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「エッセイ」継母へ#私のこと好き?

あの日、帰宅して直ぐに玄関で継母が私の顔を平手で打った。何の悪さをしたのかは、覚えていない。
美しい継母の度重なる虐めとこの暴力に思わず私は聞いていた。

「ママ、私のこと好き?」
「……」
暫くの沈黙が答えを私に教えていた。
でも直ぐに
「好きに決まってるでしょ!」
怒ったような口調で継母が言った。
「ママなんて大きらい!」
私は泣きながらトイレに閉じ籠もった。

私も愛されたい、可愛がってもらいたい。
弟達と同じように。

当時、私が住んでいた家は祖父の代から続く古い瓦屋根の平屋で、トイレと言うよりも便所と呼んだ方がしっくりくる場所だった。
広い洗面所は細かいタイル張りで、水しか出ない。その隣には現在の私よりも大きな時代がかった鏡があった。其処までに続く昼間でも薄暗い長い廊下が怖かった。男子便所と女子便所に区切られたその場所は、子供心に本当に幽霊が出るのではないかと思っていたほどだ。

どうして、あんな場所に立て籠もってしまったのか、あまりにも遠い昔の話しで忘れてしまったが、多分一つしかない便所に鍵を掛けて籠もってしまえば、継母が困ると考えての幼い私の精一杯の意地悪だったと思う。
汲み取り式の便所は、夜はその穴から手が伸びてきて吸い込まれてしまうのではないかと夢にうなされるほど怖かったのに。

泣きながら長い時間が過ぎたと思う。
ひっくひっく
泣き疲れても誰も呼びには来てくれなかった。
継母が一度だけ
「意地を張ってないで出て来なさいよ」
と声を掛けてくれたが、その程度では「愛されていない」と思ったショックから、私を立ち直らせるには足りなかった。
祖父母は、もう亡くなって居なかったから小学校1年生か2年生の頃だったと思う。

ひっく、ひっく……

あの時、私は何を思ったのだろう。
発作的に木で出来た便所の戸の桟に

「ママだいすき」

と大きく刻み始めていた。
子どもの小さな指に付いた小さな爪で、深く大きく一字一字刻みこんだ。
実母は私の背を測るのに居間の柱に毎月、傷をつけて記してくれていた。2歳、2歳1ヶ月、2歳2ヶ月……それを記した時の実母の記憶はなかったが、柱の傷は私への実母の愛情だと思っていた。
だから、この刻んだ文字を継母が読んでくれれば、私を好きになってくれるかな~?そんな幼稚な思いからだったのかもしれない。

あの「ママだいすき」は便所を水洗トイレへリフォームするのに取り壊すまで、ずっと残っていた。
継母は、そんな私の小さな彫刻では全く動じなかったが、私の心には深く刻まれた出来事だった。


今はもう継母に
「お母さん、私のこと好き?」
なんてバカな事は聞かない。聞かなくても当然好きだと分かっているからだ。
好きな事をあえて確かめる母娘が居るだろうか。

三羽さんの「私のこと好き?」と言う企画で、あの日刻んだ継母への「ママだいすき」を思い出した。
三羽さんの主旨とかけ離れてしまったかもしれない。ごめんなさいm(__)m




ここからは余談とご報告

今朝、仲良くしている下の弟(私の直ぐ下の弟とは絶縁関係が続いている)から電話があった。
継母が下血して今日、入院したそうだ。まだ検査入院の段階なので、今日は私の出番はなかった。
ただ血液検査の結果でガンの疑いと医師に言われての入院だ。
また私の日常は忙しくなる。継母の娘は私しか居ない。
弟に
「大丈夫だから、しっかりしなさい」
檄を飛ばしたはずの私の声が震えた。

お母さん、私が付いてるよ。
お母さん、お母さん、大丈夫だよ。
お母さん…


父は昭和の男で仕事以外何も出来ない人だ。私が面倒をみるしかない。それにもしかしたら、また暫く介護の日々が始まるかもしれない。
でも私は書いていたい。
主人が倒れた時も、ずっとその枕元で本を読み何かを綴っていた。今回、もしそうなっても何処かで時間を作って書いていたいと思う。
大丈夫、サボるのは小説書くより得意だからね(笑)でもコメントやコメ返、遅れたら、ごめんなさいm(__)m






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