。「坂」というのは「境界」であるということから、この地はあの世とこの世の境界とされていたようです。  そういえばお隣の六原地域にも、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)があったり子育て飴があったりしますね。  こうしてみると三年坂というのは、清水寺の参拝の道をつなぐだけではなく、あの世とこの世をつないだり、妖怪と人間をつないだりしてい

          三年坂はあの世との境界線?

          妖怪「ぬえ」の住む土地、三年坂

           この三年坂地域には、鵺という妖怪が埋葬されたといいます。  平安時代の「源平盛衰記」という本によるとその鵺というのは、背が虎で足が狸、尾は狐などともいわれる、得体のしれない妖怪とされています。  平安時代の末期、平清盛が清水寺に参籠していたときのこと。その深夜に、鵺と思われる怪鳥が現われました。この鵺を清盛が捕獲して葬ったのが、三年坂の途中に存在していた毛朱一竹塚(もうしゅいっちくづか)という塚(土を盛ったお墓)だといわれています。

          妖怪「ぬえ」の住む土地、三年坂

          カエルの祟り?運動会はいつも雨

           清水小学校が建っていた場所には八坂の塔が倒れても大丈夫なように大きな沼がありました。そこにはカエルもいっぱい住んでいました。  しかし、池は清水小学校建てるときに埋め立てられて、カエルは住むところがなくなってしましました。  それから小学校の運動会のたびに雨が降るようになっちゃって、これがカエルの呪いといわれていたそうです。

          カエルの祟り?運動会はいつも雨

          三年坂の母校、清水小学校

           三年坂地域には清水小学校という小学校がありました。 清水小学校は明治2年(1872)の創立から平成23年(2011)の閉校まで、清水学区の多くの子供たちが学んできました。  明治2年(1872)、京都府とまちの有志の寄付によって『下京第二十七番組小学校(しもぎょうだいにじゅうななばんぐみしょうがっこう)』が建てられました。当時の学校は長生寺(ちょうしょうじ)の辺りに建てられました。  時代によって移転をし、通う児童も増えてきた小学校。 700名もの児童が通っていた学校で

          三年坂の母校、清水小学校

          登り窯は遊び場だった?!

           時代の流れとともに陶器が登り窯で焼かれなくなりました。 火を焚かなくなった三年坂の登り窯はだんだんと地域の中にあるオブジェのようになっていきました。  三年坂地域の子供たちは使われなくなった登り窯に目を付けたようです。 昭和の頃まで三年坂に登り窯は残っており、登り窯をトンネルに見立てた三年坂の子どもたちが、遊び場として楽しんでいたそうです。

          登り窯は遊び場だった?!

          坂を利用して作った?登り窯

          三年坂は江戸時代から陶器生産の町として有名でした。 そんな陶磁器文化を支えたのが登り窯(のぼりがま) 江戸時代、三年坂には坂の地形を利用して、いくつかの登り窯が建っていました。 登り窯というのは陶磁器を焼く窯の一つです。窯がいくつも階段状に連なっているのが特徴です。連なるそれぞれの窯は底部の小さな窓で繋がっており、下の段で焚いた温度が次の窯へ伝わります。陶磁器が効率よく焼成できる仕組みになっています。 三年坂地域の登り窯では「清水焼」が焼かれていました。清水焼は、江戸時代

          坂を利用して作った?登り窯

          井戸から出てきた蛤地蔵

           京都にはお地蔵さまがいたるところにあります。 もちろん、三年坂地域にもありました。  三年坂地域のお地蔵さまは蛤地蔵(はまぐりじぞう)と呼ばれる、蛤の井戸を掘った際に出てきたお地蔵さまがあります。  もともと三年坂地域は埋葬地として有名です。そのため、お地蔵さんが多く存在していたようです。 蛤地蔵は、現在では当時の場所のどこにもありません。 三年坂地域にあった蛤地蔵はすべて八坂の塔に収められていて、今でも残っています。 八坂の塔に行けば、見ることが出来る…かもしれま

          井戸から出てきた蛤地蔵