「短編小説」赤い傘、黄色い傘

私が小学生の頃、日本の梅雨には紫陽花の葉に乗るカタツムリが落ちないようなシトシト雨があった。
紫陽花の葉に集まった雨粒が大きな一粒になって、ポトリと地面にしたたり落ちる。
そんな美しい季節だった。


私の両親は私がまだ幼稚園にもあがらない幼い頃に離婚した。
初孫と言うのが手伝って、私は父と父方の祖父母に引き取られた。高齢だった祖父母は小さな私に母親を与える為に直ぐに父に「お見合い」をさせた。
そして、私には新しい美しい継母が出来た。
地元のコンテストでミス〇〇を何度も受賞したその人は、私の自慢の継母だった。
参観日には
「ねぇママ、あのお洋服着て来てね」
「ねぇママ、ヘアスタイルはアップにしてね」

「はいはい」
継母は、ニッコリと微笑んで大抵のリクエストに応えてくれた。
継母が教室に入って来ると私は何度も何度も後ろを振り返った。
同級生にも
「沙友理ちゃんのお母さん、美人だね‼」
と言われた。
その陰で「本当のお母さんじゃないから全然似てないよね~」と言われていた事など、露にも思わなかった。

私が小学校六年生の時、父と継母の間に生まれた弟が一年生になった。初めて出来た弟を私は可愛がった。
梅雨時の或る日、席替えが終わったばかりで窓際に移動した席で授業を受けていた。
三階の教室のその席からは、校庭が良く見渡せた。
(あ、あれ!?ママ?)
赤い傘を差して、足早に校庭を横切る継母の姿が目に飛び込んで来た。手には黄色の傘を持っている。
(あぁ、朝、傘を持って来なかったから、持って来てくれたんだ)
一階の下駄箱に入って行く継母の姿を私は、そっと見ていた。
降り出した雨は小雨で、砂埃の立っていた校庭を水玉模様にかえる程度だった。

下校時になった。当時は一クラス四十人程の学級編制だった。突然の雨に備えて、傘を持って来なかった児童の為に一クラスに十本の「貸し出し傘」の制度があった。
ノートに日付と名前を書いて、友達は次々と傘を手に取って帰り始めた。
小学生にも暗黙のルールと言う物がある。
学校から家が遠い者に優先的に傘を回し、家が近い者同士は相合い傘で帰るなど、少ない傘を有効的に活用していた。
私の家は学校から子供の足で五分程度の所にあった。だから、「貸し出し傘」を使った記憶は殆どない。
「さようなら」
「また、明日ね~」
階段を降りて、下駄箱に向う同級生達。

私は何だかウキウキしながら、下駄箱に向かった。其処には継母が届けてくれた傘が掛けてあるはずだった。
「あれ?」
下駄箱には朝履いて来たスニーカーだけが、つま先を向こうにして入っていた。
(ない…傘が…)

辺りを見回しても、私の傘はなかった。
(あれは私の見間違い?)
同じ方向の友達は既に帰ってしまっていた。
雨足は、どんどん酷くなり
気付くと校舎の軒下に立っているのは、私だけになっていた。
(近いし、濡れて帰ればいいか…❩

ピカーッ、ゴロゴロ〜

その時、梅雨の終わりを告げる雷鳴が響き渡った。
いつの間にか辺りは真っ暗に変わり、稲妻が光る時だけ一面が昼間のように明るくなった。
バケツをひっくり返したような雨が地面を叩きつけ、あっと言う間に校庭に幾つもの水溜りを作った。
(怖い!でも帰らなきゃ!!)
ビシャビシャ〜
私は走り出した。お気に入りのキャラクターが付いたスニーカーは泥だらけになり、靴下までビッショリと濡れた。
激しい雨の中を校庭を抜け、家への道を雨なのか涙なのか分からなくなった顔で、走り続けた。
髪からも洋服からも水がしたたり落ちた。
あの日の家は、遠かった。

やっと辿り着いた家の玄関に濡れた黄色い傘が、置いてあった。その下には脱ぎ捨てられた弟の小さなスニーカーが転がっていた。
やっぱり、あれは見間違いではなかった。

「はぁ~はぁ~、ゼイゼイ…ただいま〜」
「あら、沙友理ちゃん、おかえりなさい。まぁ、ずぶ濡れじゃない」
継母は私を見てほんの一瞬、クスッと笑ったように見えた。
でも直ぐに家の中へ取って返すと、バスタオルを持って来てくれた。
「可哀想に凄く濡れちゃったね~」
私の髪や身体を優しく拭いてくれた。
「着替えて、いらっしゃい、今夜は沙友理ちゃんの大好きなコロッケよ」
その微笑は本当に美しく冷たかった。
「は〜い」




私はこの日の事を誰にも言わなかった。
何故、言わなかったのかは分からない。
ただ、何十年の時を経て
「沙友理ちゃん、沙友理ちゃん」
と眼の前で微笑む継母を見ているとあの日の私の判断は間違っていなかったと思う。
いつしか私達は本物の親子になっていた。





※七辻/辻風(辻)様の素敵なお写真をお借りしました。
ありがとうございました。






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