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「エッセイ」ひと時だけの健常者

エアコンの利いた部屋で「24時間テレビ」を観ている。
毎年の私の夏の終りの恒例テレビ行事。

そして泣く!!
とにかく観てて、知らない間に涙がポロポロ出て来る。終いには感動して鼻水垂れ流して号泣してる時もある。
賛否両論、色んな事を言う人もいるけど、長い介護生活を体験した私は皆、頑張って生きてるな~と…

そんなに走るな!
そんなに泳がなくていいよ!
そんなに頑張らないで!
って。

ところがここ最近、ちょっと毛色が変わってきた。
昔は障害を抱える人達がメインだったけど、特に今年は「お年寄り」が沢山映る。
日本の高齢化社会を反映してるんだろうけど…あっ、そうか!お年寄りも障害持ってるものね。

私は夫と過ごした病院生活の中で出会ったあるリハビリ師さんの言葉を思い出した。

「人が健常者で要られる時間なんて、人生の中でほんの僅かな時間なんです」
「え?」
『ひと時だけの健常者』って僕は呼んでますけどね
皆、歳を取れば障害者です(笑)僕だっていずれね」
「あぁ、そうですよね…」
「そう思えば『可哀想』とか『特別』な事じゃないでしょ」

私は自分の思い上がりを猛烈に恥じた。
可哀想は上から目線だから生まれる言葉だ。元々「可哀想」って言った相手に対して失礼だと思って、あまり好きではなかったけど…

『ひと時だけの健常者』
私は、この言葉に頭をガーンと殴られたような気持ちになった。
障害を持って生まれてきた人、事故で障害者になった人、病気で障害者になった人…
あの「回復期」の病院で私は沢山の人達に出会った。

車椅子の上で、泣き続けてリハビリをしない老人(脳疾患を患った人は、とにかく泣く)
私の知らなかった先天性の病気を抱えた若い親子(女性の親子共に車椅子だった。ソトス症候群かレット症候群ではないかと思われる)作業中に現場から落ちて下半身が動かなくなった元大工さん、交通事故で車椅子生活になった美しいお嬢さん(スラっした美人さんで、まるでモデルのようだった)……
皆、主人の個室によく遊びに来てくれて、声を掛けてくれたっけ。
「おい!起きろよ!」
「早く起きないと俺が奥さん取っちゃうからな(笑)」(ちょ、ちょっと止めてくれ(笑)ジイちゃん)
「歩けるようにな〜れ!」
障害の大きさ、大変さに関わらず、皆生きてた。

一歩、歩けた!
パー✋が出来た!
一口、食べられた!
一言、喋られた!

その度に皆で称え合って笑顔になった。もちろん、病気の進行で出来ていた事が、だんだん出来なくなる人も居た。でも、その進行の時間を遅らせようと必死にリハビリを繰り返す人にも出会った。

みんな、同じ人間なんだよね。
いずれ私も歳老いて、必ず出来ていた事が出来なくなる日が来る。noteが書けなくなる日も来るだろう。

何を言いたかったんだろう?(笑)

健常者が偉いわけじゃない。まだちょっと便利なだけだ。
私が見てきた狭い世界でも、色んな事を教えてくれた。思い上がらずに優しい気持ちで今日を生きて行こう。

ダーちゃんが元気な頃に言っていた。
「差別するのは人間だけだ。蟹を見てみろ!片方の爪が無くたって差別する蟹が居るか?」

軽い(笑)浅い(笑)
でも、分かる。

親友のろう者の娘ちゃんが言っていた。
「テレビでは障害者は皆、良い人に描かれてるけど障害者だって性格悪い人居るんですよ~。同じ視線で、悪い事は悪いって言ってくれるのが本当のバリアフリーだと思うんだけど…」

重い、深い。
でも、難しい。
日本のバリアフリーは、まだまだそんな水準じゃない。


それでも私は「24時間テレビ」を観て泣く(笑)
難しいことは全く分からないけど「人」が好きだからかな?
自分への戒め?
心を浄化させるため?

観る理由さえ分からないけど、今日もヒロミがゴールに着いたら多分号泣してるんだろうな(笑)





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